第五十一話「静かなる戦い」⑥
ハルマは、少し昔の事を思い出す。
……彼女は諸事情からクスノキの屋敷から、堂々と研究施設へ通う極めて例外的な強化人間だった。
歩く国家最高機密というのは、大げさでもなんでもなく、必然的に好奇の目……のみならず、その目立つ風貌も相まって、他国の間諜や、反強化人間派などの監視の目が、彼女に終始張り付くこととなったのだ。
誘拐や襲撃未遂も一度や二度でなく、ハルマも護衛要員として彼女の周辺警護を務め……実際、その手合ともやりあった事も何度もあった。
もっとも、その手の隠密戦や陰の抗争については、彼女はほとんど全て把握しており、待ち伏せされて、ねぎらいの言葉をかけられる事もあったのだが……。
ハルマ達が付けた監視ドローンやインセクト・ビットと呼ばれる超小型の虫サイズのドローンすらも、彼女は容易に見つけ出し、お持ち帰りされてしまったり、無慈悲に破壊されると言うことが何度もあった。
敵の監視の目にしても同様で、ハルマ達ですら気付けえなかった隠密監視要員や高度ステルス監視ドローンすらも次々撃破し、衛星軌道上に密かに設置された監視衛星ですらも、キラー衛星をハッキングして撃ち落とす始末だった。
要するに、ハルマは彼女の索敵能力の脅威については、存分に思い知っているので、新型潜航艦を潰したと言う話を聞いても、シュバルツはまだ懲りていなかったのかと呆れる程度の驚きしか得なかった。
極端な話、視界に入れて注視する。
たったそれだけのことで、ユリコはその観測者の存在を認識するのだ。
光学迷彩や電波吸収素材、様々な隠蔽技術も関係ない。
ネットワークを介した電子光学機器越しの視線ですら感知するのだから、彼女の索敵能力からは何者をも逃れられない。
その視線に敵意を込めようものなら、その時点で観測者の運命はほぼ確定する。
もっとも、遥提督はむしろ、やり場のない怒りを抱いているようだった。
その事に、ハルマも思わず苦笑する。
「……大人しくしていられないと言うのは、解るな。私も以前、彼女の隠密護衛任務をしていたことがあるからな。あの娘は危険を認識しながら、むしろ、それに平然と飛び込んでいく……そう言う所があった。周囲のことなんて全くお構いなしで、敵が寄ってきたから返り討ちにする。そんなシンプルな理由で動くからタチが悪い。まぁ、君達は色々おせっかいをしたがってるようだが。銀河の勇者たる君達ですら、あれは手に負えないと思う……。身内ながら、困ったお嬢様だよ……」
ハルマも思わず、自分が笑っていることに気づいた。
まぁ、彼女はそう言う娘なのだ。
自分が狙われていると悟れば、自ら率先してそれに立ち向かい粉砕する。
理不尽や正しくないものへは当たり前のように立ち向かい、粉砕する。
強化人間プロジェクトもその周辺は、今となっては、すっかり落ち着いたものなのだが。
少し前までは、その身辺では、人知れない攻防が、年中行事のように行われていたのだ。
強化人間へ反感を持つ勢力や、現体制へ叛意を持つ者達。
人間をとことんまで強化する強化人間の存在自体が非人道的だ言う主張をわざわざ本人達に通告し、糾弾する自称人道主義者。
事実上の全体主義国家と言えるエスクロンの体制に不満を持つものなども、次世代の指導階級者達が育ちつつあることに強い不満を持ち、それを当事者たちに直接ぶつけようとしていた。
エスクロンも一枚岩のように見えて、その内情は様々な問題を抱えており、不満分子も数多く存在していたのだ。
そんな彼らにとっては、ユリコ達強化人間は、格好のソフトターゲットに見えたようで、脅迫や抗議などは生易しいもので、時には誘拐や襲撃など数限りないトラブルが発生していたのだ。
もちろん、ハルマ達に代表される特務部隊や治安部隊など、彼女達を守る勢力も存在した。
そう言った自分達を脅かす者達に対して、ユリコ達も最初は大人しくしていたのだが。
安眠を妨げられる……演習や訓練中の武力介入や、年少の者達が誘拐されかけると言った具体的な被害が及んでくると……。
こうなったら、自分達が対処するとばかりに、年長者達を中心に独自に行動を開始した。
そのやり方は、苛烈の一言で、襲撃者達に微塵にも容赦をせず、時に手痛い教訓を与え、時に後腐れなく組織レベルで粉砕することで、むしろ手頃な実戦経験値稼ぎと言った調子で、自らの手で自らの敵を次々と葬り去っていったのだ。
そう言った実績を知るハルマにとっては、遥提督達が行おうとしているユリコを戦場から遠ざけようとする努力は、無駄な努力としか思えなかった。
