第3話 第3話 コレ(顔の強いオッサン)からコレ(ゴージャスネコ目美女)が生まれるという遺伝子の神秘
200320:サブタイトル変更
◇一宮:四歳 ??:一歳 八月下旬
さて、ちょっと人には見せたくないタブレットととの再会を果たした7日後。
飛び過ぎじゃあねぇか、と思った方。
仕方ないじゃん。ドクターストップでトイレとご飯以外寝かされてたから、話すようなことないんだもん。
タブレットの確認とか平安時代のおさらいとか役に立ちそうな資料集めなんて最初の3日くらいで終わっちゃったし。
あとはずーっとだらだらするか、寝るか、買ったはいいけど読んでなかった電子書籍とか読んでた。タブレットなかったら退屈でキレてたわ。
一応、女房達やお見舞いに来てくれた右大臣のお爺たちの話に聞き耳立てて、今の情勢がどうなってるか把握しようとしたんだけど、だめだった。
皆、病み上がりの数え4歳児にそう言うこと聞かせないようにしてるみたいで、わかったことといったら、
1:私が病にかかる1か月くらい前、つまり6月くらいに異母弟二宮が生まれた。
2:私が生まれる24、5年前に政変があった。
この二点くらいだ。
とはいえ、その異母弟二宮君と私がどういう関係になるのかは、まだわからない。
帝のお妃の位は、正妻である皇后(中宮とも呼ばれるけど、詳しい説明はパス)、皇族・摂関・大臣クラスの娘がなり、皇后に昇進することもある女御、納言以下の娘がなる更衣なんかがある。
もし二宮君の母親が女御で、祖父右大臣と同格クラスの大臣の娘とかだとしたら、私と皇位を競うことになるだろう。別に帝になりたいとは思ってないけど。
二宮君の母親が更衣だった場合は問題ない。更衣は基本的に、大臣より下の納言クラスの娘がなるものだ。うちのお爺のほうが地位は上なので、競争者にはなりえない。
この時点では、情報がないから判断し辛いから、とりあえずパス。
そしてその2。
こっちも正直詳しくはわからない。
とにかく、政変があったこと。お爺とその父(私の曾祖父)はそのことが原因で権力の中枢から離れていた時期があるということだ。
しかし、お爺は今は右大臣、権力のド中枢にいる。
と、いうことは、お爺は負け方にいたけど、ダメージをもろに喰らうほどの地位にはいなかったのかな?それとも、お爺の血統がお爺自身を守ったか。
藤原氏で右大臣にまで登っているってことは、嫡流に近い血統か、よっぽど優秀で抜擢されたかってことだもんなあ。でも、ちょっと年取ってるから「嫡流じゃないけどそこそこいい血筋で政治力がある」って感じかな?
男性貴族の常として、お爺は日記をつけているはずだ。そしてこの時代の男性貴族の日記は、宮中儀礼や政務のことを記録する「半公式文書」の一面もあったから、それを読めば何がどうなって政変が発生したかつかめると思うんだけど……。
数え4歳のガキンチョが急に日記読みたいっつったって、何言ってんだコイツなんて言われるだけだよなー。一宮くんの記憶によると、私はやっと読み書きを習い始めたばっかりらしいし、そもそも読めるわけないか。
ま、これも保留だな。
と、いうわけで、
「よいか一宮、床から上がっては良いが、そなたはまだ病み上がり。走ってで遊んだりしてはならぬぞ」
「はい、母上」
中務に服を着せてもらいながら、そう言って釘を刺してくる母上にいい子ぶって答えた。
さて、私が今着ているのは、“半尻”ってやつだ。
わかりやすくいえば、子供用に作られた狩衣だ。後ろの裾、つまり“尻”が通常の狩衣より短いから“半尻”と呼ばれる。袴は“前張大口”という、なんつーか……まあパッと想像できる男物の袴の小型版。
髪型は“目指し髪”、いわゆるぱっつん前髪のおかっぱだ。三~五歳ぐらいの子供の髪型だね。
え、平安時代の子供って、あの八の字のみずらなんじゃあないのかって?違うんだな。
