プロローグ 異形の怪物
すべてが上手くいってた訳じゃなかったけど、不満ばかりじゃなかった。
あやふやな関係だったけれど、それでもいいと心のどこかで思っていた。
だけど、あの瞬間に――すべては塵になって消えた。
000
オレの名前は那由多浩一。
今年の春から高校生になったばかりの高一だ。
ピリピリとした雰囲気の受験も終えてほっとしていたのも束の間で。
気づいてみれば、ゴールデンウィークが再来週という時期に迫っていた。
だというのに、部活をやろうという気持ちにもならず――。
かといって、バイトに精を出すこともせずにダラダラと二週間あたりが過ぎようとしている。
そして、現状を物語るように引っ越しのダンボールが無造作な形で山積みになっている。
一人暮らしを初めて気づいたことだが、見えないところで両親のありがたみを感じていた。
どれも中途半端でパッとしないオレだが、両親のためにも――まぐれで入れたこの高校だけでも、ちゃんと卒業しようと思ってはいる。
引っ越し先のアパートは築三十年以上経っている安普請な建物で、鉄骨の錆など所々ほころびが見え始めている。
だが――毎日が忙しすぎるために、細かいことまで気にしている余裕はなかった。
早朝特有の寝ぼけた頭をなんとか働かせて、用意していた制服に着替える。
冷蔵庫に閉まった味気ないパサパサな食パンを口に入れて、カルキ臭のする水道水で強引に、それを流し込む。
両親からの仕送りがあるが、余ったお金はできるだけ貯金するようにするためだ。
空きっ腹のまま、バス亭まで自転車で漕いでいく。
バス停の右奥に屋根付きの駐輪場が無料で使えるので、雨の日は助かっている。
もはや、おなじみ光景になった朝のバス亭にはアリの行列のように学生や社会人達が並んでいる。
いつも通り――ほとんど座る場所なんかない。
図々しく席に割り込む勇気もなく、オレはつり革に体を任せて目的地まで、惰性で動く振り子のように揺られていた。
バス亭から降りて学校に着く。
朝練をこなしている生徒達がチラチラいるが、オレには無関係な何かだと思って教室に入る。
大半の生徒は学校の近くにある寮に入るらしい。
そのせいか、教室にいる生徒の数も少なくて寝るには格好の時間だった。
オレはいつも通りに手慣れた動作で、男女共有色である紺色の制服を枕代わりにして仮眠を取ろうとした。
だが、今日に限ってそんな気も起きず――窓側に移る外の景色を眺めて物思いにふけっていた。
それで、何かが劇的に変わらないと知りながらも。
「おはよう、那由多! なに考えてたの?」
「お前か、おはよう。なに、大したことじゃない。可愛いお前が朝練で大変そうだなって心配してただけだよ」
友人であり、幼馴染みで腐れ縁の椎本志奈がショートカットのくせに厚かましいので、いつも通りの返事をしたのだが……。
「もっ、もうっ! いくら志奈が好きだからって朝から変なこと言わないでよね!!」
だが、今日に限っては通じることもなく、椅子ごと吹っ飛ばされて壁に激突。
静寂に包まれていた教室には爆音が鳴り響き、背中に鈍痛が走る。
きっと――あばらの二、三本は折れたかもしれない。
呼吸をするだけで精一杯なのだから。
そんなオレのこと助けようとしたのか、事の顛末を見ていた天照が勇敢にも場の鎮圧に乗り出す。
「椎本さん。いくら仲良いからって椅子ごと吹っ飛ばすのはどうかと。どうせ、那由多がまた変なこと言ったんだろうと思いますが」
志奈――もとい、女子に対するフォローには抜かりのない天照らしい一言だったが……。
「お似合い夫婦に見えたからって、天照くんもからかわないでよねっ!!」
なにをどう聞き違えたらそうなるかオレにもわからないが、友人の天照紅も壁に激突して瀕死の重傷を負ったのか――オレと同様に地べたにうずくまっていた。
志奈はというとイケメンアイドルが来たようなテンションとなり、無駄に手をブンブン振っている。
あの風圧なら、大木の一つは破砕できそうだ。
「那由多……。今まで、こんなんされててよくさっきみたいな事が言えたな」