クオンでの生活で人間的な思考が出来るようになり、少しは大人しくなったようだったが。
後先考えずに、自らの敵を率先して撃破すると言う行動パターンは全く変わっていないようだった。
子供を戦場に出すわけには行かない……遥提督の言葉に、まるで、過去の自分達を見るような思いになり、ハルマも思わず苦笑せざるを得なかったのだが。
その様子を見て、遥提督も訝しむように眉をひそめる。
「アンタ、なんか、妙に楽しそうに見えるんだが……どうなんだい、それ? アンタは彼女の身内だから、彼女を戦場から遠ざけるって考えには賛同してもらえると思ったんだが……。まぁ、いずれにせよ。あれが暴走する前に我々はこの戦争に介入し、阻止する……これは決定事項だ。大人として、それくらいはやってのけないと立場がないだろ」
「そうだな。その考えには賛同できなくもないのだが。経験上、そう上手く行くとは思えんのだよ。老婆心ながら忠告させてもらうが、ここは余計な手出しをせずに、流れに任せるべきだと思うがな。こういっては何だが、アレのサポートに徹した方が多分、すんなり事が運ぶと思うぞ」
「……はぁ? 手出し無用って、アンタ……ユリコちゃんの身内なんだろ? なのに、ほっとけばいいって無責任すぎやしないか?」
その言葉を聞くと、ハルマも苦笑すると、天を仰ぐ。
「……君達は、保護対象を誘拐されて、救出に向かったら、誘拐組織が保護対象の手で全滅していた事はあるかな? そして、襲撃予告があって、万全の構えで待ち受けていたのに何も起きず、敵対組織の様子を見に行ったら、アジトが更地になっていて、挙げ句、敵の増援と間違われて襲撃されて、全員病院送りになった……そんな経験はあまりないとは思うが、どれも本当にあった話だよ」
「……すまない。ハルマ大佐……それはギャグで言っているのかい? よく意味が解らない」
「そのままだよ、単なる事実を述べたまでだ。君はあれを守ってやろうとか考えているのかもしれないが、それはおこがましい考えだと、そのうち思い知ることになる……そう言っておこう」
なお、どれもハルマの実体験である。
前者は、ハルマ達の警戒網をかいくぐって、ユリコ本人が誘拐されてしまい、ハルマ達もその身柄を奪還すべく、敵対組織のアジトを強襲しにいったら、すでにその誘拐組織はユリコとその仲間達の手で壊滅していた。
なにせ、VRシュミレーション上でとは言え、身体一つで敵対惑星に降り立ち、軍勢を粉砕し自力帰還するような常軌を逸した人間兵器達なのだ。
そんな怪物をごく普通の人間が誘拐するなど、その時点で手の込んだ自殺のようなもの。
おまけに、ユリコの場合、その場で誘拐犯を始末せずに、敢えて誘拐されて、拠点の位置情報と構成メンバーを把握した上で、仲間を呼び集め、組織レベルで完膚無きまで叩き潰すと言う選択を取った。
それどころか、その組織の黒幕だった企業も数々の悪事がネット上に暴露され、狙いすませたような株の大規模売りをきっかけにパニック売りが発生し株価が暴落し、経営破綻……その企業は地上から消滅することになった。
なお、この辺りは主に電子戦特化強化人間アキの仕業。
彼女にとっては、有る事無い事でっち上げて、表の世界の企業ひとつを社会的に抹殺する事など、造作も無いことだった。
ヤクザやマフィアのような非合法組織やその偽装企業。
彼女の手で合法的に葬られた組織は、数知れない。
そして、反強化人間派にして、エスクロンの重鎮による収容施設への襲撃計画が露見され、ハルマ達も政治的な問題に発展させてはならないと、入念な計画に基づき、ユリコ達の周囲に護衛戦力を配置して、秘密裏に刺客の迎撃を行い、穏便に済ますつもりでいたのだが……。
ユリコ達はやっぱり、逆にその重鎮の屋敷に強襲をかけて軽く全滅させてしまい、その屋敷は区画ごと衛星軌道砲撃で吹き飛ばされ、取り急ぎ駆け付けたハルマ達護衛部隊も襲撃者達の増援と勘違いされ、ユリコ達に強襲され全員病院送りにされた……。
結果的に重役会の一人でもある重鎮が消されると言う前代未聞の騒ぎになったのだが。
最終的に、先代CEOの「自業自得」の一言で片付けられた。
理不尽極まりない話ではあるのだが、これも下手に政治的な影響など、余計な気を回したたばかりに起こった悲劇だった。
近年はエスクロン国内で、反強化人間派や強化人間を利用したり排除したい勢力については、すっかり鳴りをひそめたのだが。