みずらは元服の数年前にする髪型なんだ。しかも、八の字みずらはすでに平安時代にはすたれていて、耳の前でくるっと輪を作って毛先を垂らした「下げみずら」と、毛先をきちんと仕舞った「上げみずら」の二種類のみずらが使われていた。
そこに行くまでにいろいろあるんだけど……ま、その時々に説明するよ。
ぎゅっと帯を締めてもらい、着付けが終了した。
……うん、袖が邪魔。
今まで寝間着しか着てなかったから、油断すると踏んでしまいそう。
さて、私がひらひらの袖を眺めていると、私のおかっぱ頭を撫でた母がこう聞いてきた。
「さて、一宮。体のほうはどうじゃ?痛くはないか?苦しくはないか?」
ちなみに今日二回目です。一回目は朝起きた時。
「大丈夫です、母上。ぼく、とっても元気です」
私がにっこり笑って答えると、母はじっと私を見て、ちょっと微笑んだ。本当に元気だとわかったらしい。
まったく、母上は心配性で困るぜ。
「でも、きょうは静かに絵物語でも見ています」
「そうじゃの、それがよいじゃろう。後で、女一宮も呼んでやろう」
「女一宮……」
「うむ」
女一宮、私の同母妹だ。名前を周子内親王という。
今年で数え二歳、10月生まれなので月齢10か月。母上によく似た、ネコみたいな目をした赤ちゃんだ。
最近―といっても最後の記憶がひと月くらい前なのだが、ちょうどはいかいからたっちを始めたばかりで、妹付きの乳母たちがあたふたしてたのを覚えている。
え、女一宮って名前なんじゃないのかって?違います。女一宮というのは、“女性の一宮”。つまり第一皇女を現す呼び名みたいなもんである。
気が向いたら説明するけど、この時代、高貴な人とか女性は本名で呼ばれることはあまりないのだ。かの有名な紫式部という名前も、著作である源氏物語の登場人物“紫の上”と、父親の職名からつけられた女房名だし。
あ、私も“一宮”と呼ばれているが、本名は隆明親王である。よろしく。
「そなたが急にいなくなって寂しそうであったからな、遊んでおやり」
「はい、母上」
一宮くん、周子ちゃんのこと可愛がってたし、周子ちゃんも懐いてたみたいだからね。しかし妹かあ……私、拳で語り合う仲の弟しかいなかったから、ちょっと新鮮……。
そんなことを母と話していたら、女房が一人にじり寄ってきた。
「失礼いたします、一宮様、女御様」
「式部」
年のころは40すぎくらいで、髪には白いものが混じっている。決して若いとは言えない女房だ。けど、顔立ちは整っていて、目元が優しくて、20年くらい前はそりゃあ美人だったと想像させる女性だ。
彼女は式部。母に仕える女房のリーダー格である。
式部は母に向かって頭を下げると、来客があることを告げた。
「右大臣と千寿君がお出でになられました」
「父上と千寿が?お通しせよ」
母上が頷くと、男が二人入ってきた。
一人は40を過ぎたぐらいの、烏帽子に直衣(上級貴族の平服)を着たちょっと小太りのおじさんだ。眉毛がもっさりしてちょっとツリ目気味で、唇が分厚い。脂ぎったブサイクなオッサンではないが、上品なイケオジサマってわけでもない。妙に力のある顔をしている。21世紀の一代でのし上がった剛腕社長って多分こんな感じだと思う。
この人は右大臣。つまり、母上の父親で私の祖父にあたるオッサンである。父親のくせして母上に似ているところは全くない。ツリ目ぐらいしか共通点がない。遺伝子って不思議。よかったね母上。
もう一人は、私と同じく半尻を着た二つくらい年上の子供だ。色白で私より少し長い垂らし髪、わかりやすくいえばぱっつんセミロングヘア。整った顔立ちに、ちょっと吊り上ったネコみたいな目が印象的だ。どことなく母上に似ている。そしてガッチガチに緊張している。
この子が千寿だろう。お爺と一緒に入ってきたということは、お爺の孫の一人とかなのかもしれない。
