第十五話「ディープダイバー」①
「いやはや……世の中、そう捨てたものじゃないね。なんと言うか、とても優しい気分になったよ」
「彼」はそう呟くと、微笑ましいと言った様子でモニターを見つめると、手元のノート型端末を閉じる。
そこは一面、白い調達品に囲まれたどこかの地上世界の屋敷の応接間のような部屋だった。
白くないものと言えば、ウォールナットの広い執務机と「彼」の座るエルゴノミクスチェアくらいのものだった。
白い背広を着込んだ目の細い銀色の長髪の若い男が、優雅な仕草でティーカップを傾ける。
「まったく、彼女は我社にとって、歩く最高機密のようなもの……。おまけに、彼女……明らかに覚醒してましたよね? 各部署では例の件で大騒ぎになってますよ。さすがに、そろそろ本国に戻すべきなのでは?」
彼の傍らの小型端末から若い女の声が響く。
「いやいや、ご家族たってのお願いなんだし、彼女にとっても、このわずか10日足らずの間のクオンコロニーでの経験は、非常に有用だったようだからね。直ちに強制召還すべきって意見も多かったけど、それは僕の権限で却下としたよ。なにせ、あの娘がまさか自分から、積極的に力を使いたがった挙げ句に、本領発揮して覚醒に至るとか……これは素晴らしい結果だと思わないかい?」
酷く無機質な部屋の中には、彼以外誰もいない。
そろそろ傾き始めた夕日で、室内は徐々に赤く染まっていく。
「彼」が軽く手を振ると、執務机の上にいくつもの空間投影モニターが表示される。
「そうかも知れませんが、これは敵にとっても彼女の価値を知らしめてしまったようなものですよ……。まさか、連中……クオン星域に戦闘艦を進出させていたなんて……これは、由々しき事態ではないかと」
「そうだねぇ……僕らも、少々甘く考えていた。クオン星系府も我々の介入に対して、やけに強気で抵抗するから何かあるとは思ってたけど……この分じゃ連中とズブズブなんだろうね。あの国の先代元首とうちの先代は友人だったんだけどね……。その関係で、我が国の国民も結構な割合で入植している……半ば植民地のように思っていたんだけどね。いささかぞんざいに扱いすぎていたのかも知れない」
「クオンも入植が始まってから、もう50年近く経ってます。第1世代は、すでに年老いて一線から引退してますからね……。第二、第三世代ともなると、さすがに我が国も遠い異国としか思っていないのでしょう……。それに、あの国は、国民を外に出したがらない鎖国に近い政策を取っていたので、それは致し方ないことかと」
「恩知らずと言うか……何とも世知辛い話だよねぇ……。けど、僕らもそこに油断があったのは、確かだね……まんまと付け込まれてしまって、いいようにされてしまった。それにしても、やはり彼女の能力は、凄まじい……あれほどまでとは、恐れ入ったよ」
「そうですね……超光速索敵……まさかこちらの支援システムを取り込んで、自己進化を果たすなんて……当初予想なんて、軽く超えましたよ」
「うん……さすがの僕もアレは驚いた。けど、それでこそ……「最強」と謳われた強化人間。色々あって、自分の殻に閉じこもってしまって、どうなるかと思ったけど。思わぬことで、その殻を自力で破って見せてくれた……。けど、逆を言うとそこまで追い詰められたって事でもあるからね。悪いことをしたよ」
「実際問題、シュバルツのやり口は極めて巧妙でした。ああも完璧に空間レーダーを欺瞞し、光学監視ネットワークすら出し抜くとは……あの星系の監視システムは元はと言えば、我が国で開発したものです……あれが出し抜かれたとなると、傘下星系の監視網も見直しが必要かと」
「そうだね。本来ならば、我らが姫君は為す術無く捕縛されて、今頃は奪回プランの検討で、揃って頭を抱えていたかも知れない……。彼女は言ってみれば、自らの手で自分の運命を勝ち取ってみせたんだ。強い子だよ……実に素晴らしい。僕から直接、ご褒美の一つもあげたいところだよ」
「元々、彼女は第三世代の中でも抜きん出ていましたからね。……旧型第二世代の私では、彼女に到底及ばない。我々はとんでもないモンスターを作り出してしまったのかもしれません……。ところで、例の観測者達はどうします? 場合によっては、相応の処置も必要かと」
