第1話 さようなら21世紀、こんにちは平安時代
190209:大規模改稿
200320:休日に訪れた図書館→出張先の図書館
何から話しだせばいいのかわからないが、とりあえず自己紹介しておく。
私(女性)は某県の市職員、要するに地方公務員だ。
某国立大で考古学を学び、地元に戻って市役所の文化財保護課文化財保護係。つまり古文書や埋蔵文化財の調査・研究を行う仕事をしていた。
ここ10年ばかり三次元の恋人はなく、弟とじゃれあいながら本だのゲームだの同人誌だのを買いあさり、経験を積んで主事という名の使い走りに昇進し、それなりに充実した日々を過ごしていた。ま、どこにでもいるアラサー女だ。
そんなどこにでもいるアラサー女の私は、ある日死んだ。
出張で訪れたとある都市の図書館を訪れた時、ロビーに突っ込んできたトレーラーに吹っ飛ばされたのだ。
トレーラーはガラスを割り、近くにいた私と同年代ぐらいの男性、女子高生とみられる二人の女の子を轢き殺し、そして最後に私を殺した。
粉砕されたガラスが妙にキラキラ光って綺麗だったのと、その中を飛ぶ一冊の本が、妙に印象的だった。
その本のタイトルは、「マンガで学ぶ源氏物語」。
こちらを見ている光源氏のキメ顔が、妙にムカつく表紙だった。
覚えているのは、そこまでだった。
それからどれだけの時が経っただろう。
まず意識だけがぷかっと浮かび上がった。
五感は全く機能していなくて、熱くもなく寒くもない、匂いもない、感触もない。体を動かそうとしてみたが、意識では動いているような気がするのに、全く感覚がない。
ないない尽くしの暗闇の中、記憶と思考だけがとりあえず機能し始めた。
私はそこで、記憶を掘り起こして、何でこんなことになっているのかを考え始めた。
図書館に行って、ロビーに行ったらトレーラーが突っ込んできて……死んだ。
もしくは、意識不明の重体、全身がマヒして動かなくなってる。
どっちにしろ、いいことじゃあない。
生きているならいいけれど、トレーラーに突っ込まれたんだ。体が全く動かない状態から、どこまで回復するのか。動けるようになるのか、仕事に復帰できるのか。もう不安しかない。
死んだなら死んだで仕方ない。けど、好きなマンガは二度と読めない。積んでいるゲームもできないし、来季のアニメも見られない。
何よりも心配なのは、カオスと化しているパソコンの中身だ。
18禁でマニアックな画像がいっぱい保存してあるあれを見られたら、もう生きていけない。いや、死んでるから成仏できないになるのか。
こうなったら、私と同じくオタクでパソコンの中身がとんでもないことになってる弟が察してくれるのを祈るしかない。
マンガもフィギュアも初版限定ブルーレイも百合同人も持って行っていいから、パソコンを叩き壊して水に沈めて産廃処理に出してほしい。
そんなことを信じてもいない神様に祈っていると、五感が少しずつ復活し始めた。
まず蘇ったのは、嗅覚だった。
お香の強い匂い、沈香をメインに、丁子の香りが幾分か混じったようなエキゾチックな香りが、強く鼻をくすぐっている。
おお、よかった生きてる、と安心したのもつかの間。その香りがとっても線香チックであることに気が付いた。
で、はっとした。
もしかして、葬式の最中なんじゃないか。
死んだと思われていた人が、葬式の最中に蘇った、という事例は、聞いたことがある。
だとしたら―いかん。生きているって気づいてもらわないと、火葬場に連れて行かれてエライことになってしまう。
青ざめた、かどうかはわからんが、とにかく気持ち的には真っ青になった私は、どうにかこうにかして気づいてもらおうと、再び体を動かそうとした。
したら、触覚が蘇った。
つるりとした布の感触と、誰かが頭や頬をを撫でている感触。そして、違和感。
知ってのとおり、私は女だ。足の間には何にもない。
けど……その、なんかある。なんかある。
デリケートな場所にできものができちゃったとか、そういう感触とも違う。
とにかく、なんかある。大きくないけど、なんかある。
この時点で、おかしいと思った。
2×年女をやってるんだ。シモの話になって悪いけど、自分のデリケートな部分の感触くらいよーくわかってる。
そしてその2×年間でまったく感じたことのない……足の間にある……ふにゃっとした感触の……ちょっと長さがある……大きくはないけど……うん。
そこから連想されるものといえば……ブツしかない。
何でだ。なんで私の足の間におるねんお前。
そう思った先からは、怒涛だった。
いやホント、シモのブツで五感を取り戻すってのも嫌な話だけど、今思ったら女として最大の違和感に気づいたことで自分を取り戻したってことなんだよ、多分。
まず、口の中の感触と味覚が戻ってきた。水分が足りてないのかカサカサで、なんだか苦い。
青っぽくて苦い、薬のような味が、口の中を支配している。
体が動いた感覚があった。周りを探ろうと手を伸ばしたら、誰かにぎゅっと握られた。
柔らかくて大きな手だ。ここでもおかしいと思った。
私の手は、女にしては結構大きい。その手をすっぽりと包みこんでしまうほど大きな手なんて、まずありえない。
となれば、自分の手が小さくなったんじゃあないか。そうとしか思えない。
ここで、聴覚が復活した。
すぐ近く、耳元で、誰かが誰かを呼んでいた。女性の声だ。
「一宮、一宮!母はここじゃ、ここにおるぞ!目をあけておくれ!」
どうやら、母親らしい人物が、「一宮」という人物を呼んでいるらしい。
