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「サディエから全てお話しさせていただきます」


 あの日ウォルハルト様は何も語らなかった。サディエ様が姿を現さない理由も、あの女性のことも。

そしてすべて話すと言われやってきた部屋には、久しぶりに顔を合わせるサディエ様と側近のウォルハルト様。そしてなぜか、いややはりというべきか、あの女性もサディエ様の隣で座っていた。そこで告げられたのはやはり最悪の結果である、婚約の解消という言葉であった。








「新しいものをお持ちします」


 目の前にあったカップが下げられる音で我に返った。愛だ恋だという感情はなかったとはいえ、やはり堪えるものである。

 テーブルに温かい紅茶と一緒にガラスの器に入った真っ赤なベリーのムースが置かれる。生クリームがたっぷり乗った上には可愛らしいマカロン。


「私甘いもの嫌いなの」

「そうですか」


 ウォルハルト様は特に関心がなさそうに返事をする。その言い方にすこしむっとして声を荒げてしまう。


「あなたは全て知ってた上であんな茶番を続けていたのね」

「命令でしたので」

「ひどいわ。どうせ心の中で嘲笑っていたのでしょう。哀れな女だと。どうせ私は何もないわよ。お兄様のように優秀でもないし、お父様のような商才があるわけでもない。特段美しいわけでもないし、性格だって優しくも可愛くもない。それに――」

「いけません」


 目の前に座っていたウォルハルト様がいつの間にか横に座っており、無意識に握りこんでいた私の手を取った。


「あまり自分を卑下するようなことはおっしゃらないでください。あなたを大切に思う方が悲しみます」


 つい怒りに我を忘れ言葉を発していた私に、ウォルハルト様は真剣に咎めた。その目は吸い込まれるようで一瞬で自分が何を言いたかったのか忘れてしまうほどであった。


「それにあなたは哀れなんかではない。美しく、優しい姫です。サディエがそれに気付かなかっただけのこと。まあ気づかなくてよかったと今となっては思いますが」

「ウォルハルト様……?」

「それにあいつの好みに合わせたドレスや装飾品よりも、先日のほうが何倍も素敵です。あなたの美しさがより引き立つ」


 確かにサディエ様は流行のものを取り入れるのが好きだったため、そういったものを多く取り入れてはいたが、何か話がずれているような気がする。だが珍しく饒舌になっているウォルハルト様が自分を必死に慰めようとしている。そのことがとても嬉しいと思う。思うのだが、いい加減手を放してほしい。触れている部分が熱く、その熱が頬に届く前になんとかしてほしいのだ。


「あ……あのお手を……」

「あぁ失礼。……赤くなっていますね」


 先ほど強く握りすぎたのだろうか。爪の後もくっきり手のひらにはついていた。その時、開いた手をウォルハルト様の目の前まで引かれ、何か温かい感触が手のひらに落ちた。まるで時が止まったかのように長く感じたその瞬間は唇が離れた音によって動き始める。


「なっ……」

 みっともなく声を上げなかったのを褒めてほしいくらいだ。こんなところでお父様の貴族教育が役に立つとは。しかし顔全体が熱くなるのはとめられない。

 ウォルハルト様はどうしてしまったのだろうか。今まで接してきた彼とは全く違う面を見せられ、私は困惑している。


 というか舐められた。



「消毒です」



 ウォルハルト様が口の端を上げて楽しそうに言った。これはもう慰められているというより、からかわれている。焦る私を見て楽しんでいるに違いない。


「ウォルハルト様、私もう――」


 家に戻ってお父様と今後の話をしなくては。心臓が早鐘を打つのを抑えそう伝えようとしたが、未だに捕らえられていた手をいきなり引かれ、ウォルハルト様の胸に飛び込むような形になってしまった。


「ちょっ……ウォルハルト様!」


 腕を突っ張って、何とか距離を取ろうとするが、男性の力には勝てず、抱きしめられてしまう。



「ウォルと」


「……え?」

「ウォルと呼んでください」


 抗議の意味を込めて彼の名前を呼んだのに、何故か彼は愛称で呼べという。


「なんで私が呼ばないといけないのよ!」

「いいんですか?呼ばないとこのままですよ」


 どこか楽しそうな声が上から降ってくる。


「っ……何がしたいのよあなたは」

「ローシェリア様ともう少し親しくしたいと思いまして」


 意味が分からない。なぜ私がサディエ様の側近である彼と親しくしないといけないのか。というか、もしサディエ様の言う通りこの婚約がこのまま無くなってしまえば、彼と会うことももうないだろう。


