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次のお茶会でもサディエ様は途中で退席をされ、またしても側近と時間をつぶしてくれという。前回のような妙な空気は味わいたくないため素早く側近に退席を告げるが、菓子を用意していたから切り分けるとの返答にまたしても阻まれた。
目の前に側近が直々に切り分けた菓子が置かれる。これは街で有名な開店前に並ばないと買えないと有名な菓子ではないか。チョコレートでコーティングされたスポンジの上に砂糖漬けのフルーツが乗っている。スポンジの中からはベリーだろうか赤いソースが隠れているようだ。これは随分と甘そうである。
「……美味しそうですわね。どこのお店のものなの?」
にっこりと側近に笑いかける。今日は食べ物の話題から攻めることにした。こうなったら質問攻めにしてやる。そんな気合を入れて目の前の側近を見つめた。
「ラデール洋菓子店のチョコケーキです。今一番人気だと聞いたもので」
「わざわざ買ってきてくれたの?嬉しいわ。ウォルハルト様は甘いものはお好き?」
「出されたものはいただきます」
きらりと光るフォークを置きながら彼は言うが、それは質問の答えになっていないような気がする。
「そうではなくて、好きか嫌いか聞いているのよ」
「……どちらかといえば好んで口にはしますが」
「そう。じゃああまりお酒は召し上がらないのかしら?」
「え?」
「甘党辛党っていうじゃない」
実際お父様はお酒がないと一日が終わらないと豪語しているが、甘い物は全く口にしない。そういうものだと思い聞いてみたのだが違ったのだろうか。
「あぁ……まぁ人並みに」
さっきからなんだかはっきりしない態度である。私と会話をするのがそんなに嫌なのだろうか。しかし少なくとも私は客であって、さらに彼は主からもてなすように命じられているはずだ。それなのに客に気を使わせるとは何事だろう。今更ながら少し腹が立ってきた。
「……私との会話はそんなにつまらないかしら」
「いえ、そんなことは」
まただ。彼はある程度の距離を保ちながら私と接している。未来の伯爵夫人と伯爵の側近としての立場を考えればそれは普通のことなのだが、何故か私の心に引っ掛かりを残す。何を私はそんなに固執しているのだろう。たかがサディエ様の側近じゃないか。
「私のことより――」
悶々と考え込んでいたら、落ち込んでいると思われたのだろうか、珍しく彼のほうから話しかけてきた。
「あなたの話を聞かせてください」
「わ……私?」
「幼少期の話とか、好きなもののこと等です。何でもいいです。教えてください」
突然そんなことを言われても。先ほどまでは彼と話がしたいと思っていたはずなのに、急に大雑把に話題を振ってくるからびっくりして、何から話せばいいのかわからない。苦し紛れに話題のチョコケーキの皿を手に取り一つ口に入れてみた。……うん、甘い。
ふとケーキから彼の顔に視線を移すと、私が言葉を口にするのを待っているかのように、じっとこちらを見ている。……何を話そうか。
私の手の上には少し欠けたチョコケーキが次の一口を待っているように艶やかに光っている。
それではこのケーキに負けず劣らず有名な、話題の劇団について話をしようか。あの劇団の看板女優は美しいだけではなく、まるで役が乗り移ったように素敵な芝居をする方だった。その感動を伝えよう。何でもいいと言ったのはそっちだ。
私の気の済むまで話につきあってもらおう。
「先日お母様とお芝居を観に行ったの。知っているかしら。今とても流行っていて、なかなかチケットが取れないのよ。その主役の俳優さんがねーー」
その次もサディエ様は火急の用があると私に告げ、部屋を出た。
「あなたの主人は最近忙しそうね。何かあったのかしら?」
何を話していてもどこか上の空で、時計を気にしているように見えた。彼の興味がありそうな話題を出しても、当たり障りのない返答しか返ってこなかったのだ。まるで側近が2人いるようで正直苦痛な時間だった。
「いえ。先日領地内で起こった水害の件で旦那様とお話があるのだと思われます」
側近はさらりと返答した。
「……あら、今日は具体的な返答をしてくださるのね」
先日も手に汗握るような戦いであった。少し躍起になって彼と話をしようと彼自身のことについて尋ねてみたが、さらりとはぐらかされ、いつしか私ばかりが話していたようだ。しかし伯爵家やサディエ様のことを尋ねると簡単にだが答えてくれることもあったため、少しずつだが進歩しているのだろう。懐かないペットが歩み寄ってきているようで嬉しくもある。
少し感動さえ覚えていると、側近が口を開く。おや、だんまりかと思っていたのに珍しく返答してくれるようだ。
「必要なことだと思いましたので」
