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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕滅運動

作者: 高階歩玖

怖い。

だけどそれ以上に怖いと感じることに耐えられなかったから。


机のスタンドライトが僕の顔を白く照らす。

今はこのライトの光が届く範囲が世界の存在する範囲だ。

その中で僕の存在はあまりにもデカイ。

ほとんど僕じゃないか。息苦しい。

自分の吸った空気が吐き出されてすぐにまた僕は呼吸するから僕はほとんど僕が呼吸した空気を吸ったり吐いたりしている。

気持ち悪。

牛が胃の中に入った食べ物を何度も口まで戻して噛んでいるようなものじゃないか、それって。


イスから立ち上がって、僕が吸っていない空気を求めてうろうろする。

世界の外だから、そこは広くて暗い。

世界の外だけど、そこは勝手知ったる僕の部屋だから、怖くはない。

酸素不足の金魚のように、口を上に向けて、ひはっひはっと、空気を吸入する。

これは僕の吸っていない空気かなあ。

あれ、だけど僕は今日一日ずっとこの部屋にいる。

この部屋の空気はもうあらかた僕の吐いた息が混じってしまっているんじゃないだろか。

そんな! 気持ち悪い!


だけど窓の外の世界はもっと色んなものが混ざっていて、気持ち悪いどころか僕に毒だ。

だから僕は窓を絶対に開けない。

窓を開けたとたんに、部屋の中に工場のガス、車の排気ガス、犬の吐いた息、他人の吐いた息、砂塵、微生物その他もろもろが部屋の中に、僕の中に這入ってくるだろう。


また、窓なんか開けたら世界に僕の吐いた息が出ていってしまう。

そんな申し訳ないことは極力無いようにしたい! 

もし僕が外の毒を吸うことを代償に僕の吐いた息を部屋の外に解放したとして、その僕の吐いた息を吸ってしまった人がいたら。

僕の吐いた息を吸ったと知ったらその人はきっと「気持ち悪い!」と顔を真っ赤にして泣き叫んでしまいには呼吸困難に陥って死んでしまうだろう。

僕は他の人には無害でありたい。そう、他の人には。


僕は僕に対して有害だ。さっき「腹減ったな」と考えている時に気づいてしまった。僕は「腹が減った。何か食べたい」と考えているのに、同時に「腹を満たすために部屋から出て行って食物を探しに行くのは嫌だ」とも考えていたのだ。まるで僕の中に別の僕がいるみたいだ。


僕の中にもう一人の僕がいる。そう気づいた時、全てに納得がいった。学校に行くのはアイツらがいるから嫌だと考える一方親がうるさいから行かなきゃいけないと考えるのも、廊下をふさぐように広がってたむろしている女子を邪魔消えろと思っているのに実際は謝りながら端を通らせてもらってるのも、自分なんか死ねばいいと思ってるのに中々死なないのも、全部僕の中の、僕のせいだ。


僕の中にもう一人の僕がいる。

そいつは僕とは違って臆病で人の顔ばかり窺っていて、見ていてイライラする人間だ。

僕は違うのに、たまにそっちの僕が邪魔をするから、肝心なところで僕は僕じゃなくなってしまう。

だから僕は怖くなる。このまま僕の中にもう一人の僕が居続けたら、僕はどうなってしまうんだろう? 

