第27話 前哨戦
◇一宮/隆明親王:六歳 二宮/貞明王:三歳 十月中旬
内裏 弘徽殿
あの後、千寿と一緒にタブレットで検索をし、今からでも手に入りやすく、かつ大量にとれそうな薬候補を見つけた。
一つは葛根。読んで字のごとく葛の根っこで、生薬として使われている。
風邪の時に処方される漢方の葛根湯の主材料で、発汗、解熱、鎮痛作用がある。
もう一つは竹瀝という、あんまり聞きなれない竹からとれる薬効成分を含んだ液体だ。
なんでも、生の淡竹の片方を火であぶると、もう片方から竹の油分を含んだ液体が出てくる。これが竹瀝だそうな。民間療法ではぜんそくや気管支炎などの治療に使用され、呼吸改善、鎮咳、去痰、解熱作用があるらしい。
葛も竹も繁茂力の強い植物だ。多少乱獲しても心配ないだろう。
なお、解熱作用を含む手に入りやすい生薬の中には、「地竜」というものもある。が、これは正体がミミズを乾燥させたものであるため却下した。手に入りやすくてもミミズはちょっと嫌だ。
それからもお爺の説得方法や、弘徽殿で罹患者が出た場合の対策方法などを話し合い―。
申一つ(午後3時ごろ)、皆が集まったころには、何とか基本方針をまとめることができた。
弘徽殿南の身舎。つまり、弘徽殿女御こと母上が普段生活する場所に集まったのは、弘徽殿女御とその祖父右大臣藤原実継。そしてその嫡男である弁中将藤原春継、いつもの千寿。
そして、実働部隊を指揮することになる、右近衛将監平忠克と、その弟で先日の秋の除目で従七位上検非違使少尉に任官した平善克が集まった。
と言っても、身舎の中にいるのは御簾の内に隠れた母上だけで、あとは話し合いのため庇に車座になって集まっている。ちなみに、孫庇には夜叉丸がそっと待機していた。
僕は全員が僕自身に注目しているのを確認し、口火を切った。
「夜叉丸の調べによると、すでに七条のかなりの民がしわぶき病みにかかっているらしいんだ。また、六条当たりの官人の中にも、激しい咳をしている者が数名いたと……」
「なんと」
僕が夜叉丸が調べたことを要約して伝えると、状況を察した母上がため息交じりに呟いた。
官人―つまり、役人たちの中にもかかっている者がいる。すなわち、上層部に広まるのは時間の問題ということだ。
「皆もわかると思うけど、すでに官人たちが感染してる以上、殿上人、公卿、後宮にまで広まるのはすぐだろう。民にも甚大な被害が出る」
皆、不安そうに顔を見合わせている。疫病の流行は珍しいことではないが、その被害は恐ろしい。ましてや、今回のように短期間で広まっているようなら、なおさらだろう。
「そこで、僕と千寿で、清道公のお力も借りながら―しわぶき病みに対処する方法を書き出した。後から一つ一つ説明していくから、見てほしい。母上は一と書かれた資料を取り出してください」
「うむ」
僕はくるくる巻いていた紙を、車座の中心に広げた。横では千寿が、母上用の資料を女房の式部に差し出している。隅っこに番号がついているから、今どの資料を読んでいるかわかるだろう。
最初の資料には、こう書かれてあった。
*しわぶき病みの被害を抑えるために
・石鹸を使った手洗い、口覆いの使用による予防
・室内の定期的な換気及び加湿
・罹患者の隔離及び殿舎の封鎖
・京の民のための診療所
・遺骸の適切な火葬
まず、一つ目は体に菌やウイルスを入れないこと。マスクにかけてはただの木綿布なので難しいが、やらないよりましだ。
二つ目と三つめも、21世紀では当たり前な感染症対策だ。もっとも、罹患者の隔離に関しては平安時代でも機能していたんじゃないかって話があるけど。
そして目玉は四つ目の診療所だ。この日のために用意したわけじゃないが、木綿や羊毛の毛布がかなりある。これを使えば、体を温めることができる。また、葛根や竹瀝などの薬効のある民間薬にも頼る予定だ。これで、少しはましになるだろう。
で、五つ目の遺骸の適切な火葬についてだ。何度か言ったが、平安京では死体が空き家や空き地に放置されていることが多かった。ほら、芥川龍之介の「羅生門」でも、身寄りのない死体が門の楼閣に放置されてたってあるでしょ(羅生門の元ネタは今昔物語)。でも、その辺に死体放置して衛生的にいいわけがないし倫理的にもあれだから、ちゃんと弔おうってわけ。