 そうか、本当にあのお茶会はあれで最後だったんだ。そう思うと少し残念な気持ちが込み上げてきた。


「考え事ですか?余裕ですね」

「……っ……ウォル!離してください!」

「はい」

 

 先ほどよりも楽しそうにウォルハルト様は私を解放した。顔というより全身が熱い。恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。

 なぜ彼はいきなりこんなことをしてきたのだろうか。全く分からない。そんなに私を虐めて楽しいのだろうか。

 ……そうか。きっと主の失態をはぐらかす為にこんなことをしているんだ。少しでもヴィーズ男爵家の怒りを抑えるために。そう思ったら、目の前の側近がひどく憎く感じられた。


「帰りますわ。馬車を用意して頂戴」


 ソファーから立ち上がり、扉のほうへ歩く。


「準備してまいりますのでローシェリア様はここでお待ちください」


 私を追ってウォルハルト様も立ち上がり私を止めようとするが、私は聞く耳を持たず、扉を自分で開け放ち、廊下に出る。


「ローシェリア様!」


 少し慌てた様子でウォルハルト様が追いかけて来た。そして通りすがりの使用人に馬車の手配をするよう指示しているのを、ちらっと後ろを振り返り瞳に納めた。これで会うのも最後になるかもしれない彼の顔を。









 後日正式に伯爵家から婚約を破棄する書類が届くかと思われたが、いくら待っても伯爵家からなんの応答もない。あれはサディエ様の暴走であり、このまま婚約は継続されるのだろうか。私だって貴族の端くれである。家のために政略結婚をするのは当たり前だ。愛しあうことはできなくても協力して家を守っていきたいとそう思っていた。小説のような恋なんて望んではいない。だけど最初からあれではこの縁談に夢も希望も持てないではないか。そんなことを思いながら針を進める。

 この縁談が決まった時からハンカチに縫い付けていた、伯爵家のシンボルの獅子。もう渡すこともないのかもしれないが、ここまでできたなら完成させたい。

 そのとき扉を叩く音が聞こえた。


「お嬢様。旦那様がお呼びです。伯爵家からの使者が参ったそうです」

「すぐ行くわ」


 もし婚約が破棄になろうとも、すぐにまた縁談が組まれるだろう。特に誰だっていいのだ。

 この男爵家と旦那様になる方の家を守ることができるのであれば。






「お久しぶりです。ローシェリア様。ご機嫌いかがでしょうか」


 侍女に案内された応接室にはお父様と伯爵家の使者がいた。いつもより上等な服を着て使者、ウォルハルト様は頭を下げていた。


「ええ。先日は大変お世話になりましたわ、ウォルハルト様。もうあなたに心配される必要はありませんのよ」


 もう会うことはないと思っていたが、久しぶりに彼の顔を見たら、先日の怒りが蘇ってきた。


「ローシェ。よさないか。この方は伯爵家の――」

「いいんです。それよりウォルと呼んでくださいとお願いしたのに」


 お父様の話を遮り、彼は少し寂しそうに言う。その顔がどこか胡散臭い。


「知りません。それより結論を言って頂戴。婚約は継続されるのかしら。それとも破談?」

「私からお伝えしても?」


 お父様が頷くのを確認した後、ウォルハルト様は口を開いた。


「伯爵家との婚約はこのまま継続します」


 私は一つ息を吸って、ゆっくり吐いた。

 お父様と伯爵家が決めたことなら仕方がない。サディエ様の心が離れていても伯爵家に嫁ぎ、私は与えられた務めを果たそうと決心した時だった。



「しかし相手は長男サディエではなく、次男と婚約していただきます」


「――え?」



 その決心はすぐに使者で側近であるウォルハルト様によって壊された。


「次男?え?何の話をしているの?カタンニア伯爵のご子息はサディエ様だけよ。他にご子息がみえるなんて」


 そんなこと聞いたことがない。確かにカタンニア伯爵の奥さまであり、サディエ様の母はすでに病で亡くなられているが、伯爵が再婚した事実はないし、次男なんて社交界で一度もお目にかかったことがないのだ。