失礼極まりない。私との他の会話は意味のないことだというのか。
また次のお茶会でも通された部屋にはサディエ様はおらず、居たのは側近のみ。
「今日はサディエ様の体調がすぐれないご様子ですので、代わりに私がお相手するよう言付かっております」
薄々は感づいていたけれど、こうなってくると決定的である。
「まあ、それは大変。ぜひお見舞いに伺いたいわ」
「いえ、そこまでは。ただの疲れです。最近忙しかったもので」
やはりサディエ様は私をさけている。これだけ露骨にされたら嫌だってわかる。私が嫌いなのか、なにか私が気に障ることを言ってしまったのだろうか。この側近に聞いたら何かわかるかもしれない。だが答えてくれるだろうかこの側近が。
改めて側近の顔をじっとみつめるが、特に嘘をついているようには見えなかった。というか無表情。この側近から何かを聞き出すのは、さすがに無理だろう。風邪を押し通されるか無言を貫かれて終わりである。
胸のもやもやを抱えながら、また今日もこの側近とあまり返球が来ない言葉のキャッチボールをするしかないのか。そう思った時だった。
「青が似合いますね」
紅茶を飲もうとした手が止まる。今なんて言ったのか。
「今までの暖色系のドレスよりも、あなたの顔に映える」
そう一息で言い切った側近の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。先ほどと違って、少し頬が赤く染まっているところをみると、本当に褒めてくれているようだ。
「……ありがとう」
その後の言葉が見つからず沈黙が訪れる。どうしよう、何か言わなくては。と言うかいきなりこの人は何を言い出したのだろうか。サディエ様のことから話を反らそうとしているのか、それともなにか意図でもあるのだろうか。
一人自問自答していると眼のふちで側近がソファーから立ち上がった気がして、うつむいていた顔を上げると目の前には彼の顔。サディエ様と系統は違うが綺麗な顔立ちをしている。まつ毛長いな、なんて見当違いなことを思っていると、私の髪に大きな手が触れた。
「失礼。これが髪に」
その武骨な手には似合わない一枚の花びら。それを見た瞬間我に返り頬が熱を持ち始める。
「ハ……ハンミの花ですわね。こちらのお庭を横切った際についたのでしょう」
少しでも彼との距離を取ろうとソファーに身体を押し付けた。早口になってしまったのを気づかれただろうか。
しかし彼は机から乗り出した姿勢から戻ろうとせず、じっと私の顔を見つめている。
「あの、ウォルハルト様?」
眼鏡の奥からでも焼き尽くされるような視線に、たまらず声を上げる。彼は口を開きかけたが、扉を叩く音がそれを遮った。ウォルハルト様が身体を起こし、入室の許可を出す。
誰かは知らないが助かった。あのまま目を合わせていたらどうにかなってしまいそうだった。彼が扉に注意を向けているのを確認して、こっそり顔を手で仰いだ。
「あら?サディは?」
サディエ様の愛称だろうか。親しげに彼の名を呼ぶ女性が扉からひょこっと顔を出し、ウォルハルト様に尋ねた。
顔立ちが幼く黒の瞳が印象的な小柄な女性。父の仕事の関係である程度近隣諸国の人の顔立ちは把握していたつもりだが、どの国にも当てはまらない。
「今日は街を案内してくれる約束をしたんだけど、どこにいるの?」
「……私室にてお休み中かと思いますが」
「いないのよ。私ずっと待っているんだけど」
この部屋も探すつもりなのか部屋の中をぐるっと見渡していた女性の視線が私と合わさり、大きな目を瞬かせる。そしてなぜか満面の笑みを浮かべた。
「やだー。私お邪魔でしたね。ごめんなさいウォルハルトさん」
肩の辺りで揃えられた黄みがかった茶色の髪がふわりと翻り、ウォルハルト様になにか一言告げた後、まるで風のように女性は去って行った。
挨拶をしようとしていた私は無様に突っ立っていることしかできなかった。
「申し訳ありません。あれは礼儀作法がなっておらず、ローシェリア様に不快な思いをさせてしまい……」
「いえ、お気になさらないで」
強ばった顔のウォルハルト様が腰を折り謝罪するのを制して、再びソファーへと体を沈める。今の私が欲しいのは謝罪ではなく説明である。
「それよりどなただったのかお伺いしてもよろしいのかしら。何かサディエ様とお約束をされていたみたいだったけど、お身体の加減はもうよろしいのかしら」
にっこり笑って、心なしかどこか焦ったような顔をしている側近に問いかける。彼は口を開く様子はない。
気が長いと自負する私も、もうそろそろ我慢の限界である。もしかしたら最悪な結果が待っているのかもしれないが、この辺りではっきりしてもらわないと、すべてが前に進まない。
この奇妙なお茶会も今日で終わりにしよう。