もう一人の僕は臆病で人の顔ばかり窺っているイライラするような人間なのに、僕はそいつが怖い。

この僕に抗えない僕はそいつ以下ってことなんだよといつか誰かにそう言われるんじゃないかと、怖い。


あるいは、それも僕なのか。

イライラする駄目人間が真正の僕なのか。

そうやって認めてしまうと、より一層僕が僕に乗っ取られていくスピードが増すような気がする。


このままじゃいけない。僕は僕を取り戻さないと。


僕はもう一人の僕と対話できない。

体は一つで脳みそも一つ。僕は結局のところ僕なんだけど、たまに違う僕だから、どうしようもない。


理性で対話できないのなら、思い知らせてやるしかない。

この体は、心は、僕のものなんだって。


僕から出ていけ。お前は消えろ。


右手の付け根を頭の横に持ち上げて、少し頭から離してから、左に力一杯振った。

ドン、という音が頭に響く。

けどあまり痛くはなかった。

今度は拳を作ってやってみたけど、指が痛くなった。


もう一人の僕の中心は頭だ。

体が無いんだから中心は思考の中心である脳みそと考えていいだろう。

指を痛めつけるより、頭を痛めつけた方が、追い出すには良い気がする。 


ここはお前の場所じゃない。僕の場所だ。


電子辞書を手に取って、角を頭に強打してみる。

痛い。でも耐えられる。

耐えられる痛みじゃ駄目なんだ。僕が悲鳴をあげて僕から出て行きたくなるような恐怖を与えてやらないと。

でなければ、僕は僕に勝てない。


机の端を掴んで体を固定させて、額を机に打ちつけてみた。

ガンガンガンガン。

ぐらぐらと揺れるのは、学習イスの脚の部分のローラーが動くせいだろうか。

それとも僕が揺れ動いているのだろうか。

どれもう一度。ガンガンガンガン。

勢いあまって鼻まで机に打ちつけてしまう。

鼻の奥が爽やかになって、目の奥がじゅわっとする。それから顔面が熱くなる。


うつむくと、ぼたっと鼻血が垂れてきた。

口まで伝ってきて、口内が鉄の味で満たされる。

気持ち悪い。


気持ち悪さを感じるってことは、少しは僕にも効いたってことだろうか。

そろそろ出て行きたくなってきただろうか。

なあ僕どうだ。まだ僕の中にいるのか。


机の引き出しからカッターナイフを取り出す。

目の前に掲げて、キチ、キチ、とゆっくり刃を出していく。

僕の中の僕に見せつけていく。

十分な長さまで出したら、それを剥き出しにした左腕に当てる。

皮膚が切れないようにゆっくり、焦らすように刃を腕に行き来させる。

そうやって左腕を嬲る。

錆びた刃が体をこする感覚に眼圧が上がった気がする。

それは所謂、恐怖。僕はまだ恐怖を感じている。

僕がしていることに僕が怖い思いをするのは僕が僕のすることを理解していないから。

まだ、こいつは僕の中にいる。僕だけだったら、僕のことなんか怖くないはず。


僕が僕だ。お前は僕じゃない。怖いんなら出ていけ。


念じて、素早くカッターを左腕に押しあてながら引こうとした。

けど、出来なかった。

ヂッと刃が最初に皮膚に這入ってきたところで、右手が動くのをやめた。


「あ……」


僕だ。

とうとう僕が出てきた。

恐怖を感じる僕が痛みに恐怖を感じて僕の行動を阻んだ。


僕は僕が僕の行動を阻むのを、阻めなかった。


僕の負け。


リベンジ。

目をつぶって腕の内側の柔らかいところを意識してカッターをぶつけた。

勝った。ざまあ!


目を開けると腕に一本投げやりな赤線が入っていた。

だばーと血が溢れてくる。

あまり痛くなかった。そして怖くなかった。

やった、僕が出て行ったのか!

確認の為に、髪の毛を掴んで引きぬこうとする。

頭皮が引っ張られる感覚に涙が滲んで萎えた。

駄目だ、僕が僕から逃げたのは一瞬のことだったようだ。


一体どこまでやれば僕は僕に白旗を上げて出ていってくれるのか。

鼻からだらだら血を流しながら考える。

腕からつるつる血を流しながら考える。

僕が僕のすることに恐怖や違和感を感じなくなったら勝ちだと思うんだけど。

僕は僕自身がすることを完璧に理解しているから。

僕のすることに恐怖や違和感を感じるのは、まだ僕の中に異物の僕がいる証拠だ。

だから僕が僕を痛めつけるのに恐怖を覚えたり体を止めてしまったりするのをしなくなれば僕が消えたことになると思うんだけど。

なあ僕、そうだろ?


さっきから世界の外がうるさい。

誰だ部屋の扉をしっちゃかめっちゃかに叩き続けている不逞の輩は。

ここは僕の世界だぞ僕の世界には僕だけがいていいのになに這入ろうとしてるんだよそんなことしたって僕の部屋には鍵がついてるから這入れないんだよばーーーーか。


僕を懲らしめるのを再開する。

僕はここにいてはいけない。

だから消えろ。失せろ。いなくなれ。

僕は僕がいなくなるまで僕の撲滅運動をやめないぞ。

略して僕滅。仏滅みたいな。


それとも。

僕の拠りどころである僕の体が無くなれば僕はいなくなるんだろうか。

だけどそんなことしたら僕も死んじゃうから元も子もない。

僕は生きたい。僕無しで。

そうだ、僕がいるから僕はいつか死にたいなんて考えたんだろう。

でも臆病な僕がいるせいで僕は中々死ななかったんだろう。

僕がいなくなれば僕は死ななくていいんじゃないか?

僕は僕だけで十分。

僕の僕による僕の為の僕滅運動は、僕が消えるまで止まない。

僕じゃない僕が怖いから。


怖い? どうして僕のことなのに僕は僕が怖いんだ?

いや待て怖いのは僕じゃない僕が僕の中にいることだ。

でも僕が僕の中にいることが怖いのは僕が僕の中に僕がいるということを完璧に理解していないからじゃないのか?

じゃあ今僕の中に僕じゃない僕がいることを怖がっている僕は実は本当の僕じゃないってこと?

理解できない僕に恐怖を感じて僕を追い出そうとしている僕は本当の僕じゃないってこと?

僕は実は僕じゃなくて僕の中に僕じゃない僕がいることを怖がっている僕じゃない僕なのか?

じゃあ、本当の僕は、


本当の僕ってなんだ?


いつまでが本当の僕でいつからが僕じゃなくなった?

僕は僕じゃないのか?

証拠は恐怖だ。あらゆる僕に恐怖を感じる僕はそれは僕じゃなくて僕の中の醜い僕だ。

醜い僕は僕じゃないのか?

何が僕なのか誰が僕なのか僕は僕なのか?



さっきから本当に世界の外がうるさい。

物事を理路整然と考えさせてくれない要因の一つ。外界。

外は間違いなく僕じゃないことは少し安心するけど、それ以外は不快なだけのパロディだ。

何のパロディかって、醜い僕のパロディだ。

僕じゃないのに僕の真似をする不快な不快なパロディ。

明らかに僕じゃないって分かることだけが唯一外界の良心的なところ。


少し眠ろう。

そうすればまた頭ははっきり動くようになるだろう。

それに寝ている間に僕が僕から出て行ってくれるかもしれない。

っていうか出てけよ死んどけよ消えとけよ。

手と手を合わせて僕は僕に拝んでおいた。なむなむ。


外がきんきんとうるさかったけど今はそれより眠気が勝っているからさほど気にならない。

ああ、僕は今何も怖くない。

僕は今唯一の僕だ。

眠るということには恐怖など全く感じなくて安心感しか覚えない。

横たわったせいで止まらない鼻血が喉に垂れてくるけどぬるぬるの左腕が床をベッドを血で汚していくけど頭皮がひりひりするけど気にならない。怖くない。不快じゃない。

僕は今、僕だ。

他の僕はいない。確かに感じる。僕しかいない。

僕は僕だ。ああ、ああ。僕がいる。


おやすみ。

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