空飛ぶバケモノ
牧村は、外から流れ込む熱気で目を覚ました。半覚醒の脳で不用心に起き上がり、天井に強かに頭を打ち、ぶつけた痛みで完全に覚醒する。熱気の原因は、戦車のハッチが開け放たれていたことだった。横を見ると嵐山の姿が無く、どこかへ向かったあとだった。タオルケットをどけて外へ出ると、嵐山が半裸で戦車の外に居た。首にタオルをかけ、引き締まった身体にはうっすらと汗が流れている。
「おはよう。よく眠れたか?」
そう嵐山は言うと、近くの岩に干していたTシャツに手を伸ばし、それを着る。
「まだ移動するのに時間があるから、近くの川で軽く汗を流してこい。着替えはあるよな?無いなら貸すが。」
「い、いえ。持ってきてます。それじゃあ、行ってきますね」
そう言ってコンテナから着替えを取り出そうとすると、嵐山がそうそう、と言って新たな情報を加えた。
「あそこの川、今の季節は飲むと腹壊すからくれぐれも飲もうとするなよ。野郎の下痢なんざ見たかねえ」
女ならいいのか、というツッコミを飲み込み、牧村は小川へと向かった。
コンバットブーツを履いていても足首を挫きそうな河原を歩き、僅かに白く濁る小川へとたどり着いた。汗に濡れた服を脱ぎ、底が見えなくなるほど深い場所に向かい、肩まで浸かる。雪解け水のような冷たさだが、身体中の水分が搾り取られそうな蒸し暑い気温の中では、丁度良い涼しさだ。さらさらと流れる清流が牧村の身体を癒やし、不思議な落ち着きを与える。周囲を見回すと、昨日の時点では分からなかったものがよく見えるようになっていた。
例えば、今牧村たちがいる場所。元は露天風呂かプールのように四方をコンクリートで囲われていたのか、切り立った険しい崖にへばりつくように柱の残骸が残っている。険しい斜面にも一箇所だけ途切れる場所があり、そこには錆びついたガードレールが見える。更に遠くを見ると、今度は民家のようなものと、平らに整地された土地が見えた。牧村は知る由もないが、そこは元々農村として人の暮らしていた集落だった。流石に長く浸かりすぎたのか、身体が冷え込み、ブルブルと震える。牧村は急いで川から上がり、嵐山への元へと向かった。
● ● ●
嵐山の戦車がドコドコと低い唸りを上げ、荒れたアスファルトの上を走る。嵐山はハンドル代わりのスティックを握りながら、片手で牧村に栄養食のチョコバーを投げた。
「それ、朝飯。今のうちに食っとけ」
牧村は楽しみにしていたのか、笑顔で包装を剥き、一口頬張る。すると、一回、二回と咀嚼する度に笑顔が消え、飲み込む頃には真顔になっていた。
「…独特な味ですね」
「正直に言っていいよ」
「ゲロマズです」
「だろうね」
実は、嵐山の手渡したチョコバーは、水上が食べるのを嫌がり、小鳥遊がそのままゴミ箱に入れ、センセイが「なんでこんなもの買っちゃったの」と呆れたというとてつもなく不味い代物である。だが、一部には熱狂的なファンが存在し、アザミや一部の事務職員は段ボール一杯のチョコバーを常に所持している。そこで、嵐山は新人へのイタズラのためにアザミから数本を譲り受けたのだ。朝食が不味かったのが余程嫌だったのか、牧村は不機嫌な顔のまま黙り込んでしまった。
「…うまいもん食いたいか?」
牧村はしばらく無言を貫いた後、小さく頷く。
「じゃあ、後ろにある袋取ってくれ」
コンテナを漁らせるために一旦アクセルを緩め、振動を抑える。徐々に速度を落として路肩に止めると、牧村が奥から細長い黒革のケースを持ち出してきた。丁度、地面に立てたら腰まで届きそうな長さだ。嵐山が開けるように指示を出し、牧村はそれに従い側面のファスナーを開ける。
中から出てきたものは、黒々をした鋼鉄とポリカーボネードの塊だった。いや、正確には肉抜きされたプレートにスコープが付き、消音器が付き、引き金と弾倉が装備されたスナイパーライフルだった。
「先輩、これは…」
「スーツに目標地点入れといたから、日が暮れるまで狩ってきて」
「え…えぇ!?」
