第10話 涙が出ちゃう、だって公務員だもん
◇一宮:四歳 二宮(後の光源氏):一歳 九月下旬
「そうなの?臣下の諫言に耳を傾けるのも、君主の役目だって、大学助が言ってたのに?」
私は額から脂汗を流している命婦に、何気ない風を装って尋ねた。だってぼく、だいがくのすけのおじちゃんからそう聞いたんだもん。
気分はあれれ~(略)だ。
オラ、一宮様がお尋ねよ。さっさと答えんかい。そう言いたそうな顔で、女房達がじとーっと命婦を見ている。
命婦はしばらくの間目を泳がせていたが、観念したように話し出した。
「これは皆知っていることでございますゆえ申し上げますが……」
うんうん。
命婦は頭痛を抑えようとするかのように、指先を額に当てた。
「主上は桐壺更衣様をそのォ……大層寵愛しておられ、更衣様とのことになると、私たちの言葉をお聞き入れいただけぬのです。まるでタガが外れてしまったかのようで……」
ホントみんな知ってることだなオイ。
でも、一応聞いておこう。
「ふうん、どういう風になってしまったの?」
「それはもう、一日中更衣様をお話にならず、政にも手がつかぬ有様でございまして……あれほど聡明でいらしたのに、帝はどうなさったのかと……」
桐壺が亡くなって、そのそっくりさんである藤壺が来てからは普通に仕事するようになったみたいだから、元々アホじゃないってのは知ってたけどねぇ。
恋って怖いな。人をあそこまで変えるんだもの。
ま、人によるんだろうけど……。私も喪女なりに恋愛してたことはあったけど、授業はちゃんと受けてたからね。
え、恋愛の結果?喪女って言っただろ、実る前に散ったよ。悲しい形でな。
「それはひどいなあ」
「今日のように、日が高くなられてからお目覚めになられることも多く……しかも、そのまま更衣様を清涼殿にお留めになるものですから、いろいろと……やらねばならぬことも……」
うんうん、大変だったねぇ。
もう命婦は目の前にいるのが数え4ちゃいの幼児だと忘れているらしい。
唇を噛み、眉間にしわを寄せ、軽く俯き。吐きだされる言葉には、半分くらい本気の愚痴が入っていた。
「大臣をはじめとする殿方たちや後宮の姫君方も、私たち主上付きの者や蔵人たちにいろいろと申されますが、私にもどうにもならず……」
ああああああ、なんか可愛そうになってきた。本当はもっと追い込むはずだったのに、これじゃ無理!できないよう!
周りの母上や女房達も、なんか“ちょっとわるいことしちゃったかしら……”みたいなバツの悪い顔してる。
予定はずれ込むだろうし、他のお偉いさんたちやお妃さんたちは、起きてこない帝の代わりにこの人たちに「どうしたんだゴラァ!」するだろうし、当の本人たちは他人の苦労も知らないでイチャイチャイチャイチャ……。
「僕たちは前世から結ばれる運命にあったんだよ♡」「うれしい♡主上♡」「僕たちは比翼の鳥だよ♡」「はい♡」からのベッドイン!ちょ、また予定ずれちゃうんですか!
