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源氏“裏側”物語 もしくはいずれの帝の御時にか光源氏の兄になってしまった不運な公僕の顛末記  作者: 松本紗和子
第一章:桐壺 もしくは主人公の水面下でバタバタする白鳥の足の如き裏側の活躍
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第7話 うわッ……私のスペック、高すぎ?

190212:第6話が長すぎたので分割し、第6話、第7話としました。第7話に附け加えた部分がありますが、読まなくとも多分問題ありません。勝手なことをしてまことに申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

◇一宮:四歳  二宮(後の光源氏):一歳  九月上旬


 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花。

 歌の意味は、難波津に梅の花が咲いた。冬の間は籠っていけど、今やっと春になったので、梅の花が咲いた、と、まあこんな感じだろうか。

 これは「なにはづのうた」と呼ばれるもので、千字文と論語を伝えたとされる渡来人・王仁(わに)が、仁徳天皇に奉ったとされる和歌だ。「あさか山のことば」と呼ばれる和歌とともに、平安時代の手習いの最初の手本とされている。

 ちなみに、競技かるたの序歌としても知られる。


 え、んなことどうでもいい?

 うん、そうだろうね。


「おおッ!」

「ええッ!?」

 大学の助と千寿がびっくりして声をあげた。もちろん、「びっくり」の理由はそれぞれ違うだろう。

 大学助は、「何で2回ぐらいしか手習いをやっていない4歳児が、あっさりと、しかもこんなに流麗な文字を書けるのだ!」。

 千寿は、「何て読むんだ、これ!」

 大学助は私が書きつけた紙をひったくると、自分の顔の前にかざしてまじまじと見た。やや濃いめの墨で書かれた、我ながら見事な字である。久々に書いたけどどうにでもなるもんだな。


「なんと……見事な」


 大学助は眼をキラキラさせて呟いた。周りに身分の高い人がいるとか、もう見えていないみたいだ。


「信じられませぬ……齢四つ、しかも、僅か数度の手習いでかなを読めるようになるとは……それにこのお手跡()!」


 びっくりするよね。数え四歳児がけっこうな字書いちゃったんだもん。ちょっと子供っぽいけど。


「大学助殿、どうなさいました?」


 そばに控えていた式部が、大学助に声をかけた。すっごい恐る恐るだ。わかるよ。いきなり数え4歳児が字を書いた紙をひったくって、うっとりした目で見てるんだもん。そりゃドン引きですよね。

 けど、大学助はそんなの気にしなかった。


「ごらんなさい式部殿!一宮様のお手跡を!齢四つにすぎぬというのに、なんとまあ……!」

「はあ……」


 式部はものすごい勢いで差し出された紙を手に取り見た。すると、目を見開き、赤い唇を陸に上がった金魚みたいにぱくぱくさせる。

 そして勢いよく立ち上がり、上級女房にあるまじきどたばたという音を立て、母がいる几帳の裏に引っ込んだ。


「女御様!これを!」


 微かな衣擦れの音の後、誰かが息をのんだ音が聞こえた。


「な、なんと!この優雅な事……」

「見事な……ごらんなさいまし、この丸みを帯びた形!」

「齢四つとは思えませぬ!」


 べた褒めである。女房、女御様ともあろうお方がそんな声出していいのかな~ってレベルの大声でべた褒めだ。


「まことに見事でございます!流麗・優雅で今風で……なんともはや……齢四つでありながら、これほどのお手跡は見たことがございません!末はどれほどでございましょう……!」

「確かに……素晴らしい手跡じゃ。我が子がこれほどの物を持っておったとは……」


 あーもう母上感激しちゃってるよ。もっと子供っぽい字を書くべきだったかな?でも、書いちゃったのは仕方ないよね。

 皆が批評に夢中になっていると、衝撃からやっと回復した千寿が私にそっと囁いた。


「そう言えば昔の字って、こういうものだったな……」

「そういうこと。難しいって言った意味、分かった?」


 よくわかった、と千寿は頷いた。

 さて、ここで「文字っつっても日本だろ?漢字もカタカナもひらがなも全部わかるアラサーなら余裕じゃね?」と思った方。

 ちょっと平安時代の和歌の色紙でも検索して、そこに書いてる文字を読んでみてほしい。

 まず文字からして読めない。この時代のひらがな、「仮名文字」と呼ばせてもらうが、いわゆるくずし字といわれる類のものだ。しかも、「け」と読む文字だけで4つくらいあったりする。

 しかも、この時代―10世紀の初めごろだと思っているんだが、我々になじみのある漢字かな交じりの文(和漢混淆文)は存在しない、あるいはメジャーじゃない。

 そのため、この時代の文章は仮名文字(ひらがなくずし字)か、漢文の白文か、漢文の授業でやったみたいな漢文訓読体くらいしかないのだ!