さて、まずは一つ目から順々に説明していこう。
私は壺に入った石鹸と口覆いを取り出した。
米ぬかから抽出した米油と、草木灰でつくった石鹸だ。他の改革に並行して、ちょこちょこ作ってたのだ。
「これが石鹸です……母上、見えますか?」
「うむ……なんじゃ、蝋燭の蝋のようじゃのう」
壺を御簾に寄せると、つい、と顔を近づけた母上がそう評した。
石鹸の色はやや黄みが勝っており、クリーム状になっている。なるほど蝋燭の蝋のようだ。
なんでかっていうと、今回は草木灰でつくったかだ。原始的な石鹸は脂と灰でつくられるのだが、固形石鹸の材料は水酸化ナトリウム、液体せっけんの材料は水酸化カリウムらしく、草木灰にはカリウムが多く含まれているため、柔らかい石鹸になったらしい。
僕は女房の上総に、角盥に水を入れて持ってくるように命じた。
「清道公がお教えくださったことによると、この石鹸というものには、汚れや病の元を清める力が備わっており、水で洗うよりもより清めの効力が強くなるとのことなんだ」
僕は「清道公」の部分を強調して言った。
病は物の怪の仕業がデフォルトな平安時代人に細菌学を論じてもどうしようもない。そこで、ウイルスだの細菌だのについては、どうとでも取れる「病の元」で統一することにしていた。
そして我らがひいじいちゃん、清道公の御教え。これさえあればなんとかなる。多分。
僕が壺の中から石鹸をひとつかみすくい取り、見せてやると、皆が顔を近づけほお、と息を吐く。
お爺や春継なんかは物おじしないのか、つん、とつついて感触を確かめている。
そんな中、母上が小さな疑問を零した。
「身を清めることで禊となるのはわかるが、何故“せっけん”を使うことでより清めることができるのじゃ?」
御簾の中から不思議そうに尋ねる。
あ、どうしよう。僕たちにとってはあんまりにも当たり前すぎるから、石鹸についての説明を考えていなかった。
う~ん、難しい。僕はちらりと千寿と目を合わせた。千寿も「どうしよう」って顔だ。そりゃそうか。
21世紀の子どもなら「せっけんさんでバ〇キンマンとバイバイしようね~」で済むが、10世紀の平安時代人はそうはいかない。そう思うとア〇パンマンてすごいな、子どもの公衆衛生観念の形成に一役買ってるんだもん。
いや、そんなことはどうでもいい。あんまり無言が続くと怪しまれる。えーっと。
「……この“石鹸”は、外つ国の人々が、神にへの供物として羊を焼いた時にできたと言われています。羊を焼いた時に落ちた脂が、灰と交じり合った際にできたのだそうです。神への供物を捧げた際に生まれた品なれば、清めの力が宿っていてもおかしくはございますまい」
それが古代ローマのサポ―(Sapo)の丘での出来事であり、後にsoap(英語で石鹸)の語源になった、とかいう伝説がある。
忠克と善克がなるほどと頷いている。よーしとっさに出た口から出まかせにしてはうまくいった。と思っていると、お爺と春継が渋い顔をした。母上も、御簾の外からでもわかるほどあからさまに顔を顰めている。
え、何。何なの。
「……獣の脂をつかっておるのか?」
母上が御簾の中からなんとも言えない声で言った。
あっ、忘れてた。奈良時代から、貴族の間では食肉の禁忌が続いていたんだった。そりゃ、母上としても獣の油を使って作った品ってのは、ちょっと忌避感があるよな。
僕は慌てて言った。
「ご安心ください、母上。この石鹸は米からとれる油でつくっております。我が国では五穀は神へ捧げるもの。その筆頭は米なれば、清めの力も外つ国のそれより劣るということはありますまい」
「そうか、ならばよい」
母上はほっとと息を吐いた。渋い顔をしていたお爺たちも、それなら、と頷いた。
危ない危ない。この石鹸、最初は忠克が狩ってきた猪から作ったラードでつくっていたんだ。でも、この時代ラードって継続的に手に入らないから、手に入れやすい米ぬかから作った米油で作り直していたんだ。