「大丈夫、モニタリングはしてるから。上手く行けば数日は飽きるほど肉を食える」
● ● ●
背中にライフルとそのケースをマウントし、牧村は森の中を進んでいた。背の低い雑草をかき分け、青臭い汁をパワードスーツに染みつかせながら、前後の分からなくなる森の中を進む。幸い、装備とライフルに体力を持っていかれる事態にはならなかったが、自分が今歩いているかも怪しくなるほどの代わり映えのない景色に、牧村の精神は少しずつ削られていく。頭上に生えた樹木が日光を妨害し、樹の根元や幹からは、名前も分からぬヘビや昆虫が顔を出し、ヘルメットを兼ねたHUDのシールドに無数に衝突する。時々貼りつく糸の感触は蜘蛛のものだろうか、牧村は偵察についていくと言ったことを後悔していた。
牧村の視界に重ねて表示される地図とコンパスを頼りに、今日何度目かもわからぬ下り坂を降りると、さらさらという水の流れる音が聞こえてきた。ルートを外れて猛スピードで駆け下りると、そこには清流があった。微量ながらも透き通った水が苔むした岩の上を通り、更に麓の方へと向かっている。誰かが組んだまま放置されたのか、石を積み上げて作られた泉にぱしゃぱしゃと水が飛んでは散る。
牧村はグローブを外し、泉の中へと手を入れた。途端、逃げ場を失っていた体内の熱が水中へと流れだし、牧村の手を濡らす。十分に冷えていることを確認した牧村は、ヘルメットを脱ぎ、手で水を掬って口元へと運んだ。渇いた喉に水分が補給され、さながら砂漠に降る雨のように、身体の中へ水分が補給される、はずだった。牧村が異変を感知し、わずかに口の中へ入った水を吐き出したのだ。
牧村はなぜ、自分が吐き出したかがわからなかった。だが、本能で危険を感じ取ったと同時に、自分の味覚がおかしくなったのかと思うほどの苦さを感じ取ったのだ。先程は水の温度と綺麗さに気を取られていたが、よく観察するといろいろな異変が目についた。よく見ると、水際に貼りつく苔が、すべて茶色く変色して枯れているのだ。さらに、この水に近づく虫や鳥を一切見かけない事に気づく。牧村はやっと有害な成分を含む水だと気づき、落胆した。肩を落とし、泉の壁に寄りかかってぼうっとする。しばらく休憩していると、元は集落だったと思わしき痕跡が多数あることに気づいた。半ば朽ちた小屋や、風化した石が山を成し、もう数十年は動いていないであろうタイヤの外された車が放置されていた。
飲めないにしても、装備を綺麗にすることぐらいはできるだろうと牧村は立ち上がり、パワードスーツとヘルメットに張り付いた汚れを落とすために泉へと装備を水に浸す。電子機器に水が掛からないように、なるべく水面を荒らさないように汚れを洗い流した。本来滑らかな曲面であるはずの外殻に、虫の死骸や体液を思わしきものがこびりつき、牧村は指で感じ取るたびに名状しがたい不快感がこみ上げる。滑らかな面であればまだマシであるが、脚の装甲のように表面に溝の入ったものになると、溝に虫が入り込み、青臭い汁が端から滴るという精神面に強大な攻撃力をもつ代物になる。げっそりとしながらも、両脚の脚甲を洗い終え、胸の装甲を外そうと金具に手を掛けたたき、かすかな足音が牧村の耳に飛び込んできた。牧村はその姿勢のまま固まり、音の主の動向を探る。朽ちた枯れ葉の上をサク、サクとゆったりと歩き、泉へと近づいてくる。骨のきしみが聞こえるほど静かに、かつゆっくりとライフルへとにじり寄る。
林の向こうに、その音の主は居た。針金のようであり、焦げた茶色の体毛。短い足に、鼻の近くから生えた角。要するにそれは、只の猪だった。しかし、写真や模型でしか猪を見たことのない牧村は、とっさに動けずにその場で固まってしまう。猪は、表情の読めない小さな目で牧村をじっと見つめていたが、ふいに視線を逸らし、林の中へと戻っていった。得体のしれない重圧から開放された牧村は、即座にライフルの元へ駆け寄り、セーフティを外す。ライフルのスコープとパワードスーツを同期させ、HUD越しに猪を覗き込んだ。茶色い体毛が林の地面への迷彩となり、HUDによる強調表示がなければ、見失っていただろう。
