元クラスメイト
二人の足音が完全に聞き終えてから冬葵はモゾモゾと上体を起こす。
冬葵は先ほどまで閉じていた眼を手の甲でこする。
机の上に4,5の粒水の固まりが落ちていることに驚き、袖て振り払うように拭いた。
中指と人差し指で軽く目の下を触った。
濡れた感触がないことに安心をする。
冬葵はここ何年か泣く、と言う行為をしてこなかった。
あれ以来、冬葵は自分の涙をあくびの時以外見たことがない。
泣くという感情をなくした。と言った方が早いかもしれない。ここ何年か冬葵は周りに人がいる時はもちろん、自分一人の時でも泣くことは一切なかった。
もし、そんな忘れてしまった感情をあの数秒で思い出したのなら理由が知りたい。
なぜ、さっき自分は泣いた?
と問いかけ、聞き出したい。
けれど、冬葵には先程のが涙だと確信が持てなかった。
例えば、小さい頃遊んでいたぬいぐるみとそれに似たぬいぐるみが何年かぶりに自分の目の前に現れてどちらかが本物かか迷うような、わかっているようでわからない感じ。
涙が自然と出るものなのかもわからない。
俳優の涙は糸的に仕組まれて流されるものだ。
しかし、さっきのは粒は?
答えは見つからなかった。
冬葵は仕方なく机を元の場所に戻して資料を持って教室を後にした。
カバンは教室に置いていった。
「ありがとう。助かったわ」
佐藤先生が資料を受け取った。
「それでは」
冬葵は彼女に一言残して職員室も後にした。
冬葵は置いていったカバンを取るために教室に戻った。
校舎の中は静かだ。
今日は入学式があった日なので部活が無く、残る生徒も少ない。
せいぜい後者に残る生徒といえば冬葵みたいに学級委員の仕事を任された人か、図書室で勉強をする真面目か、読書好きぐらいだ。
そしてその人数は全校生徒の十分の一にも満たないだろう。
教室のドアが見える廊下についた時、一人の小柄な少女のシルエットが教室の中を気にしている様子で行ったり来たりを繰り返していた。
「……なにしてんの」
不審者かと思いそうなほど不振な行為をしていた少女に話しかけた。
「西園寺くん」
彼女は安心したのかホッと胸を撫で下ろす代わりに遠慮がちな優しい笑みを向ける。
「相原。不審者になりたいのか?」
「ちっ、違うよ!あ、あのね、西園寺くんに用があって、きたんだけど」
「なに?……用って」
冬葵は不足していた言葉を付け加え、教室に入ってカバンを取った。
「西園寺くんのせいじゃないからっ……!!」
彼女から聞いたことのない声量の声が教室に響いた。
冬葵は発信元が本当に彼女なのか気になって廊下をみた。
彼女は両手で口を抑えて俯いていた。
夕日に変わろうとしている太陽の色が彼女を照らし、顔が赤くなっているのか、夕日のせいなのか遠目からではわからない。
冬葵は彼女かいる廊下側に歩きだし、相原優香の頭を優しく撫でた。
冬葵の手が大きいのか、相原の頭が小さいのか、冬葵の手に丁度よく相原の頭が収まる。
この感じが懐かしく感じた。
「西園寺くん……?」
彼女が少しはずかしそうに冬葵の名を呼んだ。
「優香」
「な、なに?」
「もう少し撫でていてもいいか……?」
相原の小さな頭が上下に動く。
「ありがとう」
「優香。ごめん」
この感触が懐かしくて、ついうっとりしていたら西園寺くんが呟いていた。
彼の心の中にまだ責任感みたいなものがあることがわかる。
西園寺くんのせいではない。
さっきの言葉だけではうまく伝わらなかったみたいだ。
「西園寺くん。謝らないで。西園寺くんのせいじゃないから。絶対」
西園寺の手が優香から離れた。
懐かしくて落ち着くあの感触が離れたことに淋しさを覚え、つい自分の真上にある彼の顔をみてしまう。
西園寺くんの背が伸びたと感じた。
去年も身長差はあったもののここまではなかったと思う。
数ヶ月話さなかっただけでここまで距離が出来たことを今、見ることが出来た。
「優香。戻った方がいい。また、あいつらがくるかもしれない」
西園寺くんが一歩後ずさりした。
嫌だっ。もう、離れたくない。
言葉にする事ができなくて、涙が代わりに溢れてきた。
「……お前の涙は嘘だとは思えない」
泣きたくないのに涙は次々、頰にふれいく。流れていく。
泣くな。西園寺くんが困るだけだ。
分かっていても涙は止まる事がない。
どうして……?