その時、ちょうどいいタイミングで上総が角盥を持ってきた。そこで、僕は石鹸をちょうどいい量取り直し、角盥に突っ込む。すると、上総がやってきて長ったらしい袖を抑えてくれた。
「このように、手を水で濡らし、泡立ててから……」
私は頭の中で手洗いの歌を歌いながら手を洗う。
手の甲~手のひら~指の間~。
ほほう、と皆が注目しているのがわかる。こんなに注目される手洗いなんて、赤ちゃんの「はじめてのおててあらい」か僕ぐらいだろうな。
「こんな感じかな。あ、ありがとう、上総」
僕は手首までごしごし洗うと、角盥の水で泡を落とした。上総が渡してくれた手拭で手を拭く。
「随分と泡立てるのですな」
「うん。ある程度泡立てたほうがいいよ」
僕は上総が角盥を片付けるのを見送りながら、身振り手振りをつけて注意点を伝えた。
「手の甲や手のしわの中、爪の中なんかも洗うといいよ。外から帰った後、大勢がふれたところに触った後なんかは、特にやったほうがいい」
「大勢の人に接すれば接するほど、その人についた病の元と触れ合う可能性があるからね」
傍で見守っていた千寿が付け足す。
その説明で納得したようだ。お爺は母上とではもっと量を増やさねば……などと話している。そんな中、春継が石鹸壺の横に置いたマスクを取り上げた。
「なるほど……では、この口覆いはどのような役目が?」
「口覆いは、病の元が体の中に入るのを防ぐ役目があります、父上」
春継の隣に座っていた千寿が解説する。
「清道公によると、病の元は咳やくしゃみの時に飛び散るつばに乗って体に入ることがあるのだそうです。完全ではありませんが、それを防ぐためのものです」
「なんぞ、神事の時に使う覆いのようであるなぁ」
「もちろん、自分の体から出ていく病の元を、人に移さぬようにする、という役目もありますよ」
春継はほほう、というと、マスクを広げ、自分の顔につけた。
このマスク、四隅にひもが付いていて、頭の後ろで結べるようになっている。顔を覆う部分はポケット状になっており、ガーゼを折りたたんで入れられるようになってる。
荒い木綿布だからどれほどの効果があるかは未知数だが、やらないよりはいくらかましだ。
「しかしな千寿、さすがに帝の御前でこれをつけるわけにはいかぬぞ」
お爺が困ったように言う。
まあそうだよな。さすがに帝の御前では付けられない。
「そうだね。でも、太政官(大臣の仕事場所)みたいな、人が密集している狭いところでつけるだけでも、効果はあると思うよ、お爺」
「うむぅ……」
お爺は春継から口覆いを受け取りと、まじまじとそれを見た。
この時代の人間からすれば珍妙なものに違いない。そんなものを大勢の人がいるところでつける。そりゃ抵抗があるだろう。
お爺はしばし悩んでいた。僕と千寿の顔を見、母上のほうを見、清道公……などと呟いていたが、どうやら清道公の名と疫病への恐怖のほうが勝ったらしい。僕に向かって問いかけた。
「一宮様、この……木綿布は、まだございますか?」
「あるよ。羊毛と一緒に大量に輸入して織らせたからね」
「わかり申した。これを大量に縫わせましょう」
「うん。後でつくり方書いておくよ」
とりあえず一つ目は終わった。次は換気と加湿だ。とはいえ、この時代の家はすごく風通しが良い。だから、重要視すべきは換気よりも加湿だ。
僕は石鹸壺を脇に置き、手を叩いて夜叉丸を呼ぶ。
すると、すぐさま孫庇に控えてきた夜叉丸がやってきて、僕にとあるものを差し出した。
平安時代の室内装飾の一つ、唾壺だ。
元は唾を吐き出すためのもので、中国では実用的なものだったが、日本では役目を失って装飾的なものになった。
この唾壺、銀製で、両手の中に納まるくらいの小さい壺の上に、「唾壺羽」という大きい杯みたいな形の容器を乗せたものなのだが、今回は唾壺羽の代わりに違うものがのっかっていた。
菊の花だ。
「おお、なんと美しい」
母上が歓声を上げた。
本物の花ではない。色とりどりの和紙を使って作った、立体的な折り紙の菊だ。よく見るとしっとりと濡れていて、かぐわしい香りを放っている。
