第五十一話「静かなる戦い」②
「……さすがにこれは打つ手なしだな。これまで、あの手この手で時間を稼いできたが、ここが限界だ……。全民間船にケスラン中継港より、大至急退去するよう命令を出せ……CEOにも現場判断の上で撤退する旨、通達を送れ。責任は私が取る!」
断腸の思いでその言葉を口にする。
「…………」
幕僚達も無言でうなずく。
けれど、誰もが心から納得はしていないようで、反論の言葉を探しているようだった。
ハルマも先程まで威勢のいいことを言っていた若い幕僚と目があうのだが。
言いたいことがあるなら、言えとばかりに睨むと、目線を逸し無言で押し黙っていた。
……当然の反応だった。
この状況で、民間人に命をかけて戦えというのは、その死に責任を持つということなのだ。
無責任な立場で、勇ましい事を言うのは簡単だが、その責を負うとなるとある種の覚悟が必要だった。
ハルマは、この作戦の全責任を取ると宣言したのだ。
そこに異論を挟むのであれば、その責のいくらかを背負い込む事になる。
若く経験も少ないこの若者は、その事に気付いているようだった。
だからこそ、何も言う資格はない……そう納得しているようだった。
賢明な判断だと言えた。
もう少し経験を積み、多くの戦場を見れば、悪くない指揮官になるな……ハルマ大佐もそんな風に思った。
……こうなった以上は、段階的に撤退し可能な限り時間を稼ぐ。
悩んだ末のハルマの答えがそれだった。
だが、敵がそれを許すかは未知数。
30分の猶予は、とどのつまり敵にとってもそれ以上は待てないということでもあるのだ。
その結果起こるであろう悲劇は、もはや不可避。
この決断は遅すぎたかも知れない……ハルマは思わず絶望的な気分になる。
「こ、ここで退くとおっしゃるのですかっ! たった一戦も交えずに……ですかっ! 奴らもハッタリで脅しをかけているだけです、それに屈してしまっては……向こうの思うつぼです!」
若い幕僚がようやっとそれだけ口にする。
一戦も交えずに脅しに屈して引き下がる。
無様な結果この上なかった……。
文句を言いたくなる気持ちもよく解った。
「……敵は本気だ。あの大口径要塞砲……榴散弾あたりを上空炸裂させれば、民間船程度では一撃で全滅するぞ。もとより、敵も良識くらい持っているだろうと期待しての民間船の大量動員封鎖だったのだ。敵の良識に期待できないのは、すでに明らかだ。この作戦はすでに破綻している。我々は甘い見積もりで、戦う前にすでに敗北していたのだ。かくなる上は犠牲を最小限にすべく努めるまでだ。私は現地司令官として、命令を通達した……これ以上の議論も文句も聞かん。以上だ!」
苦渋に満ちた決断。
だが、それを行うのが司令官と言う役目なのだ。
勇敢に戦い多くの命をエーテルの海底に沈めるよりも、不名誉なる総撤退を選ぶべき。
それがハルマなりに悩んだ末の決断だった。
敵艦隊司令官へ撤退の意思を告げ、その上でのトップ同士による撤退交渉を始めるべく、ハルマ団長が無線機のマイクを取ると、ポーンと電子音が鳴り、司令室のすべてのモニターに若い女の姿が映し出される。
「やぁやぁ、エスクロンの諸君……始めまして。話は聞かせてもらったよ。かなりお困りのようだけど、決断を下すのはちょっと早いんじゃないかな?」
なんとも場違いな気楽な様子の声と朗らかな笑顔……誰もが唖然としながら、団長に注目する。
「……何者だ? 我々の無線暗号システムがこうも容易く介入を許すとは……いったい、これはどう言う事だ?」
背後の幕僚たちや通信システム担当者が右往左往し始めていた。
通信担当者が異常なしのサインを送る……この通信は正常に本国暗号システムを経由したうえで、強制介入されているようだった。
本来ならば、そのような真似は出来ないはずなのだが。
実際は、この有様だった。
「……すまないね。緊急事態故にちょっとばかり強引な手法で、強制介入させてもらった。けど、別に君等に敵対する意思はない。むしろ、助太刀ってところさ」
それだけ言うと、遥提督は言葉を区切ると、制帽を崩して片目を隠すようにかぶり直す。
そして、唐突にバサッと黒いマントを翻して、大げさな身振りで顔を片手で覆う怪しげなポーズを決める!