「おはようございます、一宮様」
「おはよう、お爺」
お爺と千寿くん?は私に向かって平伏した。
自分より30も40も年上の人に平伏されるって、21世紀一般国民小市民の私には、ちとキツイ。でも、慣れなきゃいけないんだろうなあ、ぼく、皇族だし。
お爺は顔をあげ、母上に同じように挨拶すると、私のほうに向きなおった。
「一宮様の参内でございますが、一月後となりました」
「一月後」
「はい。医師の助言を受けまして、やはり一月ほどは養生なさった方がよろしいと」
参内、即ち内裏に参ることだ。
私は平安時代の皇族の常として、そして母上が妹周子ちゃんを妊娠したこともあり、その生活の殆どを母の実家であるこの右大臣邸で過ごしていた。時々は母上の局の弘徽殿にあがって父帝に会ったりしてた……らしい。
「御礼を申し上げるのはその時に」
「うん。加持と祈祷と、お見舞いのお礼だよね」
「さようでございます」
んで、中務と兵衛の話によると、私が天然痘でぶっ倒れている間、父帝はお見舞やら坊さんを呼びつけて加持祈祷やらをしてくれた、らしい。
そして、病気が治っったらおめでとうじゃあお祝いねといろいろ下賜してくださった、らしいので、お礼言上に行かなきゃならんわけだ。
まあ私はお見舞いの品とかお祝いの品とか加持に来てくれた坊さんとか見てないんだけどね。
そういうわけで、そのお礼言上の日が一月後と相成った、ということみたい。
ま、妥当だろうね。
医者も一月ぐらいは養生しろって言ってたし、女房達の誰かにうつってるかもしれない。それに気づかず参内して内裏で疱瘡大流行☆ってなったら大変なことになるもんな。
「うん、わかった」
私が素直に頷くと、お爺もほっとしたみたいだった。
「参内の日まで、どうかごゆっくりご養生くださいませ。何か必要なものがございましたら、何でもこの爺にお申し付けください。必ず、ご用意いたします」
「ありがとう、お爺」
そこで気づいた。
うちでは、あんまり父帝の話が出ない。帝のはじめての子供だし、ちょっとくらい話に出てもいいはずだ。文が来てもいい。伝染病だったからか?
けど、それにしちゃなんだか不自然だし……前にも言ったけど、記憶は飛び飛びだしあてにならん。
うーん。
よし、聞くか。
「父上は、何かおっしゃっておられた?」
私がそう聞くと、そこにいる者達の間に緊張が走った。
母上はあからさまに眦を吊り上げているし、お爺も一瞬だけどギュッと眉を寄せ、不快そうな表情をした。横にいる千寿も戸惑った顔をしている。
おおッとォ、これはもしかして?もしかしてかなぁ?
脳裏に嫌な予想がよぎった瞬間、お爺はにっこりと笑った。
「一宮様がお元気になられたこと―たいそうお喜びでございました。参内する日を楽しみにしていると」
「……本当?」
「はい」
お爺は大きく頷いた。
ヤバいな、一宮くんってもしかして訳ありかな?もしかしてお爺が道長とか兼家ポジションで、母上をゴリ押しで入内させたとかそんなことになってたりするゥ?
「主上におかれましては、一宮様が疱瘡にかかられたことにお心を痛められ、寺社に加持祈祷を申し付けられておられました。身罷られたと奏上申し上げた際は大層お嘆きになられ……」
「そうなんだ。ぼくもありがとうって言ってたって、父上に伝えてね」
私はお爺の微妙に早口な長口上を、満3歳児のニコニコ笑顔で遮った。
その様子を見たお爺は小さくほっと息を吐き―ちょっと腹芸できなさすぎじゃない?じいちゃん。訳ありなんスよ、って主張してるもんじゃねーか。
ニコニコ笑ってるからって安心しちゃだめだよ。ほらもう、話終わらせて横にいる千寿くん?の紹介はじめてるし……。あからさまに話題変えるなよ。
「おお、ご紹介が遅れましたな。孫の千寿でございます」
「孫?」
やっぱり孫だったか。ってことは、私の従兄ってことかな?