「電源を使わない加湿器」というやつだ。追って作った菊に緑色の和紙で作った茎を縫い付け、水を入れた唾壺に挿す。少々厚手の和紙だからそうそうへたらないし、表面積を大きくとったから加湿効果も高い。
「母上、これは“加湿器”です」
「かしつき」
そっと加湿器を御簾の中に入れた。すると、受け取った女房達が「美しい」「紙とは思えませぬ」と騒いでいる。
「母上、お爺。空気が乾くと喉が渇いて痛くなり、咳が出るでしょう?」
「うむ」
女房達の中で一回りした加湿器が戻ってきた。すると、春継が女房から加湿器を受け取り、しげしげと眺めている。
「紙が水を吸い、乾くときに目に見えぬほどになった水を空気に放ちます。それで空気を潤わせ、喉が痛まぬようにするためのものです。体の近くに飾ったり、寝るときに枕元に置くなどするとよいですよ」
「そう……なのか?」
母上が御簾の中で首を傾げる。
「そうなのです。清道公がおっしゃっていました」
「そうか、清道公が。ならばそうなのであろう」
水の蒸発みたいな仕組みを平安時代人がどうとらえていたかわからない。私も専門じゃないからどう説明したものやら。
そういうわけで清道公にお出まし願った。母上はすんなり納得した。すごい。
「本当は布を濡らしてその辺にかけておけばいいのですが、そのようなことはできませぬ。ゆえに、代わりにこちらのものを考案いたしました」
「なるほど……これなれば見た目も中々に雅というもの。飾っておいても問題ございませぬな」
お爺が扇で加湿器を指しながら言う。
すると、加湿器を眺めていた春継が尋ねた。
「一宮様。この、花の部分は……この形でなくてはならぬのですかな?」
「ううん」
僕は懐に手を突っ込み、青い色の畳紙を取り出すと、正方形に直して簡単な折り紙を折る。
「今は神無月だから菊にしたけど、桜でも椿でも薔薇でも折れるよ」
一時期折り紙に凝っていた時期があり、今でもかなりの種類の折り紙を折れる。こんなところで役に立つとは思わなかったが。
竹串なんかがあれば楽なんだけど……僕はできた花びらに指先で軽くカールをつけ、春継に渡した。
「はい、桔梗。あげる」
「おお」
春継は僕から立体的な桔梗の折り紙を受け取ると、矯めつ眇めつしてから恭しく懐に仕舞った。
「ありがとうございます」
「あえて時知らずの花を飾るのも面白いかもね」
僕は母上に向き直ると、
「母上、折り方は後で兵衛にでも教えますので、使い方、飾り方を考えてみてくださいませんか」
と頼んだ。母上は少し首を傾げると、
「わらわでよいのか?」
「はい。母上なれば雅もよくお分かりになられます。母上が始めたことなれば、他の女御・更衣も行いやすいというもの」
僕は母上のいる御簾のそばにより、思い切り可愛い顔をして手を合わせた。
「母上、どうかお願いします。一宮はいまだ雅がわかりませぬ。母上にしか頼めませぬ」
「む!」
ファッションリーダーならぬ加湿リーダーというわけだ。世の中、多少わけわからんことでも、目上の人がやってるからってことで下の人が追従してくれることもある。そういう面では身分と権力のある親を持ったってホント便利。
そう思っていると、母上のほうからふふ、と嬉しそうな笑い声が浮かんだ。この人、愛情深い人だから頼られるとうれしいんだよな。
「よかろう、安心するのじゃ一宮。わらわがよき方法を考えてやろうぞ」
「わー、さすが母上。頼りになりまする」
母上相変わらずちょろいな。後ろで千寿がうげーという顔をしているけど、知らん。
さて。
僕はふー、と息を吐いた。
それに気づいた千寿も、表情を引き締めた。
ここまでは前哨戦だ。比較的受け入れやすい事柄だろう。
問題は次の次―京の民のための診療施設。これをどうするかだ。
ヒト、モノ、場所。すべてが足りない中でのお爺との交渉。母上は味方になってくれるだろうが、どれほどかまだ分からない。
でも、右大臣家のためにも―そして、貴族以外の人間を味方につけるためにも、これはやらねばならない。
僕は懐からもう一枚の資料を取り出し、お爺の顔を見据えた。




