欄外7:「フィルゼナ・ロゼ・フォン・バンクツアート」①
この私としたことが……思わず状況に流されてしまった。
私の指揮するシュバルツシルトを撃退したエスクロンの強化人間。
それとの直接接触を試みた結果。
相手はなんと子供……その上思い切り、懐かれてしまうと言う想定外の状況になってしまった。
おまけに、良く解らないうちに、服まで着替えさせられて、浴衣と言う古代日本の民族衣装を着せられる始末。
着慣れないのはもちろんなのだけど、この浴衣と言う服を着る時は、下着を着用してはいけないとかで、こんな薄い生地一枚で下は裸……これは、さすがに落ち着かない……。
なにより、自分は一体何をやっているのだ?
任務を放棄して、女の姿に戻って、敵の強化人間とお祭りを心から堪能しているなんて……。
こんな事をやってて良いのか? もう何度目になるか解らない自問自答。
けど、同時に……子供の頃、絵本で見た古代日本のお姫様が着ていた和服を着てみたかったという願望を叶えられたことで、はしゃいでしまっているのも事実だった。
鏡に写った自分。
そこには、幸せそうに微笑む私がいた……。
……我ながら困った話だった。
古くから代々続く騎士の家系バンクツァート伯爵家。
それが私の家だった。
帝国騎士の義務はただひとつ、戦地に赴き兵を率いる士官として、帝国のために戦う。
帝国の守護騎士たる名誉ある家系の誉れある戦い。
けれど、インセクターとの戦いは、長く厳しいものだった。
我が家の男達は皆、勇敢に最前線で戦い……一人、また一人と散っていった。
やがて、気が付けば、男子は全員居なくなり、我が家には女子しか残らなかった。
本来ならば、その時点で家名はお取り潰しとなるはずだったのだけど。
古き血筋の騎士の家は、シュヴァルツでも希少とされ、戦死した兄の身代わりを立てることで、存続が許される……そんな話になった。
まぁ、実際のところは政治的な都合……そう言うことだった。
もちろん、養子をとって、私がその男に嫁ぐなど色々あったのだが。
長女だった私が兄の名を受け継ぎ、バンクツァート家当主となり、伯爵の称号も受け継ぐ事になった。
……あの日から、私は女であることを捨て、帝国騎士として生きることを余儀なくされた。
今まで、それを誇りにして生きていたのだけど。
こんな異国の地で、一人の女性として、穏やかな時間を過ごす。
ほんのちょっとだけと言い訳しながら、彼女の誘いに乗ってしまったのが運の尽きだった……。
鏡に写った自分の本来の姿に、すっかり舞い上がってしまい。
物腰や歩く仕草すらも、もうすっかり女に戻ってしまっていて……それが何とも心地よくもあった。
なんと言うべきか……。
本来、私は何も知らない貴族令嬢に過ぎなかったのだ。
人生の目的と言っても、シンプルに誰かに嫁ぎ、良き妻、良き母となる。
シュバルツの……それも上級貴族の家に生まれた以上、それが当たり前だった。
……そう言われていたのに、実際はお家とお国の都合で戦場……最前線の貴族士官の道へ……。
短期教育の士官学校の門扉をくぐったあの日から……私は女であることを止めた。
そう決めたはずだったのに……。
よりによって、敵地でこんな風に女の姿になって、その事に喜びを感じてしまっている。
……私は……無理をしていたのかもしれない。
総統から下された命令は、ターゲットの確実な抹殺……。
その為に、情報部は入念な準備を重ねていたらしかったが……。
結果は失敗……けど、それはそれで構わなかった。
あのような下劣な策……言語道断である。
何も知らない民間人を巻き込み、救助に来たターゲットを背中から撃つ……。
誰が考えたのだか知らないが、卑怯にも程があった。
その上、子供を殺すような恥知らずな真似……。
そのような外道な行い……命を賭して、名誉を捨ててまで、遂行する理由はなかった。