「勘違いするな。こんなのはまだ優しい方だぞ、天照。小学生の頃にメスゴリラって言ったことがあるんだけどさ。そしたら機嫌が悪くなったのか、電柱を根元から引っこ抜いてオレに向かって叩きつけてきたからな志奈は」
背筋に悪寒が走る。
「二人とも……。志奈の悪口を言ってないかな?」
狂気じみた笑顔でこちらを見ている。
そんな笑顔で見つめられたら、オレの正気度が下がってしまう。
「いや、違うぞ。オレ達が話していたのは、あんまりにもお前が美少女すぎるから。お前と付き合えたら、どれだけ幸福で完璧な人生になるかなって話してただけだよ」
火山が噴火するように頭から水蒸気を出して、すぐに倒れた。
よし、作戦通り。これで生命の無事は確保できた。
顔を紅潮させた志奈を二人がかりで担いで椅子に座らせる。
(無駄に重い気がするが、きっと胸がデカイせいだろう)
側から見たら、女子高生を二人がかりで担いでいるシュールな絵面にしか見えないだろうが。
「今のうちにここから逃げようぜ、天照」
「あぁ」
起きた途端に何をしでかすか分かったものではないので、自販機でジュースを飲んで朝のHRまで時間を潰そうかと考えたのだ。
この学校は大城大学の付属中学校・高等学校だけあって、無駄に広い校舎には大きな食堂がある。
食堂の後方の方には大量の自販機が置かれており、放課後には生徒の溜まり場になっていたりする。
自販機の種類としては飲料水からパン、お菓子、ラーメンやお弁当。
はたは――ノートやATMまで完備されている。
また、野外ではあるが校舎内にコンビニもあるにはある。
だが、少々距離が遠いのと店員が美人過ぎると話題で男どもがごった返しているので――いつもここを利用している。
高校になって知りあった天照は付属中学の出身らしい。
だから、自販機の種類の豊富さに胸を踊らせるわけでもなく――淡々と飲み物を選んでいた。
理由は簡単で中学に入る際に、ここの付属中学を受験して合格したらしい。
そのため、エスカレーター式で入学して高校受験をしていないという。
――なんとも羨ましい。
こっちは圧砕系女子――志奈の猛攻に耐えながら一緒に勉強する羽目になり、自分の身を守るために恥ずかしいことばかり言っていた気がする。
それも、志奈の成績が無駄にいいのが原因だ。
あの性格の割に、お経のような難解な問題もスラスラと説いていく。
そして、解き終わった後に――――。
「直斗、まだ解けないんだ。ねぇ、教えてあげよっか?」と頼んでもないのに、懇切丁寧に説法を説き始めるのだ。
おかげで、クラスからは夫婦呼ばわりされて何度も吹き飛ばされたり、ボディブローをくらいそうになったことか。
幸い、小学生時代のメスゴリラ事件の教訓である。
恥ずかしいことを志奈に言えば――物理による対話を回避できるのは実証済みなので、褒めちぎれば生命の安全は保障できていた。
「なぁ、那由多。話があるんだがいいか?」
「なんだよ、まさか剣道部に入れとかじゃないだろ?」
「俺は他人に何かを強制するほど偉くはないさ」
「じゃあ、なんだよ。知りあって短いが文武両道で優等生なお前がオレなんかに勉強教えてくれとか言うんじゃないよな? オレなんて全然勉強してないぞ」
「教えてほしいのは、合ってるな」
「冗談だろ? オレが教えることといったら、志奈という天災からの対処法だぞ」
オレはジュースを買うかお財布と相談しているときに話しかけられたので、軽く受け流す感じで答えたように見せていた。
高校に入ってから飯代を削って参考書を買い、授業で習った内容をノートで見返す。
それだけじゃ追いつけなくて、教科書の内容を予習してまで授業に挑んでいる。
なのに――誰かが教えてくれなくなってからは授業に全くついていけてなかった。
強がりなオレの発言に天照は特になにを言う訳でもなく、ただ黙って言葉を選んでいるようだった。
――そして、唐突にこう切り出してきた。
「俺は椎本さんのことが好きなんだ。お前の気持ちを教えてほしい」
「悪い、ジュースの落ちる音で聞こえなかったわ。もう一回言ってくれないか?」