トリガーを強く引いた。バスッ、という低い音とは裏腹に、牧村の両腕はライフルの反動であらぬ方向へと暴れた。まるで両腕を強く殴りつけられたような衝撃に、牧村は混乱する。その場にライフルを落とし、自らの両手を確認する。幸いと言うべきか、両手が僅かに腫れているだけだった。そこでようやく冷静さを取り戻した牧村は、HUDの画面越しに弾が当たったかを確認した。画面の表示を温度分布図に切り替え、周囲に生物がいないかを表示する。そして、HUDには点々と地面に置かれた赤色の光点と、その原因と思わしき一際赤色に輝く塊が表示されていた。
命中していたのだ。浅い傷ではあるようだが、猪と思わしき赤い物体は、動こうとしない。その場にライフルを置き、ナイフをスーツの中から取り出した。そして、おそるおそるHUDの表示の光学モード、つまりは普通のカメラに戻す。
猪は、その小さい目で牧村を睨みつけていた。固い毛の下から僅かに血を滴らせ、その不釣り合いに小さい目で、たった今自らを傷つけた敵に憎しみの目を向けていた。
悲鳴すら上がらずに牧村の身体は凍りつき、中途半端にナイフを取り出したまま、猪の視線に射竦められる。
かすかに生臭い獣の息が、牧村を骨の髄まで恐怖させる。
猪が、全力で走り出した。地を走るロケットの如きその突進を、直前で金縛りが解けた牧村がかわす。意図せず非常に情けない声が出たが、そのことすら気にしている暇はない。死にものぐるいで茂みの中へ転がり込み、干していたパワードスーツを装着する。手甲を付け終え、茂みから立ち上がろうとすると、猪がこちらへ突進してきた。
あわてて身をかがめ、茂みの中を中腰で走る。もはや、牧村はHUDの表示など見ていなかった。自分がどこに向かっているのかすら、考えていなかった。
脚に変な力が入り、それをパワードスーツは律儀に認識してしまったのか、牧村の身体はいきなり宙と投げ出される。自動車ほどのスピードのまま森林の中へと投げ出された彼女は、高速で視界から消える樹木に恐怖し、身体を丸めて目を固く瞑った。物理法則に従って牧村の平衡感覚がシェイクされ、加速、減速、落下の運動をする。物体の輪郭線が溶けて曖昧になるほどのスピードで地面に叩きつけられ、牧村の顔のすぐ前のHUDのシールドが凄まじい勢いで曇っていく。木の根にヘルメットを打ち付け、そのまま綺麗に一回転を決めると、ようやく牧村の身体は完全に失速し、止まった。
ぬるぬるとした虫の体液とも液晶のジェルともわからない液体が割れたシールドを伝って牧村の顔にしたたり落ち、思わず牧村はその場で身を起こした。口に入ったと思わしき液体をぺっぺっと吐き出し、現状の確認をする。
猪からはある程度距離を取ることができたようで、そう遠くない場所で猪の気配を感じ取った。牧村は上り坂と下り坂の途中に落ちたようで、Vの字型の斜面の中腹にいた。ライフルは取り落としてしまったようで、全身には脱がなくても無数の擦り傷、打撲があるとわかった。ヘルメットのHUDも割れてしまい、まともに文字が読めない。
完璧な迷子である。しかも、近くに人の気配はなく、聞きかじった程度のサバイバル知識しか持たない牧村にとっては、救助を待つことも自力で指定された場所へ行くことも絶望的だった。
不意に涙がにじみ、ヘルメットと手甲を取って目元を拭った。
「はぁ…最悪…」
声にでも出さないとますます悲観的になってしまいそうな状況に、牧村は一人落ち込む。すぐにでも猪に食べられ、消化されるのが関の山だろう。そう諦めて動かずにいると、2本の履帯が重々しくその車体を持ち上げている。斜面にドスンと車体を叩きつけ、しばらく沈黙していると、ハッチから嵐山が現れた。牧村のそれとは趣の違った猟銃のようなライフルを持ち、首にヘッドホンを掛けている。
「まぁ…そんなことだろうとは思ってた」