あーあ、ガッチガチに緊張しちゃって可哀想に……。
「はい。私の息子、春継の嫡男でございます。これ、千寿」
「は、はい。藤原千寿にございます。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
そう言って、千寿くんはゆっくりと頭を下げた。まだ緊張しているらしい。油をさしていないクレーンみたいなぎこちない動作だ。
母上の兄弟の息子ってことは、この家、右大臣家とでもいうべき家柄の、富と権力を引き継ぐ候補の一人ってことか。
私と歳も近いみたいだし、遊び相手兼将来の側近候補ってとこかな?なんにせよ、仲良くしといて損はない。
「よろしくね」
「はい」
私が笑いかけると、千寿くんはようやくちょっと笑った。よかった、ちょっとは緊張がほぐれたみたいだね。
よしよし、もう一息。
「ねえ千寿、ネコは好き?」
私は千寿に尋ねた。
実は、母上はおネコ様を飼っている。白雪といって、その名の通り真っ白なネコちゃんで、人間とネコじゃらしと乳粥が大好きな、とてもかわいいおネコ様だ。
偉い大人がぞろぞろいるところに5、6歳児が放りこまれたら、そりゃ緊張するだろう。だったら、モフモフのネコちゃんと遊んでたほうが、よっぽど精神にいいわ。だってぼく、子どもだもん。大人の話とか、よくわかんなーい。
「はい、大好きです」
千寿はパッと顔を輝かせた。ネコ派なのかな?ちなみに私はイヌ派。
「そうなんだ。じゃあ、一緒に白雪―ネコと遊ぼう」
「はい!」
千寿は子供らしい表情で笑った。
やっぱモフモフは最強だな。あっというまにく緊張を解いてしまった。
えーと、白雪は……確か寝殿の東庇で日向ぼっこしてたな。よし、適当なヒモでももらってネコじゃらししよう。
「じゃあ、白雪の所に行こう。あっちで日向ぼっこしてるんだ。ねえ母上、いいでしょう?」
「もちろんじゃ。しかし、走り回ったりしてはならぬぞ」
私たちのやり取りを微笑ましく見守っていた母上が、優しい微笑を浮かべ許可を出した。
「ありがとう、母上。千寿、あっちに行こう」
「はい、一宮様」
私は立ち上がって千寿の手を取ると、今いる寝殿の東側の孫庇へと向かった。後ろからにこにこ微笑む中務と兵衛がついてくる。
庇というのは、寝殿造りの母屋を取り囲む廊下みたいなものだ。その家々によってあったりなかったりすることもある。ちなみに、その外側に「簀子」と呼ばれる縁側っぽいものがついていることも多い。
白雪は東庇に置かれた簀子の上で、のん気に眠っていた。
「ほら千寿、あそこにいるのが白雪だよ」
「わあ……」
白雪、と名前を呼ぶと、まっしろふわふわなおネコ様は億劫そうに目を開け、んなー、と鳴いてこっちに歩み寄ってきた。
そして、私の足元にすり寄ると、抱き上げろ、と袴に爪を立ててくる。
私は胡坐をかいて座りると白雪を抱き上げ、膝に乗せた。
つっても、白雪デカイし私子供だしチビだし、膝からだいぶはみ出るんだけど……。可愛いから許す。
「触っても大丈夫だよ」
「は、はい」
千寿は恐る恐る手を伸ばし、ふわふわの頭を撫でた。
白雪はごろごろと喉を鳴らすと、嬉しそうに頭を千寿の手にこすり付ける。
それを見て、千寿は感動したように目を輝かせた。
「は、初めて触った」
「そうなの?」
それは感動するかもしれないね。
千寿は私の言葉が聞こえていないかのように、白雪の顎を撫ではじめる。
「それにくしゃみも出ない」
「くしゃみ?」
くしゃみって何だ?ネコアレルギーだったのか?
でも、ネコアレルギーってそうそう簡単に治るもんじゃあないだろ。ましてや注射器も抗生物質もない平安時代だ。
ん、何かおかしいな。
そう思った時だった。
千寿はさりげない動作で懐に手を入れると、何かを取り出した。最初は畳紙かと思ったんだが、そんなんじゃない。
思わず凝視してしまったほど場違いな、薄い長い方形の何か。
それが今、千寿くんの右手に握られている。
おいおい、千寿くん。懐から取り出したそれは何かな?
もしかして、スマートフォンつーモノじゃあないかな?ん?何をしようとしてるのかな?カメラ起動するの?ネコちゃんでも撮影するつもり?
それを持ってるってことは、君。そう言うことでいいのかな?
「一宮様、どうし……えッ」
私が右手に握ったスマートフォンを凝視しているのがわかったらしい。
ネコバカトリップから戻ってきた千寿くんはさっと顔を青ざめさせ、背後にスマホを隠した。
そりゃそうだ。
平安人からして見たら、スマホなんてオーパーツもいいところだ。何だそれはとか追及されるに違いない。もしかしたら、取り上げられるかもしれない。
いや、私のタブレットみたいに、他の人には見ることができないのに、どうして見えるんだ?とか思っているのかもしれない。私も思ってる。
けどだ千寿くん。
その心配はしなくてよいのだよ。
「千寿、一つ聞いていい?」
「な、なんでしょう?」
私は千寿の懸念を晴らそうと、優しい笑みを浮かべた。
千寿がゴクリと喉を鳴らす。
そして、他のものに聞かれぬよう、できるだけ小声で囁く。
「君、チョコはキノコ派?タケノコ派?」
「タケノコ派」
「同志よ」
私たちは固い握手を交わした。