 現代人にとっては別の言語習うみたいなもんである。日本語文章の成立期だから仕方ないんだろうけど、ツライ。


「でも、宮様。いくら考古学者だったとはいえ、よくこういう字書けるね。それとも、皆書けるもんなの?」

「いや、みんながみんな書けるわけじゃないよ。私の場合は、大学時代の教授がそういう書道家でもあったから、やらされてただけ」


 ほー、と千寿がため息をついた。

 あの時はドラマの小道具作りのバイトぐらいでしか役に立たねぇよ、とか思っていたけど、


「まさかこんなところで役に立つとは……」

「教授も思わなかったろうな……」


 千寿は苦笑した。


「一宮様ッ!!」

「ひょえいッ!」


 うわびっくりした!変な声出た。

 今まで私の字体をあーだこーだと褒めていた大学助が、いきなり声をかけてきた。


「ほ、他にもなにか……是非、是非書いていただきとうございますッ」

「え、えぇ……あ、はい」


 大学助は完全に油断していた私に、糸目どころか瞳孔まで見開かせたまま、鼻息荒く要求してきた。

 やだこの人、すげぇこわい。

 仕方がないので、適当な紙に覚えている和歌を書く。

 

なにしおはば いざこととわむ みやこどり わがおもふひとは ありやなしやと

(名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと:在原業平)


あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

(天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも:阿倍仲麻呂)


 紙を差し出すと、大学助は震える手でそれを受け取った。

 そしてそれをざっと見、おお……と恍惚の声を上げる。

 やだ怖い。瞳孔が開きっぱで超怖い。

 私はさりげなく千寿の後ろに隠れようとした。けど、千寿はそれを押しとどめようとする。


「ちょ、宮様」

「何あの人、怖い!」

「俺だって怖いってば!」


 いいじゃん助けてよ男だろ!宮様だって男だろ。じゃあ今も昔も男だろ!男経験は千寿のほうが長いじゃん。何だよ男経験ってそっちの意味みたいだろ。

 とかいってふたりで小声でこそこそしていると、大学助が囁くような声で呟いた。


「し、神童じゃ……」

「「ヒッ」」


 私と千寿は、思わずお互いの手を取り合った。


「もう、かな文字に関して私が教えることはございません……」


 あ、何で習っていないはずの和歌を知ってるかどうかは聞かないんですね。


「生きてこれほどの才を持つ御方にお会いできるとは……」


 もういいです。罪悪感がわくので、やめて。


 それから大学助は、私にさらに文章を書かせ、その紙をそれはそれは大事そうに懐にしまった。そして、「明日からは漢字をお教えに参ります!」と言い残し、スキップしそうな勢いで帰って行った。

 ちなみに、千寿に対する手習いは行われなかったので、仕方がないので私が教えた。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆  



「……なんか、すごいオジサンだったな」

「うん。私もあそこまでとは思わなかった……」


 その日の夜、私と千寿は、寝殿に作られた寝床に二人で寝転び、今日起こったことを話し合っていた。

 あんな温厚そうな糸目オジサンなのに、文字に関することになるとすごい強烈なキャラになるのな。エネルギー吸い取られそう。


「漢文の読み書きも問題なくできるから、できれば来ないでほしい」

「俺も……それにしても、宮様の字ってあんなに褒められるほどすごいものなの?」


 千寿は枕元に置いてある文箱から私が和歌を書きつけた紙をとりだし、明かりの近くに持って行って眺めた。


「そう言うのは、手跡()って呼ぶんだよ」

「手跡ねぇ。正直、俺には全部同じに見える」

「その違いが分かるのが平安人とか書道家のみなさんなんだよ。それで、私の字のことだけど」

「うん」


 褒められすぎかと思うけど、それも当然なんだ。

 何せ、私のくずし字や漢文の書体は、日本三跡と呼ばれる書道の大家、権大納言藤原行成(ゆきなり)や、法性寺流を開いた関白藤原忠通(ただみち)らの物を完全コピーしたものだからだ。