「嵐山先輩…なんで…」
「なんでって、尾行してたから。こっそり。」
「してたんですか…」
全く気付かなかった。そういえば、エンジンの音がしない。どうやってここまで来たのだろう。
「ほれ、ちょっと耳塞いでろ」
ヘルメットに阻まれ、塞ぎようがなかったが、とりあえず塞ぐジェスチャーをした。そのジェスチャーを確認し、嵐山はライフルを構えた。
楽器のような軽い音で3発、ライフルが瞬いた。一体何を?と聞く暇もなく嵐山が降り、撃った方向へと走る。牧村もあわててそれについていき、降りてきた斜面を登る。嵐山は生身で斜面を駆け上がり、その速さは牧村がパワードスーツで駆け上がるのと同じ速さだった。
斜面を登りきると、そこには瀕死の猪がいた。両目と額を弾丸で撃ち抜かれ、痙攣している。未だに生きているのが不思議なぐらいだ。
「あまり撃つと肉が火薬臭くなるからな、仕留めるならこれぐらいにしておけよ」
ライフルから拳銃に持ち換え、嵐山は、改めて二発、額に撃ち込んだ。長い残響を残して猪は沈黙し、牧村の足元に生暖かい血が流れてきた。
「このサイズだと俺だけじゃ厳しいか…手伝って」
「は、はい!」
初めて体験する生々しい命のやり取りに混乱していた牧村は、嵐山の一言で我に返ることができた。
「あの、ヘルメット取ってもいいですか?」
「あ、メット割れてんのか。うーん…ちょっとこれ上に運ぶまでは我慢してもらえる?」
嵐山が足で猪を転がし、持ち上げやすいポジションへ移動させる。
「それとも、メット取って血まみれになりたい?」
「い、いやいや!全然大丈夫です!あとでメット外します!」
慌てて猪を持ち上げ、牧村は泉の方角へと戻った。
猪は、受けていた印象よりも、ずっと小さかった。
● ● ●
日が山の稜線に沈み、牧村は薄紫の闇の中でぼうっと虚空を見つめていた。パワードスーツの上半身だけを脱ぎ、汗まみれのTシャツで牧村はただただショックと無力感に陥っていた。牧村が運び上げた猪は、血抜きとして脚を切り取られ、戦車の横にぶら下げられている。猪をまじまじと見たとき、牧村は言葉にすることのできない怖さを感じたのだ。
引き金の感触、火薬の匂い、血の匂い、自らの汗とアドレナリンの匂い。牧村は、初めて命のやり取りをしたのだ。14になるこの時まで、本島での肉といえば、合成タンパクとサルベージされた金属の味が染み付いた缶詰だったのだ。知識で知っていたとしても、牧村には大きすぎるショックが伴った。猪の血が小川を作り、それをぼやけた月がそれ照らし、不気味な光を放っていた。
戦車の影から嵐山がパンツ一丁で姿を現し、牧村にウェットティッシュの箱を投げる。
「いつまで黄昏れてるの?ほれ、着替えと拭く奴。さっさと気分切り替えてこう」
嵐山としては気遣っているつもりではあったが、牧村はそこまでサバサバと切り替えることのできる嵐山を不思議に思った。それが熟練の兵士だからできることなのか、血を見ても全く動じず、まるで何事もなかったかのように振る舞っている。
「はい。…着替え取ってもらえますか?」
「ああ、ごめんごめん。」
嵐山はそう言い、戦車の中から替えのTシャツを取り出した。
Tシャツを脱ぎ、夜風に身体を当て、火照ったままだった身体を冷却する。多少排ガスや血の臭いがするのを除けば、月に照らされた山は絶景だった。すっと遠くへ意識を向けると、直線的なコンクリートの建物を月明かりが照らしていた。牧村にはそれが、まるで小さい頃に遊んだ古いゲームに出てくる街に見えた。
「嵐山先輩、あっちの方は何かあるんですか?…先輩?」
返事が中々帰って来ないのが気になり、後ろを振り向くと、嵐山が中途半端に身体をくねらせ、赤面したまま牧村を見ていた。
「牧村…お前、女だったのか…」
むしろ今まで何者だと思っていたのか、Tシャツを脱ぎ、キャミソールが見えたところでようやく本来の性別を理解したようだった。
「れっきとした女ですよ…よかったら下も見ます?」
