第16話 クリスティーナ
クリスティーナはごく平凡な家庭で生まれ育ったが、両親は育児放棄気味であり、物心ついた時から想像で作った架空の弟と遊んでいた。
ごっこ遊びが好きな大人しい娘、両親は手のかからない娘をその一言で片づけた。六歳になった彼女は両親に弟をせがんだが、子宝に恵まれなかった。
クリスティーナは弟が欲しかった。
それでもなおせがんだ娘を疎ましく思った両親は露骨に嫌な顔をして厳しい口調で攻めた。
クリスティーナは理想の家族が欲しかった。
彼女にとって理想像とはかけ離れた両親を、彼女は家に火を放ち殺した。 クリスティーナは死なない程度の火傷を負いその治療の為、入院することになる。
同室に入院してる小さな男の子と仲良くなった。男の子は病弱で三歳だというのにずっと入院しているのだと言う。理想の男の子を見つけた。
そう感じた時、彼女の能力が開眼した。
【理想の姉弟世界】――
過去、現在、未來に干渉し、彼女が自ら望む世界に作り替える能力である。
一つ目は、自分自身と対象者が三十センチメートル以内にいることで発動。記憶、人格を自らの弟として作り替える。持続効果は一週間である。
二つ目は、自分自身と能力対象者である弟が三メートル以内に存在、かつ半径五キロメートルに対し自らが作り上げた物語を展開させる。その場合、第三者に対する記憶、人格の書き換えも姉弟に関するものに限り可能。
三つ目は、対象者が年下であること。
この条件が揃った時、彼女は限定的に世界の全てを操ることが出来るのだ。
赤の他人も条件を満たせば巻き込める。例えば、あたかも不幸な出来事があった可哀想な姉妹を叔父が引き取る、といったような設定が通用するのだ。それは言ってしまえば、二人の為だけの小さな世界を築き上げる事が出来るのである。
しかしここでクリスティーナ思惑が外れる。
元々異世界の住人であり七百年以上生きてきたエリグラーズ・ルクカインはこの能力の影響を受けない。長期間支配されていたカイルの残留思念に引っ張られ、また彼もカイルとして生きていくと決めた為、クリスティーナへの想いは変わらない。だが能力の対象としては別の存在である為、支配の対象外となりその想いは薄れていった。
クリスティーナは十五年以上築き上げてきた理想の世界を、理想の弟を、まさに今この瞬間失ったのだ。
「……? 姉さん、どうしたの?」
クリスティーナは悟った。
カイルには、この男には能力が通用しないと。
「ううん、何でも無いの。まだ疲れてるのかしら……気分転換がしたいわ。少し、歩いてくるわね」
そういうとクリスティーナは席を立った。
カイルは黙ってそれを見送っていた。
クリスティーナは思考していた。
もうすぐ一週間が経とうとしている。弟役であったカイルが存在しないのでは効果の上書きが出来ない。そうなればたとえ家に帰ったとしても叔父役の男性はもはや他人となっているだろう。
この街で新たな弟を見つけるか――
「クリスティーナ・イングラムさんですね?」
見知らぬ男に声をかけられる。
ハットを被った老齢の男性。身形はきちんとし過ぎているほどでこの街の雰囲気とは合わずどこか浮いている。それは、いつかランペイジ城で見た執事のような雰囲気をクリスティーナは感じていた。
「我が主が貴女の素晴らしい能力に興味を抱いております。是非、お話だけでも」
「何のことですか? 私は――」
「弟君をお探しなのでしょう?」
クリスティーナは息をのむ。
しかし得体の知れない者の言葉に操られるほど彼女は愚かではない。
「我々ならば貴女に相応しい弟君をご用意できるかと」
続けて語った男の言葉にクリスティーナは察する。 この者は全てを知ってこの場にいるのだ、と。それならば彼女が取る道は限られる。
「私は誰にも操られるつもりはありません」
男は被っているハットを取り頭を下げながら口を開く。
「失礼致しました。私の名はミカルゴ・ヘイルマン。そして我が主は【十王】にしていずれこの世界を手中に収めるお方」
「【征王】ヴァルク・アイゼルン様でございます」
【征王】ヴァルク・アイゼルンはオラシオン帝国の重鎮である。
オラシオン帝国は軍事大国であり、ランペイジ王国と世界を二分すると言われていた。だが内政は酷いもので民は疲弊しきっていた。周辺諸国を制圧し、いよいよランペイジ王国との戦争に入るかと思われたが、ここで反乱軍との内戦が勃発。当初は正規軍の圧勝かと思われたが、【征王】ヴァルク・アイゼルンが反乱軍に加わったことで事態は急変する。