「そう言う物言いはやめようよ……気が滅入ってくる。彼らと直接コミュニーケーションを取ってみたんだけど、彼らは彼女の力の片鱗を見ても、これっぽっちもブレちゃいない……。処理なんてとんでもない話だよ。ああ言う、損得勘定気にせず動くような気持ちのいい人達は嫌いになれないし、彼女にもきっといい影響を与えてくれるよ。それより、思わず強権発動して、色々無茶やっちゃったけど、やりすぎちゃったかな?」
「あの状況では最善の判断だったと思いますよ……こちらとしても得るものは多かったですから。しかしながら、彼女に関して言えば、むしろ、リスクが増大したと私は考えます。悠長なことを言っていないで、強引にでも本国に引き上げさせて、本社保護管理下に置くべきではないでしょうか。やはりアウェーでは、何かと制約が多いですし、クオン政府が非協力的な以上、現状維持と言うのも難しいのではないかと。表向きは危害を与える気は無いようですが……軍事最高機密を敵地に放置しているようなものではないですか? 今、彼女の能力を銀河連合に知られるのは、不味いでしょう」
「……兵器システムの機密管理と言う観点でなら、そうだろうけど、彼女は紛れもなく一人の人間なんだよ? 僕としては、彼女がまるで兵器システムの一部のように振る舞って、心を痛めながら自分の殻に閉じこもっていくのを見て、内心、とても心を痛めてたんだ。だからこそ、当面は彼女の好きなようにさせたい……。単なる偽善、自己満足かもしれないけど、この笑顔を見ていると満更でもないって、思うんだ」
「まさに、偽善者ですね。ですが、偽善でも傍観者気取りよりはずっとマシです。そうなると日和見の傍観者はもうお止めになるのですね」
「相変わらず、辛辣だねぇ……君は。でもまぁ、こうも混沌とした状況になってくると、さすがの僕も傍観者でいる訳にはいかないだろう? 幸い今回の強権発動で、この僕の存在とその力は、多くの人々に知れ渡ったしね……。そろそろ、本気出したっていいと思うんだ。ああ、君達補佐官には、いつも苦労をかけてすまないと思ってるよ」
「心にもないことを平然と口にする……やはり、貴方は偽善者です。でも、偽善も善意も向けられる側としては、そう変わりはありませんからね。そう言うのも嫌いじゃありません。それと今回の件でシュバルツのこちらの世界への侵攻の意志は、確実なものだと判明しました……。エーテル空間を経由せずに、通常宇宙へ戦力を直接送り込んで来ると言うのは、さすがに想定外でしたね。なし崩しとは言え、これは向こうの宇宙空間戦力と我々の初の交戦事例になりますが……銀河連合評議会へは、どのように報告すべきでしょうか?」
「連中のステルス艦……クリーヴァの奴らは自信満々で強気だったけど、実際、なかなか厄介な相手みたいだ。……まぁ、今回は相手が悪かったみたいだけどね。とりあえず、今の評議会に連中の脅威について、あれこれ報告したって無駄だろうから、こちらで適当にもみ消して、クリーヴァとも表向きは手打ちにしよう。そう言えば、宇宙の彼方にすっ飛んでった連中については、あれからどうなったんだい? 出来れば船体を回収して、技術解析に回して丸裸にしてやりたいところなんだけどね」
「クオンの軌道警備艦隊が、外宇宙ギリギリのところで漂流状態になっていたところを救出、回航中とのことです。乗員も重軽傷者多数のようですが、幸か不幸か死者は出なかったようですが、無抵抗で全員拘束に成功したようです。もっとも、クリーヴァ社がクオン星系府に乗員含めて、速やかに引き渡すよう圧力をかけているようです。クオン治安維持局は、不法航宙艦を拿捕したと言う事で、抵抗の構えを見せているようですし、彼らは我々にも協力的です。ですが、政府が折れれば、治安維持局も折れるしか無いので、少々分が悪いかと」
「国家主権がどうのと、僕らに対しては強気なのに、自分達の庭での無法についてはヘコヘコ妥協しようとするとか、なんだかねぇ……。まぁ、クリーヴァが出て来てるなら、これ以上余計な出だしは無用かな。なにせ、シュバルツやクリーヴァについては、銀河連合評議会から直々に手出しするなって言われちゃってるからね。こちらも人質を取られてる手前、あまり強気に出るわけにもいかない。まぁ、ステルス艦なんて外装の破片の一つでも回収できれば、時間の問題で対策できるしね。それくらいなら、なんとかなるでしょ?」