……騎士としても、私は何ら恥ずべくところはなかった。
異世界人類相手の戦争も一向に構わん……だが、せめて恥ずべき戦いはすべきでない。
騙し討や卑怯な手で一時的に勝ったとしても、それは相手の恨みや怒りを買うばかりなのだ。
トール副長を斬ったのは、やりすぎだったかも知れないが……あれは私の純粋な怒りの現れだった。
その程度には、私はシュバルツの……総統のやり方に怒っていたのだ。
その上、ターゲットにも、こんな調子で懐かれてしまったからには、もはや任務の遂行など出来るはずもなかった。
情報部がこちらにターゲットの詳細情報を提供しなかった理由も納得だった。
それにトール副長も……。
ああまでターゲット抹殺に拘っていた割には、私には情報を与えようとせず、それが不信感に繋がってもいたのだけど……今となってはその理由もよく解る。
エスクロンの新世代戦闘用強化人間。
人間自体を兵器化すると言うところまでは、こちらの強化サイボーグなどとそう変わりないのだけど。
彼女はその中でも別格だった。
推測では、索敵能力に特化したタイプの強化人間ではないかと言われていたが、とんでもない。
よもや、3000kmの彼方から、最新鋭ステルス戦闘艦艇シュバルツシルトを捕捉し、この私を怯ませるほどの剣気を放ってくるとは……。
偶然出くわしたこの少女がその張本人だなんて……最初はとても信じられなかったのだけど。
それは事実だと認めざるを得なかった。
困った……本当に困った。
最初は単なる興味本位だった……。
どんな奴なのか、見て……場合によっては、一戦交える気でいたのだ。
同行していたベルンハルト中尉やグスタフ曹長は、あまりに目立ち過ぎると言う事で、適当に撒いてしまったのだが。
その結果得た、つかの間の自由につい浮かれてしまって、挙げ句、賑やかそうなお祭りをやっているのを見て、遠くから見る程度のつもりで、この学園に忍び込んだのだけど……。
まさか、こんな事になるなんて……。
……私は、どうすれば良かったのだろう。
なんで、私はこんな状況にも関わらず、何処か楽しんでいるのだろう?
「うううっ! フォルゼお姉さーんっ! ユリ、一匹も取れなかったのです……」
ターゲット……いや、ユリコちゃんが悲しげに私を見上げる。
今彼女がチャレンジしているのは「金魚救い」と言う変わったゲーム。
ティッシュペーパーのような薄っぺらい紙のネットを使って、赤くて小さな金魚と言う魚を掬い上げる。
ネットが破れたら、ゲーム終了……ネットを破かずに金魚を掬えたら、金魚はそのままお持ち帰りと言うルール。
ネットが破れない限り、金魚はいくら掬ってもいい事になっているらしい。
我がシュバルツにもかつては、ビールかけ祭りとか、ビール工房選手権だの、色々あったらしいのだけど。
今は、戦争一本槍だから、そんな余裕はなくなって久しかった。
もう少し我が国の国民も人生を楽しんでいいんじゃないかと、心から思う。
「……なるほど。これは、捕まえようと思えば思うほど、逃げられる……そう言うもののようだ。いいかい? 獲物を狩る時は、まず無心になるんだ……。相手に気取られずに……静かにゆっくりやってみるといいよ。次は取れるんじゃないかな?」
「……無心、静かに……なのです。あ、やった! 乗った! って、ああーんっ! 暴れちゃ駄目なのですーっ! ううっ、もうちょっとだったのに……」
惜しい……。
網に乗せるところまでは良かったのに、水の外に出た瞬間金魚が暴れて、網が破れてしまった。
けど、先程までのように勢いよく網を水に入れて、金魚に触れるまでもなく破ってしまっていたのに比べると、格段の進歩だった。
「つ、次こそは出来るんじゃないかな?」
そう声をかけると、なんだか、無言で網を差し出される。
「…………」
どうやら、取って見せて欲しいと言うことらしい。