「いや、いい!いいから!もう十分わかったから!」
「というか、今まで男の子と思われてたんですね…」
「悪かった!その件は謝罪する!ね!今度フルーツパーラー連れてってあげるから!だから早く拭いて着替えて!!」
なんと、女性にあまり耐性がないのか、嵐山は顔を真っ赤にして戦車の中へ頭を引っ込めた。その後もガタゴトを何かに躓く音や何かを落とす音がしばらく聞こえ、収まった。今の今まで、彼を寡黙な天才スナイパーだとばかり思っていた牧村は、それを見て思わず吹き出してしまった。
● ● ●
「………。」
ボールペンを走らせ、せっせと地図に情報を書き込んでいく嵐山。
「………。」
その隣で、地図をぼんやりと見る牧村。
両者の距離は数時間前よりわずかながらに離れていた。正確には、嵐山が牧村を避けるように戦車の側面へと身を寄せていた。
「嵐山先輩」
「は、はいっ!?」
「なんか避けてません?」
「いや、気のせいだよ気のせい」
「本当にですか?」
「………。」
「………。」
諦めたかのように嵐山は息をつき、ペンとボードを置いた。
「ちょっと嫌なことがあってね、じょせ…女の子が苦手なんだ。」
恥ずかしげに語る嵐山を見て、牧村は意地悪したいという気持ちがむくむくと起こるのを感じた。座席を乗り越え、嵐山へと近づく。
「聞こえてた?苦手だって…」
「だからやっているんです」
嵐山の耳からイヤホンが外れ、甘いブルースが微かに漏れる。衣擦れの音がやけに大きく聞こえ、退路を失った嵐山はそのままずるりと下にずり落ちた。
「嵐山先輩、いや、嵐山中尉。私は、あなたにもっと見てもらいたいんです。」
牧村の手が嵐山の横に置かれ、牧村が嵐山を押し倒したような構図になる。
「男とか、女とか。そんな大雑把な括りじゃなくて、私に何ができるのか。一人前の兵士として活躍できるのか、それを教えてほしいんです。一昨日、中尉は勉強ができなくて何ができるとおっしゃいましたよね。今日、それを痛感しました。猪にすらすくみ上がって、判断を間違えてばかりでした。だから、教えてほしいんです。」
自分でも何を言っているのかわからないまま、牧村は嵐山の手首を掴み、自らの胸に押し当てた。嵐山がびくりと動き、視線をそらす。
「牧村…」
「中尉、私は、知るためなら、なんでもしようとたった今決めました。教えてください。兵士としての技術を、勉強を、そして、女としての振る舞いを。」
「牧村……。」
「さあ、早く教えてください。痛いことだって慣れっこです」
「牧村!!」
嵐山が突如起き上がり、牧村に強烈な頭突きを食らわせた。
「牧村、お前が何を考えてるかは分からない。だが、それは今すぐすべきことじゃない。今は、この任務を粛々と終わらせる時だ!」
「だって…!」
「それに、お前のその感情は、衝動的なものだ!少し頭を冷やせ。」
「違います!」
「違くない!上官命令だ!さっさと寝ろ!」
違うんです、という言葉はそのまま喉から出ず、涙と少しばかりの鼻血をぬぐい、牧村は寝袋へと潜った。
● ● ●
ガタガタと戦車が振動した。重い物を振り回すような、例えば砲塔のようなものを振り回した時のような振動だ。寝た時よりも僅かに明るく、何かが起こっていることを牧村は感じ取った。泣きはらした目をこすりながら寝袋から起き上がり、何が起こっているのかを知ろうとする。
嵐山が、かつてない真剣な表情で照準器を覗いていた。モニターが距離と風向き、風速を映し、それを見て手元のダイヤルをせわしなく調整している。
「起こしたか。」
嵐山は照準器を覗いたまま、そう言った。その間にも、手元のスイッチを操作し、微かにエンジンが動作する。
「まずいことになった。敵の船がいる。」
さらに画面を操作し、モニターの一部に照準器の映像を映し出した。夜の闇に消えかかっているが、確かに軍用の飛行船だった。
「見つかるかもしれん。そうなったら一巻の終わりだ。」
「高出力レーザーがあるから、ですよね?」
「…なぜそれを?」
