第十九話 アダルバート・クローディア
「ロザリー!ロザリーはいるか!」
公爵クローディア家の朝はとても騒がしかった。
通常ならば、軽く朝食を済ました後は当主は公務へ行き、奥方は付き合いで名だたる家の茶会に出席する。
しかし、急遽帰還した跡取り息子、アダルバート・クローディアが最愛の妹を探す為に使用人に問いただしていた。
準成人式を挙げるのだから、宮中にいる事をアダルバートは知っているはずだが。
と使用人は曖昧に笑って仕事に戻っていく。
ロザリーが相手なら、使用人はそんな行動はできるはずがない。しかし、次期当主だとしてもアダルバートは決して使用人に当たり散らしたことなどないのだから、たとえ叫びながら問いただしても震え上がる使用人はいない。
「煩いぞ、アダルバート。ロザリーなら宮中だと……。」
ここで耐えきれなくなった当主が諌めるも、アダルバートは大袈裟に悲しがり、
「ああ!ロザリーは俺を置いて宮中に行ってしまったのか!昔は何をするにも私を頼ったと言うのに!」
と叫ぶ。ロザリーと揃いの翡翠の瞳に涙を浮かべるのも忘れずに。
アダルバート・クローディア。
ロザリーの兄だ。
海外へ飛び、第一王子と交流を深めている。ロザリーと同じ金髪に翡翠の瞳だが、性格も良く人気がある。
唯一の欠点はロザリーを甘やかしすぎたこと。兄のおかげでロザリーが我儘になったというのは社交界で有名な話になった。
「式は3日後だ。まだ時間はあるだろう。」
「いや、私は一刻も早くロザリーに会いたくて帰ってきたからね。しかも紹介したいひともいるんだ。」
アダルバートのその言葉を聞き、当主は少しばかりの驚きを表した。
「なんだ、あー、恋でもしたか。」
若干の気まずさをにじませながら聞いてくる自分の父に思わず吹き出し、笑いながらも首を横に降る。
「いやいや、私には恋愛は程遠いが、ロザリーに気の会いそうなやつを見つけたんだ。何日か前にこちらに着いていると連絡がきた。……もちろん恋愛ではなく、友として気が合いそうでね。」
当主はそれを聞くと、ほう、と興味を示した。本当の友達がいない我が子を心配して、様々な令嬢や使用人のお嬢さんに会わせてみたが、上手く行ったことがなかった。
時には相手を泣かせ、時には困らせ、自分が何度先方に謝ったか数えきれない。
それでも、膝を抱え、涙を我慢している娘を見て、責める気持ちもおきず、友を諦めるしかないと落胆していた。
「私も何度か妹の友達候補との仲介に入ったけど、そうするとあの子は私の後ろに回り込んで服を掴むばかりだからね。それはそれで嬉しいけど、やはり友とは必要なものだからね。……気のいい奴だ。」
「そうか。」
当主は何処か安心した顔をした。公務に忙しく、あまり構ってやれない娘に申し訳なく思って、強く言えなかったこともロザリーの我儘を助長したのかもしれない。
「一つの欠点を言うならば、男だという事だ。」
「何だって!」
そこに反応してしまうのを見る限り、当主も当主なりに娘を大切に思っていることがうかがえる。
それを言うならば、ティモシー・エーベルトも男だが、ティモシーがそういう気持ちを持つことはあり得ないと言う事を当主は思っていたのだ。
「母上、お久しぶりです。」
「アダルバート……。ロザリーは宮中よ。」
やはり、自分にあって最初に言うことは我が愛しの妹の話なのだな、と我ながら面白く思った。
父上とは、男同士というのもあろうか、気が合い話を楽しむことができるのだが、母上に独特な緊張感を持っていた。
いや、自分がそう感じているのではない。母上は誰と話すときも、お淑やかに笑い、こちらが緊張するような雰囲気の人だった。
産みの母であるのに、私はこの母上が苦手だ。
底知れぬ物を感じる。
父上と母上の間には、愛情は確かにないはずはないのだ。たとえそれが恋ではなく家族としてだとしても。
あの妹を可愛がっているところから見ても、母上を好むタイプではないことは明白だろう。それを母上も自覚して母上から話しかけてくることもなかった。
母上から愛されている自覚はある。母上を自慢に思う気持ちもある。しかし、好きにはなれないのだ。
「アダルバート、おいで。」
このように呼ばれて素直に近づいてしまうのも、息子の性なのだろうか。
「あら……。髪質がロザリーと同じなのね。」
と頭を撫でながら微笑む母上に泣きたくなってしまう。自分が乳母としか接していなくて、母上を遠くから眺めているだけだった幼い頃、こうして撫でてもらう事を夢見ていただろうか。
「失礼します。母上。」
それだけを告げて部屋を出て、自分の部屋へ向かう。
ベッドへ転がり込み、好んでいる愛しい妹と同じ髪を触りながら目を閉じれば、やはり、妹はそこにいるのだ。
妹が出来たと聞き、慌てて母上の部屋へ走った。
教育係が何かを言っていたが、恐らくは走るな、とかいう注意だろう、と決めつけ無視を決め込んだ。
母上の部屋の前について、深呼吸を一つしても、落ち着きはしなかった。
遊び相手がいなかった私に、妹ができるというのは朗報でしかなかった。勉強や付き合いばかりの生活に嫌気がさしていたのだ。
母上の部屋の扉をノックして入ると、父上が窓のそばにあるゆりかごを覗き込んでいた。
母上がベッドにいたので、一度礼をすると
「アダルバートも見てみなさい。可愛い女の子だ。」
という父上の声が聞こえた。母上が微笑み、私の背中を軽く押した。
ゆりかごを見ると、金髪の丸いのが動いていた。私が近づくとその時、初めて目を開いた。そして私をみて笑った。
窓からの光で髪が輝いているように見えるその子は、まさに、私にとっての守るべき存在であり、愛すべき存在になった。
それからも、私の妹に対する愛情は衰えなかった。望まれれば何でも譲り、してあげた。
私に懐き、後ろをついてくる姿に嬉しくなった。
目を開けるといつも通りの自分の部屋だ。
いつまでも甘やかしてはいけないのだ。あの子も、自分も。