彼は【能力者】を引き連れ反乱軍と共に戦った。
さらに、オラシオン帝国の現状を嘆いていた第三皇子のルクシア・オラシオンを味方に引き込むと反乱軍から革命軍と名前を変え民衆を味方につける。一年で戦況は一変、皇帝のジバール・オラシオンは討たれ、勝利を収めた第三皇子は皇帝となった。
革命軍の実質的指導者であったヴァルクは大臣の座を与えられた。
「そしてこのお方こそが、ルクシア帝国皇帝のルクシア・オラシオン様でございます」
あまりに自然にいた為か、本来そこにいるはずがないという思い込みか、クリスティーナは紹介されるまで彼がそうだとは気付かなかった。
少年は気品に溢れ、美しく、凛としている。透明感のある金色の髪。シミ一つない白い肌。宝石のような綺麗な碧色の眼。
クリスティーナは自分に問いかける。何故気付かなかったのだろうか、と。
「さぁ、クリスティーナ様。貴女の能力をお使いください。それが我が主の願いでもあり、彼の願いでもあります」
クリスティーナは混乱していた。
この状況にではない。彼を弟にしてもいいか、などという訳でもない。未だにカイルの事を忘れることが出来ない事に、である。いってしまえば赤の他人。それでも初めて出来た弟はやはり特別な存在だったのだろう。だがその弟はこの世にいない。
その現実を思いだし、彼女は【理想の姉弟世界】を発動させる――
『あら、久し振り。元気だったかしら?』
声をかけてくる一人の女性。
彼女はクリスティーナの精神世界の住人である。
ここは【理想の姉弟世界】の中。全ての時が止まった世界。
クリスティーナと、彼女にそっくりの容姿をした女性しかいない世界。
『へぇ、今度の弟役は随分と年下なのね。それにすっごい美形』
この世界で効果範囲内に存在する誰にどのような役割を与えるかを設定できる。
一週間毎に設定の更新が必要で、内容の変更も可能である。
『それで今回はどうするの?』
「ルクシア・オラシオンを弟役に設定、隣の老人は私と弟の執事に」
『執事……ねぇ。ふふ、クリスティーナ。貴女随分と良い身分になるのね』
「それから……」
能力の設定は現実世界の時間に影響されない。
発動した瞬間に役割を与えられるのだ。
「ミカルゴ、貴方の主の名は?」
「ハッ、ルクシア様にクリスティーナ様でございます」
「ヴァルク・アイゼルンとの関係は?」
「ヴァルク様……失礼致しました。ヴァルクはただの雇い主でございます」
「よろしい。では私たちを城へ案内なさい」
深々とミカルゴが頭を下げ、馬車の手配をする。
ルクシアがクリスティーナの手を引っ張った。
「姉上、もう帰るのですか? せっかく他国へ出かけたのに……」
「ルクシア、やらなければならないことがあるでしょ? それが終わればまたお出かけできるわ」
「本当ですか? それなら早く終わらせましょうね」
「ええ、そうね……」
***
「あれ? カイルー! 一人でご飯?」
キャミィが少し離れた場所から大声でカイルに声をかける。
カイルは一人で居たことに、たった今まで気付かなかった。
「もう、それなら一緒に来ればよかったのに。あ、もしかして恥ずかしかったのかな?」
レフィアが悪戯っぽく笑いながらからかう。
「あぁ……そう、かもな……」
心ここにあらずといった様子でカイルは彼女たちを見た。
何か忘れているような、しかしそれが何かも分からず、次第にそのことすら忘れていった。
「食べ終わったら宿に戻るから先に行っててくれ」
「……了解」
「さ、皆さん。カイル様のお邪魔になりますので行きますよ」
また一人となったカイルは昼食を食べている。
向かいの席には誰もいない。なんだかそれが寂しく感じていた。
***
「よろしいので?」
ミカルゴは主となったクリスティーナに声をかける。
「意味が分からないわ」
「失礼しました。今から帝国へ向かいます」
クリスティーナは【理想の姉弟世界】で自分と関わった者全員の記憶を消去していた。
(さようなら、カイル……)
心の中で最初の弟に別れを告げる。
「さぁ、帰りましょうか、ルクシア」
「はい、姉上」
クリスティーナは新たな家族を、弟を手に入れた。
そしてこの日、彼女は皇族となった。