正直、やってみたくてウズウズしてたので、遠慮なく受け取る。
「では、この私が見本を見せてあげよう……いざっ! 参るっ!」
キュキュッと着物の袖を捲くる……この辺は、ユリコちゃんを見ていて、真似ることで覚えた。
この浴衣と言う服……意外と機能的に出来ているのだ。
息を止めて、気配を殺す……隣で身を乗り出すようにしていたユリコちゃんにも同様に気配を消すように促す。
ユリコちゃんも目を閉じ、浅く呼吸……さすが……。
目を閉じると、そこに居るのに解らない……ほぼ無の境地に達してる証左だった。
やがて、怯えたように一箇所に固まっていた金魚が徐々にバラけ始めた。
これで、ハードルが少し下がった……さっきまでは、固まってしまっていて二匹とか三匹が網にかかってしまっていて、それもまた網が破れる原因となっていたのだ。
戦いにおける基本は、各個撃破なのである! 数的不利な状況で戦うと言うのは、単なる蛮勇でしかないのだ。
タイミングを慎重に見極めて、一気に網を水の中に差し入れて、金魚のお尻から持ち上げるように浮かせて、お椀の中に放り込む。
「どうだい? 完璧だっただろう?」
うん、一発で決まった……。
初挑戦で完璧に決めるとは、さすが、私だ……思わず、顔も綻ぶ。
狩りは得意な方なのだ。
こう見えて、少女時代の頃、祖父のライフルを片手に鹿を狩ったりもしていたのだ。
妹達を飢えさせない為に、必死だった。
「すっごーいっ! フォルゼお姉さん、一発なのです!」
「これは……狙撃や抜き打ちに通じるものがあるね……。君ならすぐに出来るんじゃないかな? とにかく、殺気を消し、逸らないことと、水の流れ、金魚達の隙を見極めること……多分、それがコツなんだと思う」
言いながら、次々と金魚をお椀に掬い上げていく。
「お姉さん、すっごい上手ですね……。あ、あのあんまりいっぱい取られちゃうと、うちも困っちゃうんですけど……。一応、お持ち帰りは一人一匹までって事で……お願いします」
店番の女学生が困惑したようにそんな事を言ってくる。
気がついたら、手元のお椀には金魚が10匹以上泳いでいた……。
こんなにいっぱいもらっても確かに困るし、よく見たら看板にもそう書いてある。
そもそも、こんな小さな魚……持って帰れと言われても、こっちが困ってしまう。
ユリコちゃんの話だと、食べられなくもないけど、美味しくもないし、かわいそうだとのこと。
シュバルツシルトの私室に水槽でも置いて、飼うのも手かなとも思ったのだけど。
それ以前に、私に魚の育て方なんて解らない……帝国貴族の嗜みでそう言うのもあるとは思うのだけど。
我がバンクツァート伯爵家は、そんな道楽とは縁がなかった。
「さすが、フォルゼおねーさまなのですよ! ユリ、金魚さん飼ってみたかったのですっ!」
そう言って、ユリコちゃんが私の腕に抱きついてくる。
この年頃の女の子と言うのは、皆、こんなのだろうか?
我が国では、こう言うのはあまり見ないのだけど……彼女が言うには、割とよくあるらしい。
よくあるのなら仕方がない……。
邪険にするほど、私も大人気なくもないので、なすがままにさせておく。
異国の文化ということなら、納得だし、満更でもなかったりもする。
なんと言うか……故郷の妹達を思い出してしまう。
妹達……二番目の妹は高校生で、その下となると中学生と小学生がそれぞれ二人……。
子沢山ながら、我が家は男手に恵まれなかったのだ。
休暇で帰省すると、揃っておねーさま、おねーさまと、とても騒々しい……。
お姉さまではなく、お兄様と呼べと言ってはいるのだけど……。
妹達にとっては、私はいつまで経っても、大きいお姉ちゃんこと、フィルゼナお姉ちゃんなのだから……。
お姉ちゃんはもう居ないんだから……なんて言っても、それで通じるわけがなかった。