一言一句、聞こえていた。
だけれど――現実を受け入れられなくて誤魔化そうとした。
そうすることが悪手だと分かっていても、それしか言えなかったのだ。
「那由多、俺は本気なんだ。椎本さんがお前に好意を抱いていることも知っている。だから、お前に聞いてるんだ」
足下からすべてを見すかしているように、天照は言われたくないことも言う。
「なんでオレにそんなことを聞くんだよ。確かにあいつは胸も大きいし、見てくれだって悪い方じゃないから、嫌いな奴はあんまりいないんじゃないか? それより、お前はモテるから他にもっと良い女がいると思うぞ。清楚で可憐な――――」
「茶化さないでくれ。俺は周りの意見じゃなくて、お前の気持ちを知りたいんだ」
急を据えるように、言葉を遮られた。
「俺は、椎本さんの内面に惚れたんだ。きっと、俺は彼女のことしか好きになれないと思う。今までいろんな女に付き合わないかと言い寄られたことがある」
缶コーヒーのパルプを開けるとそれを飲み干した。
そうして勿体振るように間を開けると、また語り始めた。
「だが、どいつもこいつも見てくれだけで中身は生ゴミと変わらないぐらいに醜悪で劣悪でゲスな奴ばかりだった。人の皮を被った悪魔と言ってもいいかもしれない。現に、俺の両親が良い例だと思う。正直――俺は、お前が羨ましいよ」
悪びれることなく、そんなことを言う。
こっちの気なんて、まるで眼中にないように。
「なんで羨ましいんだよ!! 金持ちで勉強やスポーツができて、おまけに性格の良いお前が腐れ縁みたいな幼馴染しかいない――ちゃらんぽらんなオレのどこに魅力があるんだよ!!」
「おめでたい奴だな、お前は」
「なんだよ……。人をバカにしやがって!!」
続けて天照はなにかを語ろうとしていたが、残酷にもHRの時間が迫っていた。
「すまん、そろそろ時間だな。もしお前じゃなかったら、こんなことを言ってなかったかもしれない。先に告白するならしてくれて構わない。椎本さん、いや――志奈が幸せになれるなら、それが一番だと思うからな」
どこまでも綺麗事を並べている天照を、このときばかりは好きになれなかった。
それにお前だけじゃなくて、オレだって志奈にはいつでも笑っていてて欲しい。
モヤモヤとした胸のムカつきを晴らすかのように飲みかけのペットボトルをゴミ箱に向かって投げつけていた。
だけれどそれは、ゴミ箱に入らずに中身だけを床にブチまけていた。
001
朝のHRでは担任が定型文のように出席を取ったのに、珍しく話があると言い始めた。
「えぇ。最近、繁華街では学生を中心狙った犯人による殺人事件が起きています。そのため、寮に住んでいる以外の生徒は早めに帰宅するか――または、誰かと一緒に帰るように心がけてください」
淡泊に言い終えると、何事もなかったかのように先生は教室から出ていった。
生徒全体というより、金のないオレに対しての当てつけのような先生の目線が痛かった。
ただでさえ、授業の内容を理解するだけで精一杯だっていうのに問題が山積みのように頭に連なっていく。
いっそ、すべてを投げ出してあらゆることから解放されたいと内心で思っていたが……。
マナーモードにしていた携帯がブザーを鳴らしていた。
どうやらチャット形式のSNSからのようだ。
差出人は椎本志奈で、どこか可愛いのか理解し難いプリン色の名状しがたき姿をしたキャラクターをアイコンにしていた。
「那由多、帰りは気をつけてね!! 怖いなら、一緒に帰ってあげよっか?」
「子供扱いするな。一人で帰れるわ」
「強がっちゃって。なんだか、志奈の弟みたいだね」
なにやらニタニタした表情でこちらの様子を窺っていた。
「怒るぞ」
「ごめんごめん。最近、那由多が元気なさそうだから心配しただけだよ」
「やめろ。オレはお前の子供じゃねーんだぞ。なんだよ、いつもいつも」
――なんでお前は、そんなにも優しいんだよ……。
002
昼休みになった。
相変わらず授業の内容は幾何学的な模様にしか見えず、まったく以て理解できていなかった。