「……フハハハハ、聞けっ! 今こそ、闇の使徒の助力を与えてしんぜよう! だが、闇の使徒たる我との契約……それは悪魔との契約と同義なり……問おうっ! 諸君にはその覚悟があるかね? これより先は深淵たる闇の世界……さぁ、覚悟があるのならば、共に潜ろう……どこまでも!」
そんな芝居がかったセリフが並べられる。
……絵に描いたような厨二演出!
遥提督自身、こう言う演出が大好きで、機会さえあれば、自分もやってみたいと夢見ていたお年頃なのだ。
だが、実際にそれを目にした司令室のスタッフや幕僚も……ハルマも思わず呆気にとられる。
そして、誰もがどう反応して良いのか解らず、辺りには水を打ったような沈黙が走る。
その様子を見て、遥提督も大仰なポーズを決めたまま、ビキッと固まっている。
「……遥提督……こりゃまた盛大に、思いっきりハズしましたね。だから、大事な場面で、そう言うバカ丸出しの厨二演出はやめろと言ってたのに……。あの……今のお気持ちはどうです? なんだか、今にも死にたいって顔してますけど。あ、皆様……大変、申し訳ありませんが、しばし、肩の力を抜いてお寛ぎください。それでは少々お待ちくださいね……」
遥提督の傍らにいた灰色のブレザーを着た小さな女の子が笑顔とともにそんな事を言うと、手書きの大きな丸文字で「しばらくお待ち下さい」と言う文字が書かれたボール紙のボードをカメラに前に置いて、その視界を塞ぐ。
なお、文字だけでなく、チューリップと亀と太陽らしきイラストが描かれているのだけど、なんでそれなのかはさっぱり解らない。
右下に小さく「By あまぎり」とか書いてあるので、これは天霧が自分で書いたもの。
なんで、こんなものを用意してたあったのかは良く解らないが……。
案外、よくある事なのかもしれない……そんな場違いな感想をハルマも抱いた。
もっとも、必然的にそんな落書きが司令室のモニター全てに写りっぱなし。
消そうにも、どんな操作も受け付けない……。
なんと言うか、もはや先程までの悲壮な空気はかけらにも残っておらず。
ハルマも予想外の展開に苦笑すると椅子に腰掛ける。
「……み、みっともないところを見せてしまった。お待たせしてすまないな!」
テロップが放り投げられて、先程の遥提督がモニターに復帰する。
心なしか顔が赤いのは、先程の厨二演出自爆の結果なのだが。
それをツッコむのは野暮……と言うことで、ハルマも見てみないふりをした。
「いや、気にしないでくれ。まぁ、悪くない手段だな。こちらの緊張を解して、それなりの信頼を得る。見給え……我々はある意味総崩れだ。もっとも、皆……緊張しすぎていたからな。粋な演出に礼のひとつでも言わせてもらおう」
そう言ってハルマは紳士的に笑う。
この手のナイスミドル系に弱い遥は、思わず腰砕けになりそうになっていたのだが。
そこはそれ……かろうじて耐え忍ぶと、キリッと真面目な顔を取り繕ってみせた。
「うむっ! お気遣いに感謝せねばな……無銘諸君」
無銘……祖国の軍服も着ず、公式にはその国と一切の関わりを持たないと称される、紛争地域などの非公式戦に投入される戦闘要員の通称だった。
状況次第では即座に見捨てられるし、本国に戻ったところで、個人記録にはその戦果が残ることはない。
例え作戦中に戦死しても、公式に戦死したと扱われる事も無く、如何なる戦果をあげようとも称賛される事もない。
戦死した無銘は、基本的に訓練中の事故により死亡……もしくは行方不明とされる。
遺族にもそのような扱いと共に死亡通知がなされることとなる。
それが無銘と呼ばれる汚れ仕事専門の戦士達だった。
そして、ハルマ達は間違いなくその無銘の戦士達だった。
「やれやれ、無銘の存在を知ってるとなると、君の言葉を借りると相当深い闇に潜っていた……そう言う事かね」
「んー、ああ、そうだね……紛争地帯に現れるやたら戦慣れした国籍不明の謎の武装オジサンとも言うね。紛争地帯ってのは、そんな無銘戦士や覆面紳士、そんな奴らの仮装パーティーって相場は決まってるからね……。かく言う私もそんな仮面の淑女の一人ってわけさ」
「なるほど、そんな仮装パーティーの常連ともなれば、闇の使者とも名乗りたくもなるか。納得だな」
ハルマの言葉に遥提督も仲間を見つけたとばかりに、表情を明るくする。
「……思ったより、話がわかる人みたいだね。うん、気に入ったよ……クスノキ・ハルマ特務大佐殿……」