泣きながら、必死に、喉が裂けそうなほど悲痛な、渾身の願いを込めた声で「一宮」を呼んでいる。
私の手を握り、頬を撫で、体を揺さぶり、何とか呼び戻そうとしていた。
イヤな予感がした。
そしてその予感は、まず当たるだろうと思った。
「一宮、戻っておいで!母の元に戻ってくるのじゃ!!」
とうとう、視覚が戻った。
眩しさを感じた。多分、顔が明かりかなんかで照らされているんだろう。
感じたことのない感触、小さくなったと思われる手、そして体。
自分の体を揺さぶりながら「一宮」を呼ぶ母と名乗る女性。
あ、こりゃトラック(トレーラーだけど)にひかれて~の黄金パターンだな、と。そうじゃなきゃタチの悪いドッキリ番組か何かだ。そうとしか考えられん。
私は腹をくくった。
家族や友人から橋梁用ケーブル並みと評されたクソ図太い神経は、「とにかくまず目を開け。そこからどうするかはそれから考える」という解決しているようで何にも解決していない答えを選択した。
私はそれに従い、まぶたを開いた。
まぶたを、開いた。
まず目に入ったのは、オレンジ色の明かりだった。私の顔のすぐ横で、小さな炎が揺れていた。
強い光ではないけれど、今まで暗闇しか感じていなかった視神経には、ちょっとキツイ。私は軽く目を細め、明かりから目をそらした。
したら、驚いた顔をした女の人が、いた。
闇の中、仄明るいオレンジの炎に照らされた、雪のように白い卵形の顔に、黒々と流れる艶のある髪。
鼻筋はすっと通っていて、かたちのよいふっくらした唇は、綺麗な紅色をしている。
やや釣り気味の目がキツい印象を与えるが、華のあるゴージャスなタイプの美人だ。
で、その美女が着ているものは、色とりどりの着物、正式な名前は袿っていうんだけど、それを何枚か重ねている。あー、このグラデーションは、竜胆だね、うん。どう考えても、お平安な時代の服装だわ。詳しい時代まではよくわかんないけど。
私が半ば現実逃避気味にそんなことを考えていると、その美女は、笑った。
黒曜石のような眼からほろほろと涙をこぼしながら、嬉しそうに笑った。
歓喜の笑みだ。嬉しくて嬉しくて仕方ない。ありとあらゆるものに礼を言いたくて仕方ない。そんな美しい、母たる喜びに満ちた満面の笑みだった。
美女は私をぎゅっと抱きしめると、その白い頬を私の顔にすり寄せた。
「おおッ……一宮ッ、一宮ーッ!よくぞ、よくぞ戻ってきた!一宮ーッ!」
美女は笑いながら泣き、一宮、と呼び続けた。腕の中にいる、私の意識が宿った何者かを。
あ、やっぱり一宮って、私か……。
ショックを受けた私は、半ば現実逃避した頭で判断した。
どうやら、市役所職員2×歳(喪女)は、平安世界の一宮くん数え4歳(男の子)に無事生まれ変わっちまったらしい、と。
そう、生まれ変わったのである。
生まれ変わったからには前世の記憶、つまり百合好き女公僕の人格は魂の奥底に封じられ、二度と浮かび上がることはないはずだった。
だったんだが、何らかの事情で一宮の人格は消滅してしまった。
母を名乗る女性が戻ってきたとかいいながら大喜びしてたから、多分死ぬか死にかけたかしたんだろう。確認したわけじゃあないから、詳細はわからないけど。
けど、奇妙なほどの確信がある。そのことが原因で、彼は記憶だけ残して消えてしまった。そう思う。
彼の人格は完膚なきまでに破壊され、消滅し、この肉体に戻ってくることはない。二度とだ。
普通、そんなことになったら、死ぬか記憶喪失か赤ん坊同然になるかのどれかだろう。しかしなぜか一番近い前世の人格(多分)である私が浮上し、新たな人格として再設定された。
(母……)
私は女性の顔を見つめた。どこかから聞こえる歓声、びょうん、という糸を弾いているような音、わんわんと鳴り響く読経の中、この小さな体を抱きしめ、涙を流しながら頬ずりする女の顔を。
悪役みたいな釣り目気味のキツイ顔立ちだけど、私を見る眼差しは驚くほど優しい。
「……ははうえ」
一宮の記憶が残っているせいだろうか。
私―つまり、この肉体の主の前世の人格である、21世紀に生きていた私に、両親の記憶がないということもあるだろう。
この女性を、すんなりと母と呼ぶことができた。
「おお、一宮。どうしたのじゃ?も、もしやどこか痛いのか?苦しいのか?」
急に声をあげたのをどう解釈したのだろうか。母は慌てて私の体に触れ、異常がないかどうか調べて始めた。
「いいえ」
「そうか、よかった」
私が慌てて首を振ると、母はほっとしたように微笑み、優しく頭を撫でてくれた。
顔を見るたび、触れられるたびに、私に残る一宮の記憶の中から、母を慕う小さな幼子の心が湧き上がってくる。
そしてその気持ちは、乾いた地面を潤す雨のように私の精神、あるいは人格の中に降り注ぎ、満たしていく。
「わらわの可愛い一宮」
母は私を膝の上に乗せた。
よく見ると、白い顔が微かに面やつれしている。一旦死んだか危篤になったっぽいし、この愛情深い母の事。半狂乱になっただろう。
叱られた記憶も、厳しくされた記憶もある。でも、それ以上に彼女は良き母であった。
そして、一宮も、この美しい母を慕っていた。
「そなたが戻ってきてくれてよかった。わらわの愛しい御子や」
しかしながら―今こうして私を抱きしめる母を愛した息子はもうおらず、またこの母がの愛した息子も、もうこの世界から消えてしまった。
私に、たった3年と少しだけ生きてきた記憶と、微かな残滓だけを残して。