志奈と天照はすでに席をくっつけており、手作りであろうサンドイッチが大きなケースの中に詰められたように入っている。
志奈は料理が上手いだ。
決まって、オレの元気がないと感じたときにはサンドイッチを必ず作ってくる。
具の中身はガキが好みそうな具材ばかりが入っている。
どれもオレの好物ばかりだ。
自分が好きなのは老人が好みそうなものばっかだっていうのに。
「那由多、ちゃんとしたもの食べてないと思ったから作ってきちゃった。一緒に食べない?」
志奈は、どうやったらあんな顔ができるのかと問い詰めてやりたいくらいの笑顔で、こちらを呼んでいた。
好物の一つである、焼きそばが挟まれたサンドイッチを見せつけながら。
「だから、お前はオレのオカンかよ。オレは食欲がないから天照達と一緒に食ってろよ。じゃあな」
できるだけ彼女を見ないで――投げつけ、吐き捨てるように言うと軽い財布を持って教室を出た。
003
オレの心はどうしようもなく曇天なのに、空はバカみたいに雲ひとつない晴天だった。
だから、反抗心で文字が羅列された古文書みたいな参考書を読んでみた。
でも、やっぱり内容をうまく理解できなくて、本をベンチに置いて昼寝に興じることにした。
この学校は中、高、大学がすべて一喝されているだけあって、テラスのような場所がいくつもある。
そして、至る所でカップル達が盛りのついた猫のようにイチャイチャしている。
「ねぇ、なんでリア充って無くならないんだろうね? カマキリの卵みたいに無限に湧いてきてさ。爆発しろとはよく言うけど、滅びた方が世界のためだとは思わない? 少なくとも、ボクは巨乳と同じくらい滅びるべきだと思うんだけど」
同じ制服を着ていたが見かけない顔。
それこそ――童話の中に出てきそうな程に中性的な容姿をした奴が話しかけてきた。
変わった髪色だが美人の部類に入るだろう。
どうやらオレは、変な奴に好かれる体質のようだ。
「巨乳なだけで滅びろなんて、お前が巨乳だったら同じこと言えるのか?」
「言わないね! でも、知らない人にその言い方は無いんじゃないかな? それに最初の方は否定してなかったし」
両手を後ろで組んで、覗き込むように話しかけてくる。
「もしよかったら、君もリア充撲滅委員会に入らない? 十万円の年会費を払うだけで、月一回は、リア充に対してボクと文句を言い合いカラオケで騒げる。おまけに、アイスとドリンクバーが飲み放題!! ってことで、ボクの妖艶な美貌に免じてこの契約書にサインしてね」
「わかった」
オレは書類を剥ぎ取るように奪い取る。
十万円の万の部分を黒く塗りつぶして十円を添えるとできるだけ憎たらしい顔つきでこう告げる。
「ほら年会費の十円だ。これから一年間、オレに貢いでくれよな」
「君、性格悪いね。あんなに完璧な幼馴染みがいるっていうのに」
「お前も性格悪いだろ。言われたくないことを平気で言いやがるなんてよ」
「やだなぁ、そんなに褒めないでよ」
「褒めてねーよ!! 変な奴に付きまとわれて嬉しい奴がどこにいるんだよ」
「お腹空かして青春してる奴を、全力でからかってやろうと思っていただけだていうのに、こんなに褒められちゃうなんて。今日のボクは運がいいみたいだな」
あいつと同じで憎たらしいまでの笑顔でそんなことを言ってくる奴が、今までいただろうか。
ちょっとムキになって言い返したら、それを褒められていると勘違いするほどの狂った奴だ。
志奈と変わるとも劣らない奴なんだろう。
「お前、友達いないだろ」
「お前って言い方はよくないなー。ボクの名前はリサ・マグナヴィッツだよ。気軽にリサ様って呼んでね。後、ボクが自己紹介したから君の名前も教えてね。それにボクの友だちはみんな死んじゃったから実質いないかな」
さっきまで笑顔を絶えさなかったリサは虚構を眺めるように虚ろな瞳になっていた。
まるで、さっきまでのオレみたいに。
散々憎まれ口を叩いていたが、自分に似たなにかを感じて励まそうとしていたのかもしれない。
そう思った途端――謝らずにはいられなかった。