……確実にストレスたまってるだろうな。
そうだよ上司(帝)が周りを顧みず好き勝手すると、部下(命婦たち)にしわ寄せ来るのが人間社会の常ってやつだよ。
源氏物語には“主上と桐壺更衣の仲睦まじさ故に納言大臣よりつつかれて御達どもいと胃が痛し”とかは書かれてなかったけど、そりゃリアルではこうなってるわ。
これも隙間に隠れた物語ってやつか。
いかん、身に覚えがある。ほんと“すさまじきものは宮仕え”よ。
「そうなんだ……命婦も大変だったよね」
ホント、心からその言葉が出た。
だってかわいそすぎる。思わず肩ポンしてしまった。
ミョウブ、タイヘンダッダネ。イチノミヤ、ゼンセデニタヨウナオモイシタコトアルカラ、ヨクワカルヨ。
急に肩に手を置かれたことに驚いたんだろう。命婦が顔をあげた。
「一宮様……?」
「唇をかんじゃだめだよ。血が出ちゃうからね」
「は、はい……」
にっこり笑ってそう言うと、命婦は慌てて口元に手をやった。
私はそのまま、ちょっと眉をよせ、心底同情したという表情で、宥めるように話しかける。
「お傍でお世話申し上げる人たちだって、いろいろとやらなければならないこともあるんでしょう?」
「は、はい」
命婦がめっちゃ激しく頷いている。
「ちょっとぐらいならともかく、あんまり好き勝手して予定が崩れたりしたら、どんどんやらなければいけないことも増えてしまうだろうね」
「そ、その通りでございます!」
食いつくように返事されたわ。
ホントストレスたまってるのな。仲間内で愚痴ったりはしてたかもしれないけど、やっぱり上の人に理解してもらうとうれしいよね。
厚労省もなければ労基もないし、ハラスメント相談室もコンプライアンスもない世界だし、よく我慢したよ。うん。
私は命婦の肩から手を離すと、その白い手を取って両手で包み、悲しそうな表情を作る。現代だったらセクハラだけど、私は幼児だから無問題。
「父上がごめんね、命婦。たくさん、しなくていい苦労したよね。他の御達や蔵人たちも……」
「い、一宮様……」
じいんとしてる。
うんうん、命婦、本当に苦労したね。みんな大変だったろうけど、その苦労を認めます、ねぎらいます。
いままでグダグダ言われて大変だったね。
あ、そや。母上のこともフォローしとかんと。
私は母上のほうを見た。急に顔を向けられた母上がびっくりしてる。ネコ目が丸くなって可愛い。
私は母上に絶大な信頼をよせている幼児の顔で笑った。
「母上が命婦のことを沢山お叱りになったけど、命婦が憎いわけではないんだ。そうですよね、母上」
「む、それは、もちろん、そうだとも!」
息子から“期待!”の眼で見られた母上に、否という答えはなかった。この空気で「んな訳あるか」とか答えられてるわけないし。
これで大丈夫、命婦が母上からあーだこーだといちゃもんつけられることはなかろう。
私は命婦に向きなおり、精一杯可愛い顔してお願いする。
「母上は僕のことでお怒りになってくださったんだ。だから、母上のことを恨んだりしないで、お願い命婦」
「一宮様……はい、はい!もちろんでございます」
命婦はうんうんうなずいて、すごい感動してるみたいだった。あ、目尻に涙。
って、おい。まてまて、命婦ならわかるけどなんで母上や中務や兵衛や他の女房の皆さんまで泣いちゃうかな。この時代の人はホント涙もろいわ。
……しかしうまくいった。
命婦の心は盗った。
これで靫負命婦の心には、私が「下の者の労苦を理解し、ねぎらってくれる心優しく聡明な御方」(笑)という自分で言っても吐きそうなぐらい素晴らしい人物だと刻まれただろう。
そして、それを御達や蔵人(帝の秘書的立場の人)たちに伝えるに違いない。
御達は通ってくる男たちに話すだろう。蔵人たちも、話のネタにするだろう。そしてさほど時間をかけず、宮中に広まるに違いない。
そして……。
急だったけど、「打倒光源氏作戦」は、無事に成功した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
靫負の命婦が「お呼びがかかったらまた来ます」ということで帰って行ったので、私は周子ちゃんや千寿がいる北の身舎へと向かった。
周子ちゃんと遊んであげるって約束したもんね。あと、疲れたから癒しが欲しい。
「お帰りなさいませ、一宮様」
「きゃあっ!にー、にー!」
乳母たちにあやされてぶすくれていた周子ちゃんは、私の姿を見るとすぐに歓声をあげた。
そして、乳母たちが追いつくのに難儀するほどの高速ハイハイで私に突撃する。
「ただいま、女一宮」
「にー!」
私は奥に置かれてあった畳に座り、周子ちゃんに手を伸ばす。すると、周子ちゃんはよじよじと私の膝にのぼり、そのままどすんと腰を下ろした。
「きゃーぅ!」
周子ちゃんは、何が嬉しいのが手をぺちぺち叩いて笑った。
んっは。超ご機嫌で可愛い。
周子ちゃんの可愛さを堪能していると、白雪と遊んでいた千寿がやってきた。
「宮様、お帰り」
「ただいま。疲れた」
「れーたッ」
「はいはい」
千寿はご機嫌な周子ちゃんを見て苦笑すると、女房達に聞こえないようにこっそりと囁く。
「なんかすごいことになってたな」
「ホントホント。千寿こっち来て正解だよ」
母上が二回も大噴火してたし。
千寿もうんうん頷いた。
「ほんとそれな……でも、最後にうまくまとめたな」
「何も考えてないにしてはうまくやれたよ」
話に合わせて方向転換をしたりしたけど、結果的には命婦から感謝されたし。ま、十分及第点だろ。
ああそれにしても、赤ちゃんっていい匂いだよな、癒されるわ~。
私は周子ちゃんの可愛いあんよをごしょごしょとくすぐった。そうしたら、周子ちゃん何が面白いのか大喜びだ。可愛い……。鼻の下が伸びているのが自分でもわかる。
変態じゃないよ、母性だよ~。だから千寿、そんな残念なものを見る目で見るんじゃないよ!