特務所属故に、一般には公開されておらず、エスクロン国民にすら、所属も本名も伏せられているハルマ大佐の名を呼ばれたことで、誰もがざわつくのだけど、ハルマは手を上げて、全員を黙らせる。
「いかにも……私は、エスクロン宇宙軍、ケスラン派遣軍事顧問団団長のクスノキ・ハルマ特務大佐だ。もう一度聞くが、どちら様かな? この場では無銘の一人であり、公式データベース上でも、伏せられているはずの私の名を知っていて、エスクロン規格の最新鋭無線暗号化システムに平然と割り込みをかけてくる……さすがに並大抵の手合ではあるまい。闇の使者殿よ」
派遣軍事顧問団……要するに、エスクロン宇宙軍の国外派遣部隊の司令船ともなれば、本国からの秘密指令などを受理することもあって、殊の外頑強なセキュリティがかけられている。
具体的には、リアルタイムで変動を続ける暗号キーを本国暗号化サーバーより受信しつつ、本命の暗号化された通信データを受信する。
対応する暗号データと暗号キーが揃ってさえいれば、普通に受信できるのだが。
暗号キーが受信出来ないと意味不明のデータとなる……簡単に言うと、こんな仕組みだった。
暗号キー自体はエスクロン本国の堅牢無比の暗号化サーバーより管理され、リアルタイム送信されているので、外部よりの解読や介入は不可能なはずだった。
その最新鋭のセキュリティを容易く抜いてくる……この時点で、十分以上の脅威だとその場の誰もが認識していた。
こうなってくると、最初の妙なズッコケもこちらを油断させるための演出だったのでは……そんな疑心暗鬼にも似た思いを抱くものも居たのだが……。
それは、深読みがすぎると言うものだった。
「はっはっは。ご評価いただき、誠にありがとうだ。なぁに、状況は理解しているよ。困難な状況で良く耐え忍んでいるといわせてもらうよ。私は裏門集……実働部隊、暗剣艦隊司令天風遥。貴官らの助太刀にまいった……以後、お見知りおきいただこう」
同業者……生粋の戦争屋。
ハルマの率直な感想がそれだった。
それにその噂だけなら知っていた。
銀河連合軍内に、独自の権限を持ち、独立した戦力を持ち、いくつもの諜報組織を傘下に持つ強大な諜報組織が突如出現したと。
エスクロン第三課……本国諜報部門とも度々接触があり、ハルマ大佐の所属する宇宙軍特別秘匿任務部隊にも、絶対に敵対だけはしてはならないと警告されていたのだ。
「例の組織の者か……噂だけなら知っているよ。遥提督……銀河連合軍でも有数の名将と聞き及んでいるが、こっち側の住民だったとはな……なんとも、因果な話だな」
「へぇ、まだまだマイナーだと思ってたけど、そうでもないんだ。むしろ、BDSの悪名の方が有名なんだがね……」
「一応、君と私は同業者と言えるからな……。義弟程ではないが、宇宙の裏事情にはそれなりに詳しいと思ってくれ。だが、助太刀とな? 確かにありがたい話ではある……単刀直入に言うが、こちらはとにかく、時間が欲しい。一時間後には、こちらの最高精鋭部隊が来援する。そうなれば、あのような無駄に大きいだけの大砲船……一蹴してくれるはずだ。だが、向こうは30分後に総攻撃開始と通達してきた……この時点で、かなり難しい状況だという事は解ると思う」
「そのようだね。まったく、1000隻の民間船の総退去ともなれば、2-3時間はかかるだろうに……30分なんて無茶振り……となると、もはや交渉は決裂したってところかな? もうちょっと粘ってほしかったんだがな。今やりあっても、どちらもデメリットの方が大きいと思うんだけどね。ねぇ、ここはちょっと腹を割って話さないかい?」
「いいだろう。まず、我が本国からは、交渉決裂の報はまだ入っていない……。現場への指示も現状維持に努めるのが最優先、こちらからは絶対に手を出すな……。これは当初からの方針どおりではあるな」
さすがに直球でエスクロンの名を出さない辺り徹底しているな……遥提督もそんな感想を抱く。
「なるほどね。あのイケメンさん……クリーヴァ相手にまだしぶとく食い下がってるのか。いや、すまんね……君達のトップは思った以上にやり手のようだ……困難な交渉で席を蹴らず、蹴らせずしぶとく食い下がる……簡単なようで、至難の業だ。だが、そうなるとこの状況はどうなんだ? トップ交渉も終わっていないのに、現場では、お構いなしで最終通告じみた通告を仕掛けるなんて……意味が判らん。クリーヴァってのは上と下の意思疎通も出来てないのか?」