「お父さんの本を時々盗み読みしていたんで…」
牧村の脳裏によぎったのは、何年も前のミリタリー雑誌の特集だった。世界中で次世代武器として開発競争の行われるレーザー兵器、その写真の一部と似た影を映像の中に見つけたのだ。
「まぁ、話がわかるなら話は早い。一発撃ったらスモーク焚いて逃げるぞ。」
レーザー兵器は一瞬で相手を溶断できる利点とは裏腹に、気象条件や悪天候に非常に弱く、雨が吹いても風が吹いても、灰が降っても使えなくなるという弱点を抱えていた。そのため、嵐山の単軽にも万が一のため煙幕が装備されているのだ。
発射用コイルが唸りを上げ、電力のチャージを始める。ダイヤルと画面を駆使し、ガコンと音を立てて砲弾が装填される。
「今の内にスーツ着ておけ。それと、ドア開けたり真ん中のところに手をおいたりするんじゃないぞ。」
音もなく充填ランプが赤から緑に変わり、砲弾を発射可能なことを告げる。
「発射確認。」
嵐山が淡々という。人の熱が失われ、最終チェックが行われる。
「弾種確認。対艦侵徹散弾。装填ランプ確認。発射用コンデンサーチャージ完了。」
操作盤の中心のカバーを外し、赤いスイッチを露出させる。
「3、2、1、発射」
その台詞と同時に、中央のシリンダーが激しく前後した。重々しい音と共に薬莢が砲塔から排出され、それと同時に単軽が唸りを上げて後退する。白く噴出する煙が辺り一帯に広がり、単軽を森の中へと隠した。
嵐山の放った砲弾は空中で無数の鏃に変わり、果物を散弾銃で砕くように飛行船を砕く。高熱の鏃は液体燃料が入ったタンクを撃ち抜き、気化した燃料が炎を上げて飛行船を包み込んだ。
山一つ向こうで大きな爆発が起こり、闇に沈む森をあかあかと照らす。斜面中腹の窪地に身を潜めていた単軽は、それを温度センサー越しに確認した。
闇に浮かぶ第二の太陽、白く煙る森と幻想的な光景に目を奪われた牧村だったが、すぐに気を取り直し、新しいヘルメットを被る。すぐにHUDの画面が起動してちらつき、牧村の身体情報を伝える通常状態に変化する。
バキバキと木を踏み倒して疾走する鉄の棺桶は、森の中を周期的に右へ左へと身を揺らす。不意に、その周期が途切れ、強烈な横Gに襲われる。動きが鋭角的になり、向かう方向もランダムになった。
「牧村!ドローンが生きてたみたいだ!外に出て迎撃頼む!」
「戦車砲で狙えないんですか!?」
「止まったら死ぬぞ!?」
「わかりました!」
迎撃の用意を———今度はライフルではなく短機関砲———を持ち出し、ハッチを開ける。生暖かい風、燃料の刺激臭、バタバタと唸るドローンの羽音、それらが牧村の気を引き締める。照準をHUDと同期させ、ドローンを探す。
その化物は、牧村達のすぐ後ろに居た。人ひとりほどの大きさの蜂が、目を爛々と輝か せてこちらへ向かって来ていたのだ。
牧村は迷わず引き金を引く。蜂の化物に向かって放たれた鉛の弾幕は、ドローンの照準を狂わせた。
単軽のすぐ横を熱線が掠める。シャッと空気の沸騰する音が鳴り、ついでと言わんばかりにカーキの塗料を剥がした。弾丸の大半は防がれてしまったが、どこかに異常が発生したらしく、先程よりもふらふらとした頼りない機動になった。羽ばたく速度も低下し、単経と蜂の距離が広がる。
追跡を諦めたのか、蜂は高度を上げ、飛行船の落ちた方角へと戻っていった。
視界の向こうに蜂が消えた頃、単軽も速度を落とし、稜線の影へと身を隠した。
しばらくして。
「あのドローンを墜とす」
嵐山は一言だけを発した。
「勝てるんですか」
牧村は続ける。
「俺だけなら逃げ帰ってたが、今回は二人いるからな」
放っておくにも危ないし、と付け加え、嵐山は牧村に作戦の概要を説明する。
「私じゃないとダメですかそれ…」
「1キロ離れた1セントコインのど真ん中を撃ち抜けるなら代わってもいいぞ」
「わかりました。やりますよ…」
● ● ●
