殺す女
一目惚れってあるだろうか。
突然出会った見た事もない赤の他人をいきなり好きになる。そんな事ってあるんだろうか。少なくとも、僕はそれが訪れる瞬間までは疑っていた。
あの日見た君はとても綺麗で、可憐で、心惹かれる存在だった。僕は正に射ぬかれたのだった。
僕こと春川道雄は、長野県松本市にある松本勝利学園高等学校、通称『松勝学園』に通っている。
三ヶ月前までサッカー部に(マネージャー目当て)入っていた僕は怪我を理由に部を辞めた。朝練も無く暇人になった僕は自由な精神の元、学校までの道のりをだらだらと歩いていたのだった。
連れ合いも今日はいず、孤独感を抱きながら歩く様は、ぼっちの哀愁漂う高校生の行者といった具合だ。棒や鈴を持てば尚更にそう見えるんではないか。
「ナムラウンケンソワカ!かぁつ!!」
人もいなかったので大声で叫んでみた。気持ちがよかった。こんなにも気持ちがよかったものなんだな。人間って気持ちがスッキリすると周りが見渡せるようで、僕は少し先に流れる川に目がいった。
学校の近くにある川で結構な大きさがある。
(白線流しをした事があったんだっけ)
川に白い布を流す儀式めいた何かだ。よくは知らない。呆けながら歩いていると、川の向こうから何かが流れてきた。あれは何だ?白い布か?いや、
あれは犬だ。白い子犬だ。段ボール箱に入った白い子犬だ。可哀想に震えている。助けるべきか、見なかった事にするか。ちょっとだけ考えた末、僕は後者を選択した。ごめんよ子犬。
目を閉じて足早に歩く僕の耳に響くような大きな音がした。この音は、もしかして誰かが飛び込んだ?そう思ったら、異常に気になり、閉じた目を開く。音は続いている。泳ぐような音がする。本当に誰かが飛び込んだのか?
目を開けた僕の目に写ったのは、女の子だった。クロールで子犬の入った段ボールへまっすぐ向かっていく。何をやっているのか、この子は。ほっとけえばいいものを。
子犬を助けて川から上がった女の子は、よく見れば同じ年位の子だ。髪の長い子で、顔立ちが整っていて、あれ?何だろう何だか…僕はその時恋をした。
子犬を助けた彼女に惚れてしまった。
何てことだ。
思わず、逃げ出すように僕は走り去った。振り返りはしなかった。
そんな訳で、あの時僕は恋をした。一目惚れだった。射ぬかれた。大好きです、彼女。
そんな彼女が今また目と鼻の先にいる。
二度目の出会いは彼女が身を呈して、子供達をチンピラから守っているところだ。近くにいる人に声をかけ、事情を聞くと、肩をぶつけたのなんので、チンピラが子供達に因縁を吹っ掛けたらしい。
それを彼女がかばっているようだ。
どうするんだ彼女。そんな子供達なんかほっとけえばいいじゃないか。無視をするべきだった。
彼女は身体を張る。チンピラは暴力沙汰に出た。大きく振りかぶって殴りかかってきたのだ。危ないぞ彼女。ヤバいぞ彼女。
「スゲエ」
彼女は襲いかかってきたチンピラをいなして背負い投げを放った。見事に決まって、チンピラはゲホゴホ言いながら、去っていく。沸き上がる大歓声。ヒーロー誕生。子供達大喜び。
なんて素敵なんだ、彼女。
少し怪我をしたらしい彼女は貰った絆創膏を自分で付け、子供達を見送った。警察の人もやって来た。僕は自然と前に歩いていた。こ、声をかけたい。話かけたい。その思いで、僕は彼女の前に立った。よし今だ。
「だ、大丈夫?」
彼女はピクリと反応するとこちらを向く。
「す、凄かったよ…」
彼女は僕を凝視すると、ゆっくりと立ち上がった。なんだ、何だ、この反応。僕は一目惚れだ。もしかして、彼女もなんじゃないか?
にこりと僕はスマイルする。彼女はすうっと顔を向けた。向けた瞬間、時が止まったかのような感覚を覚えた。寒気がした。お尻につららを突き込まれたような感覚がした。何だこれは?この感じは。
彼女は思いきり目をひんむくと物凄い表情で、僕を睨んできた。親の仇のように。や、やめろ。そんな顔で睨むな。彼女は僕に近寄る。睨んだまま。こ、怖い。怖いぞこれは。何だこれ。
「殺す」
え?
「殺す殺す殺す」
え?え?え?
え?
次の瞬間、僕は彼女に首を絞められていた。
「殺す殺す殺す」
怪力だ、外せない。
「殺す殺す殺す」
「ぐ、ぐげえ………」
周りの人達が気づき、引き離しにかかる。
警察の人もだ。
「た、助けてくれえ…」
彼女は僕が意識を失いかけても絞め続けた。ずっとずっと。
僕は夢だと思う事にした。
それから、しばらくして彼女と再会した。
「転校生を紹介します」
誰にでも別け隔てなく、優しくせっする彼女は、僕にだけ怖かった。
転校初日に目の前でぎりぎりと歯ぎしりをされた。体育の時に石を投げられた。屋上では落とされかけた。一人になるととにかく襲われる。
「殺す殺す殺す」
コロスコロスコロス…何なんだろう一体。
「もしかして、見られたんじゃないか」
友達は言った。
「話を総合すると、子犬のときも子供達のときも、お前さあ見捨てて何もしなかっただろう。それが許せなかったんじゃないか、彼女」
「そうなのかな?」
「自分が女の子なのに、これだけ身体を張っているのに、男の子であるお前は何もしなかった。これが許せなかったんだよ、きっと」
「そうかも」
「男の子は女の子を守んなきゃな!」
「ああ、そうだな。そうする!そうするよ!」
僕の覚悟が決まった。
体育催の時だ。
彼女と一緒の組み合わせになった。
ドッジボールなんていつ以来だろう。
彼女と僕は最後まで残った。
彼女は狙われた。
僕は狙われなかった。
彼女に危険が迫る。
「危ない」
彼女の代わりに僕は犠牲になり、彼女は勝った。
僕は彼女にこう言った。
「結婚しよう!」
それだけ聞くと彼女は自分の荷物から包丁を取りだし、僕を滅多刺しにした。
薄れる意識の中、僕は思った。
僕は一目惚れ。
彼女は一目嫌い。
そうなんじゃないかな。僕は死んでしまいました。