「ああ、上も判断に窮してるようではある。トップ交渉はむしろ、ボスの理詰めと恐喝を交えた絡め手で、ワンサイドゲームになってるらしくてな……。恐らくはここは、相手に譲歩させた上で、詫びにいくらか金握らせて、手打ち……そんな流れは確実だと聞いてるんだが。現場サイドではむしろ、ハルノート突き付けて来やがったんだが……いったい、これはどうなってるんだろうな?」
「なるほど、札束でぶん殴って解決……妥当な決着じゃあるな。参ったな……政治的にも満点な決着じゃないか……。あの人、やっぱり思った以上の傑物だな……。けど、そうなるとこの現場の状況は確かに不可解だな」
「ああ、事前に時間を区切って、そこまでに交渉がまとまらなければ、トップ交渉も問答無用で打ち切る手はずになっていた……そう言う可能性もあるが……。まぁ、断言は出来んし、交渉をまとめるのは上の仕事だ。我々はトップ交渉が決裂するにせよ、妥協するにせよ、この中継港を事実上占拠していると言う現状を維持する必要があるのだ。ここを抑えている事が、重要な交渉材料でもあるからな。前提条件が変わってしまうと交渉も台無しになる。必然的に我々もここは退けないのだ」
「しかしながら、相手はどう転ぼうが本気で30分後には容赦なく撃って来る。そう言う事か……。実際、すでに次弾装填済みで照準もセット済みのようだしな。現状を鑑みて、現場判断で安全第一って事で撤退の決断を下す……。うん、非の打ち所のない対応だ。アタシでも、多分そうする」
「なにぶん、奴らがその気になれば、我々程度では一蹴されてしまうのが実情だ。敵の司令官のカレギオもこれまで幾度となく無茶な暴発を繰り返してきたような粗暴な男だからな……。まっとうな良識を期待できるような者ではないのは、我々もよく知っているのだ」
クリーヴァ戦闘艦隊司令ガル・カレギオ。
この時代の現代人とは思えないほどには、好戦的かつ無謀な司令官で、スターシスターズ達の艦隊に意味不明の理由で仕掛けてきたり、臨検と称する略奪から逃げようとした民間船を沈めるなど、いくつもの問題行動を起こしてきた……悪名高いと言う形容詞が付く……そんな人物だった。
当然ながら、恨みも買っており、どこぞのPMCによる暗殺ミッションの標的とされ、ヘッドショットをもらって即死したとか、ちょっかい出した銀河連合艦隊の反撃で乗艦爆沈など……。
確実に死んだと思われる状況も何度かあったのだが、そのたびにしれっと復帰を遂げている。
再現体の可能性も問いただされているのだが、正規再現体リストに彼の名はなく、その正体は不可解な部分が多い、謎の人物でもあるのだった。
「なるほどね……。クリーヴァの怪人、不死身のガル・カレギオ。噂くらいは聞いたことあるし、アタシもそれっぽいヤツの乗った海賊船を沈めたこともあるな。なんとも胡散臭い野郎だ……いったい何を企む? まぁ、数々の実績がある以上、最悪の可能性を考えてって事か。けどさ、30分後に攻撃開始とか言ってるけど、そう言う事ならアレって、結局ハッタリなんじゃないの? アタシはもうちょっと状況について、明るいんだけど、はっきり言って、向こうはほぼ詰んでるんだけどな」
トップ同士が交渉決裂しておらず、むしろ妥協ムードになっているにも関わらず、明らかに無理な時間を区切っての退去勧告。
そうなると、相手のトップが交渉中に仕掛けるような極めつけの馬鹿か……。
或いは、現場の翻意……勝手働き。
命令の取り違え。
もしくは、単なるダメ元のハッタリ……このいずれかだと遥提督も予想していた。
現状を鑑みると、30分以内の退去と言う言葉は、そもそも要求の時点で不可能だと言うことは少し考えれば解る。
エスクロンとクリーヴァの抗争は、ゼロCEOの卓越した交渉力とその強大な資金力を背景に、相手の妥協を引き寄せつつある。
ハルマの情報は彼の立場からすると極めて正確な裏情報だと知れた。
だが、現場サイドはトップの意思に反して、明らかな暴走の兆しが見えていた。
(とは言ったものの。もしもこれがハッタリではなく、現場の暴走だとすれば……流れ自体は悪くないけど、大変なことになるかも知れない……)
ハルマ達が知らない……これから起きる事を知る立場故に、遥提督も焦りの色を隠せないでいた。
様々な勢力の人々の様々な思いが交錯しつつ……その時は迫りつつあった。