その原因は、そう言った考えを持つ者達が物理的に片っ端から駆逐されたのが大きい。
それも敵対したものをとことんまで駆逐すると言うユリコ達の苛烈な姿勢故になのだが……。
エスクロンの暗部に携わる者達にとっては、ユリコ達は守るべき者達と言うよりも、油断していると勝手に敵を見つけて追い詰めて、オーバーキルアタックをしでかすので、ユリコ達が気付くより速い段階で先回りで始末するか、気付かれたら、もうほっといて後始末とフォローに奔走する……そんな困った護衛対象でもあったのだ。
なにぶん、彼女達は自分達の敵を滅ぼすことには熱心だったのだが、その後の影響や後始末については、一切感心を払わなかった……。
必然的に、彼女達が去った後の戦場の後始末は、ハルマ達の仕事となり、運良く生き延びて散らばった構成員などの追跡と言った仕事も彼らの仕事となった。
叩き潰された企業にも真っ当な社員というものはいるので、そんな彼らの再就職先の面倒を見たり……。
運良く生き延びて、二度と手出しをしないと誓った者達をまっとうな手続きの上で犯罪者として処理した上で、その更生に手を貸したり……特務の仕事とは思えないような仕事ばかり押し付けられることになった。
もちろん、普通に考えて誰か力づくでも止めてやれよ……と思われるだろうが。
ユリコ達第三世代強化人間は、地上世界では掛け値無しで人類最強レベルの強者揃い。
ユリコ達の先輩に当たる第二世代や重サイボーグ程度では、まったく相手にならず、戦車や航空兵器と言った地上戦力ですら、ほぼ生身の状態でも軽く撃破される始末。
パワーや反応速度と言った純然たるスペックについては、最新型の重サイボーグ辺りなら十分に渡り合えるはずなのだが。
問題は、彼女達の持つ、ナノマシンハッキング能力……。
これは恐ろしく強力な能力で、辺りにある機械をたやすく乗っ取り戦力化するのみならず、戦いながら、自分達を強化したり、その場で武器を改造して、最適化する……そんな真似を平然とやってのけるのだ。
そして、幾度となく発生した襲撃者との戦いやお互い同士で研鑽を続けるうちに、ユリコ達第三世代強化人間は、当初予定のスペックを遥かに上回るほどまでに自己進化を遂げていたのだ。
力で拘束なんて、何の冗談だと言うのがハルマ達の認識だった。
ハルマ達も必然的に、もう芽の段階で、彼女達への脅威を摘み取ると言う徹底した予防攻撃に努めた事で、ついには国内から、その種すらも駆逐してしまったのだ。
この辺りは、度重なる強化人間への襲撃やテロを許す状況に、ユリコの実父たるクスノキ・タイゾウが激怒し、クスノキ一族の総意として、CEOに直訴することで、反強化人間思想自体の非合法化を成立させた……と言うのが大きかった。
もはや、一種の思想弾圧ではあったのだが。
テロリスト側もまともに挑んでも強化人間には歯が立たないからと、一般人を巻き込む爆破テロや、重サイボーグや機動兵器まで投入し、市街地にて人外の戦いが勃発するようになっていたのだから、弾圧されて当然であった。
かくして、反強化人間思想者たちは思想自体の非合法化に伴い、エスクロン本星での居場所を完全になくし、逆にユリコ達はテロリストとの戦いでその戦闘力を証明し、更に一般市民への被害を最小限に抑えたことで、単なる実験体ではなく、エスクロンの守護者と言う確固たる地位と言うものを確立したのだ。
なお、一般人の被害が殆ど出なかったのは、ユリコ達が気を使ったと言うよりも、ハルマ達の働きが大きかった。
ハルマ達も後半戦ともなると、テロリストに反撃するよりも、テロリストの行動予測や一般市民への被害軽減を第一に活動するようになっており、テロリストが強力なIDEや機動兵器を使ったなりふり構わぬ攻撃を仕掛けてきても、攻撃前の段階で動き出し一般市民を保護、避難誘導を行い……その被害を最小にする立役者となっていた。
ハルマ達が立案したテロ発生時の一般人保護プログラムは、極めて効果的でブルーアースの大規模テロ……テルーゼン広場乱射事件でも、予め配置しておいたカウンターテロ部隊が保護プログラムを実践し、その被害を最小限に食い止めたことで評判になっている。
もっともハルマ達は、その功績を自分達のものとせずに、ユリコ達が市民に犠牲を出さないために努力した結果だと美談に仕立て上げて、強化人間達の地位向上に貢献したのだ……。
こう言う渋いアシストを行えると言うのは、ハルマの人柄を偲ばせる話ではあった。