「悪い。変なこと言わせちまって……。オレの名前は那由多浩一っていうんだ。誰だか知らんが、気が少しは楽になったよ。ありがとな」
「ふーん、浩一くんって言うんだ。後、さっきのは嘘で本当は性格悪くていないだけでした! ねぇ、騙された人間を眺めるのってとっても楽しいんだよ」
「やっぱお前、性格悪いな!!」
「あんまり褒めないでよね。ボク、褒められるのには慣れてないからさ」
「だから褒めてねーって!! じゃあな」
自分の口から出た言葉に疑問を持ちつつ立ち去ろうとするが、体は正直なのか腹の虫が音を立てて警告音を鳴らしている。
「もしかしてお腹空いてたの? だったら奢ってあげようか? 君、見た感じ食事するお金もなくて友だちとも遊べず。おまけに、幼馴染みを好きな子がいて手作りの料理を食べ損ねたって所かな?」
「いやケチって余った金は貯金してるだけだ。って、なんで知ってんだよ!? お前、クラスにいなかっただろ」
疑問が残る。
大して大きな声で叫んだわけではないのに、どうして知ってるのだろうか。
「ボクもさ、クラスに友達とかが居なくてね大体ここで昼は過ごすんだけど。行こうとするときに見てたんだよね。おっ、昼ドラしてるみたいな感じでさ。だから、ボクはいい人になろうと君に話しかけたってところかな。なんだか、ボク天使みたいだ」
「なに、さらっとオレも友達がいないことにしてるんだよ。オレはいるぞ、オレは!!」
俺に友達はいる。
一緒にされたら、堪ったもんじゃない。
「二人だけだよね、実際。しかも一人は恋敵――まるで、小説の主人公みたい。共感は持てるかは別としてだけどね。溜まってることあるなら話してみてよ、暇だし」
文句はあったが、なにも言い返せなかった。
なんで、そこまで詳しく知っているのはしらないが彼女――リサが言ってることに間違いはなかったからだ。
それに、こいつも良い奴の部類には入ると思う。
蛇口が壊れたように、オレは溜まっていた感情をはき出した。
「オレさ、どうすりゃいいかわかねーんだ。いろいろ決めなきゃいけないのにどれもおざなりにしててさ」
一拍おいて、形のない言葉を紡ぐ。
「でも、なんにも決めずにズルズルここまで来てるって感じでさ。どっちも大事なんだけど、それを選んじゃうと大事なものが足下から崩れていくような気がして。先に告白しろって言われたけど、こんな気持ちで告白するのは志奈に失礼なんじゃないかなって。悪いな、脈絡のない話で」
「ううん、大丈夫だよ。ならさ、ボクとゲームしない?」
人のことを言えた義理ではないが、話の脈略をどう読み取ればそういう結論に至るのか。
リサは唐突にゲームをしようと言いだしてきた。
ますます、あいつに見えてしまう。
「話聞いてたのかよ、お前は?」
「先っちょだけかな。先っちょでも入れば大丈夫なんだよ」
「そういう話はやめとけ」
「冗談が通じないなー、君は。じゃあ、ちょっと待っててね」
鞄から徐になにかを取り出していた。
中身の大半は食べ物がグチャグチャに詰まっていた。
どれも高そうなビーフジャーキーやサラダチキンなどの酒のつまみに合いそうなものばかりだ。
甘いお菓子は一切なく、女子らしさの欠片もなかった。
「あったあった。はい、キャンディー」
渦巻き状だが、何故かキャンパスのように真っ白なキャンディーを手渡してきた。
たぶん、ミルク味なんだろう。
「これはね、こうやって舐めるんだよ」
もう一個のキャンディーをオレに渡し終えると、自分の手元にある方の包装紙を取っていた。
すると――耳にかかっていた髪をかき上げて舌で窪みを這わすように、上下に何度も動かして舐め回していた。
これ以上描写する勇気もない。
いや――させないでくれ。
唾液が粘り着いたものをこちらに向けてきた。
「言われなくたってわかってるよ。それより――な、なんだよ……。オレに舐めろっていうのか?」
「もしかして舐めたいの? えへへ、顔赤くなってるよ。それより気づいたことないかな」
気づいたこと……。
世の中で、キャンディーがあんなにも卑猥なものとは想像もしなかったとかか?