 藤原行成は道長の時代の人だし、藤原忠通はずっと先の平安末期の時代の人だ。だから、源氏物語の人たちがこの手跡を見るのは初めてなはず。

 逆に言うと褒められて当たり前ってもんである。


「うげ、カンニングみたいなもんじゃん」

「カンニング上等だよ。敵はあの源氏の野郎なんだからな」


 それに、だ。


「美しい字を書くことは平安貴族のたしなみだからね。これで私の評価も上がるってもんよ」


 平安時代はパソコンも電話はもネットもないので、字の美しさというものは、すごく大事な教養の一つだった。

 それに、平安時代の恋は、お互いに顔をよく知らない状態で始まる。そして最初に文を送る(=求愛する)のは男のほうだ。

 文を受け取ったほうは、紙の質や焚きしめられた香の香り、和歌の出来、字の美しさなどから教養を測る。それは姫君の侍女である女房の役目だ。

 だから彼女らに、「身分もあるしイケメンらしいけど、歌も下手だし字もヘタクソだから却下」とか言われたらもうおしまいになってしまうのである。


「成程な……え、じゃあ俺も必死こいて練習しないと、モテないってこと?」

「いや、千寿は権門の長男だから正妻は春継(千寿父)が用意してくれるだろうし、女房とかなら手を付け放題だから、恋の遊びを楽しむとかじゃなければそこそこでいいんじゃない?」

「う、魅力的な選択……ハーレムは男の浪漫」


 千寿は胸にそっと両手をあて、考え込み始めた。

 それを私に言うかって話だけど、私も将来一夫多妻確定だからなんも言えない。そもそも、中身が女でもちゃんと機能するのか?この体。


「でも、将来アホみたいに書類書くだろうから、字は綺麗な方がいいよ」

「パソコンが恋しい……」


 わかる……。

 じゃない。そうだ、千寿に渡すものがあったんだ。私は自分の枕元の文箱の中から、数枚の紙を取り出した。


「千寿、はい」


 私は紙を千寿に差し出した。

 だいたいA4ぐらいの大きさの、厚手の陸奥紙(みちのくがみ)(高級紙)で、そのうち2枚は普通の字体とくずし字の対比一覧、一枚は代表的なくずし字のお手本、残りは小学生のひらがな書き順講座みたいなくずし字の書き方が書いてある。


「なにこれ?」

「ひらがなの普通の字体とくずし字の対比一覧表とお手本とくずし字の書き方」

「!」


 さっき、大学助が帰った後、千寿に手習いしていた最中にさらさらっと作ったやつだ。現代的のひらがなと、くずし字の対比表と、書き方のコツなんかが書いてある。

 千寿は一覧表を受け取ると、


「おお……めっちゃわかりやすい」

「私の字体と変えてあるからさ、そのまま完コピしちゃいなよ」

「え、いいのか?」


 感動したようにこっちを見た。

 そうだろね。

 平安時代人から「これはくです。これもくです。もっと優雅に、墨色が濃すぎです。いえ、これはけです」とか言われるよりは、「完コピしなよ」のほうがよっぽどよかろう。


「うん。一応鎌倉時代の能書家の字体を参考にしてるから、それなりの評価は得られると思う」

「ありがとう、これで風雅がどうたらとか考えなくて済む」


 千寿は嬉しそうに一覧表を畳み、文箱にしまった。

 そして明りを消し、お互いの(かけぶとん)に潜り込む。

 うーん、畳の上に直に寝るのはキツイ……畳とはいえ硬いんだよな。布団も作りたいわ……。


 あれ。……ちょっと待てよ。

 今まで特に疑問に思ってなかったけど、一宮が疱瘡にかかって死んだことって、どうなんだ?

 源氏物語の桐壺の章は、プロローグみたいなもんだ。

 桐壺更衣が帝に寵愛されたことから、源氏の元服・結婚まで駆け足で書いてある短い章である。

 だが、一宮くんが疱瘡にかかって死にかけた(死んだ)とは書かれていない。

 そして、源氏物語は源氏とその子孫らの生涯を70年余りにわたって描いているが、書かれているのはあくまでも大きな出来事だ。

 日常の細々としたことが全て書かれているわけではない。紫式部によって書かれることがなかった()()()()()がある。

 だから、一宮くんの天然痘と死にかけ事件も、その間に起こった出来事なのだ、といえば筋は通らないでもない。今回、()がたまたま表に出てきてしまっただけで。

 でも、千寿という私以外の転生者がいるという以上、一つの仮説が浮かび上がる。

 それは―源氏側に転生者がいるんじゃないか、ということだ。

 原典では果たせなかった“光源氏天皇”の即位を狙い、一宮(わたし)を殺そうとした。

 そういう能力なのかもしれないし、そうじゃなくても、天然痘についてのちょっとした知識があれば、私に感染させることができる。

 ……。いや、考え過ぎか?

 転生者がいたとしても、21世紀人だ。

 ここは人の命が綿埃の如く軽い平安時代だけど、中身が21世紀人なら、人の命を奪うことにかなり抵抗を持つだろう。

 平和ボケした日本人ならなおさらだ。

 私は頭を軽く振って、恐ろしい考えを振り払った。

 さっさと寝てしまおう。


「明日から、またスパルタだよ千寿」

「うええ、お手柔らかに」


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