「昔、伯爵が市井の女性に産ませた子が存在するのです。醜聞に繋がるということで今まで伏せられてはいましたが、この緊急事態です。伯爵家が断絶するよりはましでしょう」

「え?伯爵家断絶……?」


 何やら穏やかではない話になってきている。所謂隠し子というものは、世間一般的に見たらあり得ない話ではない。

 しかしなぜ婚約破棄から伯爵家の存続まで話が飛んでしまっているのか。予想外の話に覚悟を決めて部屋に入ってきたとはいえ、少し混乱してきている。


「サディエ様はどうなされたのです。彼は伯爵家を継ぐ方です。仮に私と結婚せずとも彼がいればお家断絶なんてことにはならないはずです」


「彼は……伯爵家を捨てたんだよ。駆け落ちしたそうだ。伯爵家の客人とともにね」


 お父様が深いため息とともに押し出すように答えた。伯爵家の客人と聞いて思い出すのは、あの時サディエ様の隣に座っていた小柄な女性。まさか駆け落ちするまで心を通わせていたとは。


「サディエは悩んでいたようです。彼女と共に生きていきたいが身分も保証されていない彼女と結ばれることは難しい。伯爵にもお願いしたが、もちろんそんなこと許されるはずがない。このままでは男爵家の令嬢と結婚させられてしまう。そうして苦しんだ結果、先日書置きを残して、二人は消えました」


 まるで小説の一文を読んでいるように淡々とウォルハルト様は言った。


「男爵家も協力して周辺を探らせているが、いまだ発見には至っていない。出奔してからもう数日たっているから、すでに国外かもしれない。そうなると発見するのは砂漠の中で小さな宝石を探すようなものだ」

「ええ。発見は絶望的です。ですから伯爵家としては奥の手を出すことにしました。ひた隠しにしていた次男を引っ張り出し、次期当主とする。そして男爵家令嬢ローシェリア様を婚約者に迎え、事態の収拾にはかる。当分の間は好奇の目にさらされるでしょうが、すぐに収まるでしょう。どうでしょうか、この案は。男爵家に、いえ、あなたにとっても悪い話じゃない。幸運なことに公にしているのは伯爵家との縁組であって、相手がサディエであるという明言はしていません。それに旦那となる人の心の中に違う女性がいたら嫌でしょう。私は決してそんなことはしませんし、あなたを大切にします」


 諦めたようなお父様に対し、いい考えでしょうと言わんばかりのウォルハルト様の言い分に少し頭が痛くなるが、伯爵家のごたごたに巻き込まれるのは御免である。

 しかし、確かに婚約者に逃げられた令嬢というレッテルを貼られたら、暫くは次の縁談は来ないだろう。言い訳としては少し苦しい気もするが、伯爵家とは言ったけれどサディエ様と婚約するなんて誰も言ってないよーと逃げ切るわけだ。

 と、そこまで考えて先ほどのウォルハルト様の最後の言葉に引っかかりを感じた。


「……だれもあなたの結婚観なんて聞いていませんし、あなたに大切にしてもらわなくても結構ですわ。次男の方がどう思っているかは知りませんが」

「はい。ですから私はあなたを愛しく思っています。だから安心して私のもとに嫁いできてください」

「……何言っていらっしゃるの。ふざけるのもいい加減にしてちょうだい」

「こんな時にふざけてなどいません」

「だって、まるであなたが伯爵家の次男の方みたいな言い方――」


 誰も言葉を発しなかった。説明を求めてお父様をみるが、お父様は黙ったままである。


「……え?何?まって……どういうこと?」


 混乱を超えて、もう頭がうまく機能しない。しかしこの状況から考えて、出される答えは一つであった。



「私が伯爵家第二子、ウォルハルト・カタンニアです」



 そう言ったウォルハルト様の銀縁眼鏡の奥の瞳の色が、エリーミ様と同じ鶸色であることに今更ながら気づいたのだった。


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