「なに、ボーっとしてるの? ほら、緑と黄色が層になってて二色になってるでしょ?」
「あぁ、そうだな」
ようやく気づいたが、キャンディーの色が二色に変化していた。
「珍しいもん持ってんだな、お前のくせに」
「だから、ボクはリサっていう名前があるんだよ。偽名だけど」
「偽名なのかよ!! で、これ使ってどんなゲームするんだ?」
偽名というのもどうせ嘘なんだろうが、リサは険しい面持ちで両手を組んで長考した後に――――。
「このキャンディーの色が変わったら、ボクが君にご飯を奢る。そうじゃなかったら、君は――その志奈っていう子に告白する。しないと、女子の下着を毎日ボクが君の鞄に入れ続ける。そうすれば君は社会的に殺されたも同然!!」
「よくそんな笑顔で、最低最悪なこと言えるよな。お前、すごいよ」
呆れるように、吐きすてる。
「そんなぁ、醒めた目で見ないでよ。褒められてる感じがしないじゃないかー」
「もうツッコミはしないからな。それで、もし断ったらどうするんだ?」
「うーん。特に考えてないけどとりあえず友達になってよ。ボク、友達いないし」
「なら、やる」
「ひどいなー、ボクと友達になりたい人は向こう側にいるかもしれないのにさ」
「現実逃避は大概にしとけよ」
憎まれ口を叩きつつ、包装紙を破って口に入れる。
どこのメーカーはわからないけれど、危ないものではないと信じたい。
口に入れたらミルク味がすると思っていたが、甘み以外に特にない平凡な味だった。
きっと、色によって一日の運勢を占うとか。
女子が好きそうなお菓子だと思ったが、こいつがそういう柄にも見えなかったので、戸惑いつつも口から出す。
「うわー、ボクでも見たことない色してる!? 写真撮らせて!! 三百円払うから」
「別にいらねーよ、女から金を集る趣味はねーから。これって感情によって色が変わるとっかって奴なのか?」
「ボクも詳しくは知らないんだ。じゃあ約束通り、晩ご飯は奢るね。リア充撲滅委員会は方向性の不一致で解散したということで」
「構わねーよ」
オレは、一色にしか変化しなかった黒がかった灰色の飴を時間いっぱいまで舐め続けていた。
残りの時間をやり過ごすために。
004
最後の授業が終わり、担任が事後報告のような短い言葉を言い終える。
途端――生徒達は雪崩のようにそれぞれの部活に向かう。
志奈や天照も剣道部に向かうために一緒に教室を出ようとしている。
志奈は志奈で言いたげそうな視線を送ってはいるが、天照が耳打ちすると渋々教室から立ち去って行った。
誰もいなくなった教室で一人、リサを待っていた。
いつも乗っていたバスは既に出ており、教室には夕日が差し込み始めた。
「遅れてごめんね。てっきり、帰ってると思って報告済ませてたよ」
「あぁ、だから――大城市にしかない隕石ハンバーグおごってくれよな」
「もっと高いもの奢らされると思ってたよ。君っていい人になりたいんだね」
「いい人になりたいって、まるで人間全部が悪人みたいじゃないかよ。まぁ、いいから行こうぜ。お腹が空いてて仕方ないからさ」
「だね。じゃあ橋川町店に行こうよ。ここからなら、歩いていける距離だし」
一瞬、異変に似た寒気を感じたが空腹のせいだろう。
オレは知り合ったばっかの女に奢らせるために、ハンバーグ屋へ向かうことにした。
