第48話 鏡に映るは別世界
獣人の女性は困惑している。対峙している存在にではない。今自分が見ている光景にだ。
誰もいないと思っていたこの建物の中には人が怯え隠れている。
外に出ると子供の泣き声が微かに聞こえる。人々の気配が家から感じる。
村人たちは初めから居たのだ。ただ、気が付かなかっただけ――
「どういうことだこれは……」
キャミィが【選ばれし英雄】で呼び出した魂――レクス・ヴァルクレイは呟く。
「それはこっちの台詞なんだなー。キミはだぁれ? 私の【異次元鏡界】から抜け出すなんて、ちょっと普通じゃないって」
レクスの目の前には黒髪でショートボブの女性と、金髪、金色の髭を生やした長身の獣人が立っている。
獣人の身体中には斬り傷が見えるが、出血は既に止まっていた。
「ミレイ、どうする」
獣人の男は低い声で呟く。尋常ではない程の殺気を向けられ、レクスは空気がヒリつくのを感じていた。
「【刃王】はまだ建物の中かぁ。じゃあ殺っとこうよー。こいつ消した後に【刃王】殺って、最後に大物だぁ。ラッシュ、お願いね」
ミレイと呼ばれたショートボブの女性。
顔は真っ直ぐレクスに向けているのだが目線が定まっておらず、その様子はどこか不安な気持ちにさせる。
彼女の言葉を受け、ラッシュは獣人化していく。体躯はより逞しく、爪と牙は鋭く、変形した顔の形は獅子に近い。
「同じ獣人を屠るのか?」
「私には強い意志がある。それは種族の繋がりを超越したものだ。故に私はお前を――殺す」
「やってみせろ!」
獣人特有の身体能力の高さ。それは常人の遥かに上をいくだろう。特に獣人化と呼ばれるかれら特有の能力は、獣人本来の姿を引き出しより強大な力を自身に与える。
しかしその力と引き換えに、一つの特性を引き出す。
その狂暴性は人としての理性を徐々に消していく。
「グアァァァ!!」
けたたましい雄叫びをあげ、鋼よりも硬い爪でレクスに襲いかかる。爪撃を躱し続けるが、その猛威はレクス以外の存在にも存分に振るわれた。
決して狭くない建物内だが、彼の巨駆はゴム毬のように部屋中を駆け巡り、荒らし、隠れていた村人たちを蹂躙していく。
「ちっ……こっちだ、デカブツ!」
攻撃を掻い潜り建物の外へと出るレクス。
彼女の後を追うようにラッシュとミレイが追いかけて来た。
「逃げてばかりだな、お前も獣人化してみせろ。お前の力を見せてみろ!」
「戦闘狂か? ……いや、ただの殺人鬼か。弱者にしかその爪を振るう事が出来ない哀れな獣め」
「ふん! 見事な口撃だな。だが、それは正しい。俺に殺された全ての者が弱者だ。俺は強者だ!」
その時、強い風がラッシュのいる方向から吹き荒れる。
ラッシュの能力は【暴風の化身】――
風を操り、自らの存在を風の一部と同化させる能力。
同化している間はあらゆる物理攻撃を無効化できる。持続時間は十五秒。任意で途中解除する事も可能である。
「風に引き裂かれて死ね!!」
ラッシュの姿が風に飲まれ、消えた。
レクスは腰に携えた刀柄に手を添えると、腰を落として構える。
風が彼女をすり抜けて行く。長く美しい髪がなびく。微かに金属音が鳴ると同時に彼女の右手が僅かに動く。
ほんの一瞬の出来事だった。レクスの斬られた髪が空を舞う。
彼女が後ろを振り向くと、上半身と下半身が切断された獣人の姿があった。
切断面はとても美しく、骨も滑らかに斬られている。
少し時間を置いて、獣人の半身から血と臓物が溢れ出てくる。
その様子をミレイは黙って眺めていた。決して余裕からではない。
恐怖で足がすくみ言葉も発する事が出来ず生唾を飲む。
「獣の血に溺れてしまった哀れな同胞に祈りを捧げよう……」
レクス・ヴァルクレイの能力、【我に断てぬ物無し】――
彼女はあらゆるものを斬る事が出来る。どのような硬度を持った物体だろうと物質だろうと、それこそ概念すらも斬り伏せる。
ただ斬る事が出来るだけなので、その後の反応はそれぞれ異なる。能力の発動には物理的に切断が可能な"何か"が必要である。
武器である必要は無い。木でも紙でも、それこそ素手でも可能だ。
ちなみに効果範囲は能力の練度と得物に左右される。
「さて、次は君が相手をしてくれるのかな?」
言葉をかけられたショートボブの女性の体が、思わず硬直する。ミレイの能力は戦闘向きではない。だが使うしかない。でなければ自身の命が危ういのだから――
「取り込めよっ! 【異次元鏡界】!!」
彼女は手をレクスに向け翳す。思わず身構えるが、何か起きる様子は無く一見すれば変化は見当たらない。
「どのような能力かは分からんが……私には通用しないようだな」
「うっ……」
背を向け逃げ出すミレイ。その様子に思わず鼻で笑いゆっくりと追いかける。
「やれやれ、悪逆無道の組織の一員にしては無様な姿ではないか。なぁ、キャミィ?」
あえて口に出して自身の内に潜む本来の人格に話しかける。ミレイは民家の壁に背を付けて息を切らし、レクスと対峙していた。
「随分と足が遅かったな。それとも誘ったか? だとしても……」
レクスは居合いの構えをとる。彼女との距離はまだ三メートルは離れていたが、既にそこは能力の範囲内だった。
「これで終いだ」
「今! 【異次元鏡界】!!」
ミレイの姿はそこにはない。刀を抜いたつもりだったが、抜く前に対象が消えてしまった。
「……やられたな」
【異次元鏡界】はミレイ・ルスタールの空間操作系能力である。彼女は姿が映るものを介して、もう一つの世界へあらゆる対象を送り込む事が出来る。範囲は設定した鏡に映っている全て。鏡の中の世界での建造物は現実世界のそれと何ら変わらない。
ただ、彼女が設定した能力の範囲外からは出る事が出来ず、脱出手段も彼女の能力が解かれるのを待つしかない。
ちなみに姿さえ映れば鏡ではなくても設定は可能である。ミレイは事前に村中の鏡や硝子に能力を設定していた。
「最初のはフェイクか。やるではないか……
とりあえずエッジと合流してカイルを追うか」
レクスに慌てた様子はなく村役場に向けて歩き出す。
その頃、カイルはマリュデスを追って村の奥まで来ていた。