と周子ちゃんと戯れていたら、
「一宮様、たいそうご立派でございました!」
女房達がにじり寄ってきた。
おや、あなたたち、話聞いてたの?周子ちゃんの世話ちゃんとしてた?
「あ、ありがとう……」
びっくりした。大きい声出さないでよ。
「命婦はすっかり、一宮様に感服しておられましたわ!」
「他の者まで気遣ってさしあげるなんて!」
賛辞の嵐だ。
やっぱり神童でいらっしゃるのよ。当然ですわって、やめてくれ、恥ずかしい。
すると、一人の若い女房が嬉しそうに話し出した。
「桐壺では、一宮様は二宮様に比べたら月と星などと言っているようですけど……」
女房達の顔が青ざめた。
ちょっと君、何言ってるの?本人の前で本人ディスるようなこと何言っちゃってんの!?
私だからそんなに怒らないけど、母上がいたら三度目の大噴火だぞ!
けど幸い、母上は南の身舎にまだいる。だから、若い女房は年配のベテラン女房とうちの中務に怒られるだけで済んだ。よかったね。
「これッ!」
「一宮様が二宮様に劣るものですか!」
「申し訳ございません!」
若い女房は、ベテランと中務の叱責を受け、慌てて平伏した。
今身内しかいないし、それぐらいで起こらないし、別にいいけど。気をつけなよ?
しかし、何だ月と星って。桐壺の誰かがそう言ってるってことか?
だったらよくないぞ、だって後ろ盾が弱い第二皇子の母が、強い後ろ盾を持つ第一皇子をバカにしているってことだもの。
さすがに、あっちの女房達もそんなにバカじゃないと思いたいんだけど。
「月と星?なにそれ」
私は子供らしく可愛く小首をかしげて尋ねた。
だから千寿、生温い目で見ないの!
「それは……」
「ただの戯言でございます、お耳を汚されますな」
うん。言えないよね。止めるよね。でも、気になる。
「でも、ここまで聞いちゃったんだもん、気になるよ」
そう言うと、ベテラン女房と若い女房は顔を見合わせ、渋々話し出した。
「その、主上が桐壷の御方に、二宮様があまりにもお美しいので……」
「二宮様と比べたら、まるで月と星だとおもらしになられたと……」
おいおい、なんだそりゃ。
主上よ、どこでンなこと言ったんだ?そんなこと。夜御殿でイチャイチャしている時だな?でも、更衣がわざわざほかの人間に喋るかなあ?
いや、帝専用ベッドルーム、夜御殿の近くには必ず女房が控えていたし、四隅の明かりは一晩中消えないようにするため、定期的に蔵人たちが注油していた。
その時に、たまたま話していたのを聞いてしまったのかもしれない。
うわあ……嫌な感じ。部屋の空気も嫌な感じ、すごく重い。
もうパパ上、何くだらないことぬかしてるんだか~。
いかん、この空気をどうにかしなければ。
「なんだ、そんなこと」
私は努めて明るい声で言った。
「主上もおかしなことをおっしゃるね。月と星は役割が違うんだ。優劣を定めても意味がないよ」
「一宮様……」
私があんまり気にしていないことにほっとしたらしい。
女房達の体に笑みが戻った。
月、月の役目、それは……。この時代太陰暦だったな。
「月はその満ち欠けで暦を定め、夜を照らす光となる。星は……」
「……星は?」
兵衛が期待した目で聞いてくる。
私にとって星空は、ギリシャ神話の世界だ。
恋人によって殺されたオリオン。英雄たちの師となったケイローン。英雄たちを乗せ、冒険へと向かったアルゴー船。
「太古の神々の物語が描かれる場所であり―」
そして、暗い夜の海を進む船乗りたちにとっての、希望の光。
「道しるべ無き世で、人々を導く永遠の光」
「まあ……」
みんな、ほおっ吐息を吐いた。
ちょっと恥ずかしい。なんでこんなこと言ってしまったんだろ。
「一宮様は情緒のあることをおっしゃいますのね」
「でも、素敵ですわ」
うん。我ながらクサイと思った。