学校から出て、リサが案内するということで指示通りのルートで向かうことにした。
こいつの性格上の悪意なのか――歩いても歩いても目的地に着く気がしなくなっていた。
たしか、ここは元々地方都市だった場所に隕石が落ちて―ーなぜか新都市開発が発案された。
そして国の援助金を糧に、とある企業がクレーターとなった場所を中心に開発を行ったそうだ。
また、まだまだ開発途上のせいか一歩外れると廃棄されたままの建築物や荒廃した工場跡などがある。
そのためか、廃棄区画に一般人は無闇に近づかないようにと市のパンフレットを使って志奈から釘を刺されたことを思い出した。
「なぁ、この道合ってんのかよ? まさか、廃棄区画って所に入ってんじゃねーのか?」
「大丈夫、大丈夫。大城市にずっと住んでるボクのことを信じてよ。ただ、遠回りしているだけだからさ。暇つぶしに喋ろうよ、何か」
「お前らしいな」
「だから、ボクはお前じゃなくてリサだって! 罰として、そっちから話してね」
「わかったよ。じゃあ、志奈のことでいいか?」
「いいよー。先っちょだけ聞いてるから」
「だから、その言い回しはやめろ」
徒労の腹いせとして悪態も突きつつも、大城市の名物である隕石ハンバーグが食えると心のどこかで浮ついていたかもしれない。
だから――暇つぶしがてらに、志奈が電柱を引っこ抜いて叩きつけようとした話をした。
「志奈の奴さー、小学生のときに電柱を引っこ抜いて叩き付けようとしたんだぜ。小学生の頃からバカみたいに力はあったけどさ、さすがに無理で顔真っ赤にしててさ。あのときは腹から笑ったな」
実際は、近くにあるものを所構わず投げつけてきた。
漫画やラジカセ、電子レンジとかがあった気がする。
そのとき、オレが何かを言って志奈は攻撃をやめさせた気がするが――――。
今でも、それがなんだったのか――とてもとても大事なピースが欠けた感覚が胸をチクチクと刺すような痛みで訴えてくる。
「ふーん、じゃあボクもやってみようかな」
「おいおい、冗談が通じないって言ってたのはお前の方だろ。よせって、腹痛くなるからさ」
「悪いけど、今回は嘘じゃないよ」
「へっ?」
そして、日常は音もなく崩れ去った。
突如として、迅雷ような雷の渦が少女を包む。
そうして現れたのは異形な姿――それこそ、獣人と表現した方が正しいかもしれない。
人でなくなった彼女は、目についた電柱を根元から容易く引き抜く。
体の一部のように電気をベールのように纏わせると、躊躇さえせずに物理法則を無視して振りかざしてきた。
――目前に迫る、死の宣告。
巨人の剣、神の裁きとも取れない――日常を侵蝕された真実を受け入れることさえできず、ただただ巨大な石の塊に体を潰されそうになっている。
轟音を上げて近づいているはずなのに、スローモーションで写るそれはどこまでもフィクション染みていた。
――そいつに向かって、右手を向けろ。
本能的に身体が脅威に向けて右腕をかざしていた。
自分の意思とは無関係に。
すると、世界を侵蝕するように――自らが出現させたであろう防壁となった漆黒の盾を見て――オレも異形の怪物であると認めざるを得なかった。
「へぇ……、君の異能力って面白いね。久しぶりに殺りがいがありそうかも♡」
どこまでも不気味な笑みを浮かべた少女が、そう囁くのだから。