牧村は燃え滓の舞う森を走っていた。黒焦げの化物がそれを追う。煙幕に含まれるガスとジェット燃料、有機プラスチックの燃える臭いが凄まじい臭気を作り出し、パワードスーツのエアーフィルターが猛烈な勢いで動作する。牧村はそれを肺に叩き込み、己の脚を動かす活力に換える。その電気信号を受け取ったパワードスーツはその力を数十倍にも増幅させ、自動車並の高スピードを維持する。
牧村はひたすら、白黒の煙に包まれた森を走った。倒木を踏み潰し、廃屋をなぎ倒す。それでも蜂の化物は追ってくる。物陰に潜み、頭上を過ぎ去った瞬間、短機関砲を化物に向かって撃つ。パララッ、と小気味よい三点バーストで弾丸が放たれ、そのどれもが堅牢には見えない装甲に弾かれた。化物が空中で反転し、腹の先に取り付けられた銃口をこちらに向ける。
一瞬の間。
牧村に向けられた赤い点が広がる前に、牧村は素早く物陰から逃げ出した。一拍遅れて物陰が燃え上がり、それを尻目に牧村は再び走り出す。
装甲についた泥が乾いて剥がれ落ちる。
牧村の身体がより多くの酸素を求め、それにパワードスーツのコンプレッサーが応える。
全力で走りつつ、その場に手榴弾を落とす。破裂する金属片が化物の行く手を阻み、距離が開く。その僅かな時間に、空の弾倉を抜き、新しい弾倉を乱暴に装填する。そのまま後ろを向き、連射。牽制を繰り返す。
森を抜け、廃墟の多い広場に牧村は出た。それに釣られて、化物も森の外へと出る。
化物が森から出た瞬間、あらぬ方向から銃弾が飛んできた。標的を掠め、地面に鋭い穴を開ける。化物の探知範囲外にいるのか、しばらく困惑したかのような機動を見せたが、すぐにランダムな機動へと変わる。そこへ、牧村は短機関砲を向けた。パワードスーツの機能をフルに使い、機動を予測してその先へと弾丸を撃ち込む。強固な羽毛状の防弾装甲がその衝撃で次々に剥がれ落ち、その向こうの小さいプラスチック製の羽にダメージを与えていく。
ライフル弾が、化物の頭を貫いた。正確にはそう見えるだけのセンサー集合体だったのだが、それによって明らかに動きが鈍くなり、弱々しい機動になる。
半壊した複眼が牧村を睨み、腹の銃口を三度向ける。短機関砲の弾数はゼロ。牧村はある指示を出していた。あとは「発射」と言うだけだ。
息が上がり、上手く声が出せない。
永遠のような一瞬。
ごくりと唾を飲み込む。
「発射」
牧村の背後の廃墟が赤く瞬き———
● ● ●
時は少し遡る。
「対空ミサイル?」
牧村は、コンテナから取り出されたカーキ色の箱の文字を読み、そう言った。
「アイツを手っ取り早く倒すにはそれしかない」
嵐山が慣れた手つきで梱包を解き、筒状の発射装置と四角い籠のようなセンサーを組み立てる。
「この戦車砲だと的が小さすぎるし、ライフルで墜とすにはちと骨が折れる」
「?」
「どうした?」
「どうしてそこで『骨が折れる』んです?」
「…生きて帰れたら小鳥遊にでも聞け」
嵐山が操縦席近くのトレーからボタンの沢山付いたガラクタを取り付け、そのガラクタをしばらく操作する。
「今、遠隔操作できるようにした」
ガラクタを牧村に手渡す牧村。よく見ると、そのガラクタには小さい画面と幾何学模様に並んだ12個のキー、大きい十字のボタンがはめ込まれていた。
「ミサイルを廃墟に置いて待ち伏せする」
傍らから大量に書き込まれた白地図を取り出し、ペンでおおよその概要を伝える。
「まず、お前があのドローンを誘導する」
「えっ」
「んで、出てきた所を俺がライフルで足止めしてその隙にミサイルで仕留める」
「いろいろと適当すぎません?」
「?、そうか?」
嵐山は操縦席に戻り、再びエンジンを始動させる。
「ドローンの探知範囲ギリギリに廃墟がある。そこに移動しよう」
● ● ●
そして、現在。
牧村の背後から、炎の槍が射出された。すぐさまシーカーを冷却・弾体を加速させ、宙を舞う獲物に食らいつく。
爆発。何倍も大きい戦闘ヘリでさえ粉砕する炎が、跡形もなく化物を焼き尽くし、同じ重さのガラクタを撒き散らす。