止まって。
彼をこれ以上困らしたくないの。
お願い。
「お前を離したくないのが本音だ」
西園寺くんが私の耳元で囁いてから目の前で腰をかがめた。
ひやっと冷たいものが頰に触れる。
涙を優しく細いのにしっかりとした指先で拭ってくれていた。
目が赤くなっていくことがわかる。
そんなことを言わないで。
もう、終わりみたい。
私はまだ……。
「優香、まだ俺はお前のことが好きみたいだ。ごめんな。諦めるから」
目の前にいる西園寺くんの目は淋しさで溢れている。
「だから今日だけ、許してくれ」
「……うん」
西園寺が優香を抱きしめた。
壊れものを大事そうに壊さないように慎重に……。
強くもないその抱きしめは優しさと切なさを感じる。
彼の服から甘い匂いが鼻をこする。
懐かしい。
この体温も。
匂いも。
彼の体に収まるような感覚も。
まだ、こうしていたいのに……。
それが叶うならどんなに嬉しいだろう。
優香は西園寺に抱きしめられたことで分かった。
彼は私を好きでいる。
けど、前みたいには戻れない。
そう、私に触れる彼の温もりが告げていた。
「西園寺くん。引き止めちゃてごめんね。ありがとう、私も西園寺くんを諦めるようにするから」
もう、後戻りはできない。
「きっと俺よりも幸せにしてくれる奴がいる。俺がいうのもなんだか、保証するよ」
「えへへ、ありがとう。西園寺くんが言ってくれるなら絶対だ」
ありがとう。
もう一度呟いて、彼の服をぎゅっと力強く握った。
離れたくない。
まだ一緒にいたい。
両思いなのに分かれるなんて嫌だ。
そのことを言葉に出来ないほど自分が嫌だ。
言葉にしてしまえばいいのに。
ちょっと勇気を出して、彼に告げればいいのに。
さっきよりも彼の制服をつかんで彼を見上げた。
「西園寺くんっ……」
切なさや淋しさ、後悔、優しさ、迷いのような眼が夕日に照らされている。
彼は私以上に色々と考えていることが一瞬で読み取れた。
これ以上話さないで欲しい。
とさえ感じさせる。
“お互いのために”
それが本当に私達の幸せなの?
口にすることは出来なかった。
彼の眼が真剣だった。
もう、優香とは関わらない。
告げている。
優香はじぶんの無力を感じた。
彼に自分ができることは何一つないことを知る。
逆に自分がいることで彼を悲しませているのだと、辛い思いをさせているのだと……気づいてしまった。
気づいてしまった以上、彼の側にいることはでない。
これ以上彼を傷つけたくはないから。
これを逃げだと思うなら、笑えばいい。
けれと、今の自分にはこれしか出来ないのだ。
今、できる事…彼の望む事をしてあげたい。
「私、帰るね」
「あ、あぁ」
西園寺くんの温もりが離れていく。
「じゃあな」
「うん。さようなら」
私は後ろを振り向かず、廊下を走った。
耳には彼の息遣いが残っている。
視界が潤んできた。
走ってはいけないことが分かっていても歩いてはいられなかった。
歩いたら、後ろを振り向いてしまいそうだったから。
またね。
その言葉を優香達は口にしなかった。
もうお互いが会わない事を願っていたから。
会いたくても会えなくて、両思いなのに好きでいられない気持ちがどんなに辛い事なのか、優香も西園寺も知っている。
けれど、そうする事しか二人にはできなかった。
積極性の少ない彼女と人と触れ合う事で覚えたばかりの優しさを持つ彼にはどうすることもできなかった。
お互いが、相手の幸せを思っていたから。
自分が判断なしに手を出してはいけないと心の中で決めていたから。
どうすることもできなくて、傷つけてしまった相手を傷つけないようにするにはどうしたら良いかずっと考えていてもその答えは安易では無くとても難関で……。
__会わない道を選ぶしかなかった。
「「っ……!」」
「すみません。大丈夫ですか?」
廊下の曲がり角で誰かとぶつかってしまった。
胸元に光るAのバッチが見える。
「こちらこそすみません」
優香は涙を拭い、バラバラに広がった本を丁寧に集める。
「すみません。ありがとうごさいます」
Aのバッチを持つ彼に本を渡すと優香はまた走って行った。