熱風と光からとっさに身をかばった牧村は、爆風が収まったことを確認すると、恐る恐る姿勢を元に戻した。パワードスーツの全身に刺さった破片を手で払いつつ、化物の居た場所を見る。
化物は跡形も無く消し飛び、辺り一帯に破片が落ちていた。
牧村は安心し、その場に崩れ落ちてしまった。
『こちらビートル。シープ、状況を報告せよ』
パワードスーツの通信機が作動し、嵐山の声が聞こえた。ビートルは嵐山の乗る単軽、シープはまさしく牧村(追われる羊)のことだ。
『…シープ?応答せよ、シープ。成功したのか?』
「…!は、はい。撃墜できました」
『ならよかった。このまま偵察を続けるぞ。単軽の所に戻ってきてくれ』
牧村はその時、偵察がまだ終わった訳ではなく、むしろ始まったばかりであることを思い出し、暗澹とした気分になった。
「こんなことが何度も続くんですか…?」
半ば絶望し、自らに言い聞かせるかのような牧村の質問。嵐山はこう答えた。
「いや、そうでもない。今回が特別なだけだ」
● ● ●
「今日は寝なかったね」
友人が話しかけてきた。
「うん。ちょっとね…」
無事に偵察を終え、基地に帰還した牧村と嵐山は、いつも通りの生活に戻った。水上大尉に帰還の報告をし、嵐山先輩は二人分の書類は書いておくと牧村を早々と部屋に戻らせた。それから数日後、こうして私は嵐山先輩の授業を真面目に受けている。
「ちぇー今日もタダで飲めると思ってたのに〜」
「そういつまで人をアテにするなってことじゃないッスか?伊川さン」
「お、言うねぇ〜」
そんな他愛もない会話を交わしていると、不意に教室(という名の多目的室)に人が入ってきた。「ニンニク入れますか?」という文字がプリントされたTシャツを着た、だらんとした態度の小太り士官。小鳥遊先輩だ。
「おう、カケルいっかー」
友人が立ち上がり、先輩の元へと向かう。
「なんの用ですか。暑苦しいです」
「暑苦しいのは俺のせいじゃないもんねーだ」
「視界に入るだけで湿度が上がったかのような錯覚に陥るんでやめてください」
「そりゃーよかったな。冬場は加湿器になる」
よくもまああそこまで大胆に攻めれるねぇと他人事のように(実際そうではあったが)二人のやり取りを見ていると、牧村の視線に気づいたのか、小鳥遊がドスドスと牧村に近づいてきた。
「ねえねえ、どうだった?カケルと偵察」
カケルとは誰ですか、と聞く前に思い立った牧村は、大変でしたと答えた。
「うーん、そうじゃなくてだなぁ…」
「?」
「ヤったの?カケルと」
追いかけてきた友人がそれを聞き、なっ!?と声を上げたまま固まる。
「やるって、なにをですか?」
「なんてこと聞いてんですかこの変態!!」
「仮に変態だったとしても俺は変態紳士だ!で、ヤるってのはだな…」
ちょいちょいと耳を貸せというジェスチャーをし、牧村は耳を貸す。
一言目を発しようとした瞬間、小鳥遊の頭が丸めた教科書で叩かれた。リングマットに沈むかのように小鳥遊は倒れ、そのまま沈黙する。その向こうから、虫を見るかのような目をした水上が立っていた。
「誰か、レフェリー役。」
「は?」
「だから、レフェリー役。」
友人が水上の空いている手を握り、天高く持ち上げる。
「う、うぃな〜、水上、センパイ〜」
それをやられて満足したのか、水上は小鳥遊を教室の外へ引きずり出し、何事にも無かったかのように教卓へと向かった。
「結局、ヤるってなんなの?」
牧村は友人に尋ねる。
「あんたマジで知らないの?」
「うん」
「あんたにはまだ早いってことさッ!!」
小鳥遊が教室のドアに格好良くもたれかかり、キメ台詞かのようにそう言った。
容赦ない白墨のヘッドショットが決まる。
「さ、授業を始めるぞ。」
結局なんだったのだろうか…と牧村は思案し、そして彼なりの深い考えがあったのだろうと思案するのをやめた。
(終)
完結しました!
この話はひとまずここで終わりです。
次回から、正規兵となった主人公達に新しい敵が迫ります。さらには、新キャラクターも登場の予定です。