第6節 ラッピー
「う~ん・・・・・・ない」
次の日の放課後--エステルはまだ『魔法陣集~風の精霊編2~』とにらめっこをしていた。
「またそれ読んでるのか?」
ロックは手元の本から目を上げると、呆れ顔でエステルの方を向く。
「ねぇねぇ、ロックのクイーンちゃんの魔法陣はさ、どんな風にアレンジしてるの?」
エステルはアドバイスを頂こうとロックの机を振り返る。
『ワタクシの魔法陣は世界に二十しかありません! 何せ、ワタクシは高貴な中級精霊! 何百個体もいるプチラピスなどと一緒にされては困ります!』
ロックの代わりにクイーンが答える。クイーンはソファに座るドミニクの膝の上でゴロゴロしていた。
「えっ!? 二十個体しかいないの!?」
エステルは目を丸くする。
「まあ、そういうことだ。中級精霊ともなると同じ種類でも個体数は限られてくる。俺は元々あった魔法陣を他の魔法律家から譲り受けたんだ」
「そうなんだ・・・・・・じゃあ、全然苦労してないんだね」
エステルが少し残念そうな顔をする。
「失礼なことを言うな。譲り受けたと言っても新たに契約するには自分で魔法陣を書き直さないといけない。中級精霊ともなると、魔法陣はかなり複雑だ。魔法陣を書くのにも大量の魔力を消費する」
『その通りです。あなたの魔力ではワタクシの魔法陣の円すら書けませんよ』
クイーンがエステルを蔑むように見る。
「う、何か悔しいなぁ・・・・・・」
エステルは手元の白い布を見つめる。自分には召喚なんてまだ早かったのかもしれない。実際、授業でも基本のキしか教わっていないのだ。
「よかったら、手伝おうか・・・・・・?」
「え・・・・・・!?」
エステルは声のする方をバッと振り向いた。
「いや・・・・・・アレンジの仕方を教えるくらいならできるけど?」
ドミニクがクイーンをなでながら困ったような顔をする。
「いいんですか!?」
「う、うん」
エステルの驚き様はかなり大げさだった。しかしドミニクはその理由を昨日聞いてしまっていたので(と言うか盗み聞きしてしまっていたので)、特に指摘はしなかった。
「やったぁ! じゃあ、これなんですけど! もう、思い付くのないんです! どの辺をアレンジしたらいいと思いますか?」
エステルは机を離れると、ドミニクの前で数種類の魔法陣が書かれたノートを開いて見せた。
「う~ん・・・・・・そうだなぁ」
ドミニクはノートを受け取りエステルのアレンジを一つ一つ見ていく。
(典型的なのばっかりだな・・・・・・まぁ初学者だから仕方ないんだけど)
『ドミニクさん痛いです・・・・・・』
「あ、ごめんね!」
ドミニクの持つノートの角がクイーンの頭に刺さっていた。
「あ、これなら少し手を加えれば何とかなるんじゃないかな?」
ドミニクは一つの魔法陣を指さす。
「え!? どれですか!?」
「これなんだけどね、ここをもう少し跳ねさせて、その先に小さな円を書くんだ。あ、その反対側にもね? 左右対象になるように」
エステルはドミニクの手元を食い入るように見つめる。ドミニクはその一生懸命な様子が可愛らしくて思わず笑った。
「え、何ですか?」
「いや、何でもないよ。一回、紙に書いてごらんよ。布に写すのはかなり魔力がいるし、もしかしたらこれも取られてるかもしれない。契約してから布に写し替えるのが一般的だよ?」
「そうだったんですね! ちょっと書いてみます!」
エステルは机に戻るとハンカチ大の紙を取り出し円を書き始めた。
「そういや、クイーンの魔法陣も擦り切れてきたなぁ・・・・・・書き直すのめんどくさいな・・・・・・」
ロックが魔法律家らしからぬ不満を口にする。
『・・・・・・一回、本当に書き直すの忘れて契約解除になりましたよね。ワタクシ、正直ビックリしましたよ。こんなマヌケな契約者は初めてです』
クイーンがロックを白い目で見る。
「う・・・・・・ま、まあ、すぐに気付いてよかった。あの時は忙しかったしな! 色々と!」
『じゃあ、今は書けますよね。かなりオヒマそうですから』
クイーンはロックの手元の『今日のおかず百選』を睨む。
「・・・・・・今、手元に羊皮紙がないんだ。今度買ってくる」
「--!? ロック先生、未だに羊皮紙を使ってらっしゃるんですか?」
ドミニクが驚いてロックを振り向く。魔法陣を書くのに羊皮紙が主流だったのは約三十年前までだ。今は技術も進歩して専用の布に写すのが一般的になっている。そうすれば洗濯もできるし持ち運びにも便利なのだ。
「う~ん・・・・・・布に写すなんてそんな洒落たこと向いてないんだよな」
『時代に乗り遅れてますからね』
「--!? うるさいぞ、クイーン!」
「できたーー!」
エステルの声によりロックとクイーンの喧嘩が中断された。
「早かったな。ほんとに書けたのか?」
「書けたよ! ねぇ、ドミニクさん! こんな感じでいいかな!?」
エステルがドミニクに向かって魔法陣を広げる。
「うん、よく書けてると思うよ。喚んでごらん?」
「え!? で、できるかな?」
今まで魔法陣を書く段階でずっと足踏みしていた。それなのにいきなり喚び出すなんてと、エステルは少し躊躇した。
「やってみろ。お前ならできる」
ロックがエステルの背中を押す。
「う、うん--」
エステルは応接用のテーブルの上に紙を置き、大きく息を吸った。ロック、ドミニク、クイーンの視線がエステルに集中する。
「契約を申し込みます! 風の精霊『プチラピス』!」
エステルが叫んだとたん、紙の表面が波のように揺らぎ青い羽毛が徐々に現れ出す。クイーンの召喚の時と一緒だった。しかしその体はクイーンよりずっと小さい。体が全部出たところで『プチラピス』の丸い瞳がエステルを真っ直ぐに見つめた。
「か、可愛い!!」
エステルは召喚に成功した喜びよりもプチラピスの可愛さにノックダウンされていた。
「エステルさん、早く契約しないと・・・・・・」
ドミニクが思わず口を出す。
「あ、そうだった! 風の精霊『プチラピス』、エステル・バークリーが契約を申し込みます。対価はこれです。承諾してくれますか?」
エステルは手に持って用意していた丸いキャンディを差し出す。それは本にプチラピスの大好物だと載っていたものだった。きっと受け取ってくれる。そう信じて疑わなかった--しかし--
『ピィ!』
プチラピスはそっぽを向いてしまった。
「え、な、何で!? これ好きじゃないの!?」
『ピ、ピィ!』
プチラピスはご機嫌斜めの様子だった。
『ふん、対価が気に入らないようですね。他に用意していないのですか?』
クイーンがエステルに助け船を出す。
「え、でも・・・・・・これで大丈夫だって本には・・・・・・他に用意してないよ」
エステルが泣きそうな声を出す。
「これをやって見ろ」
ロックが小さなビンをエステルに投げてよこす。
『あ、それはワタクシのコンペイトウです!』
「うん! これでどうかな?」
クイーンの抗議も空しくコンペイトウはプチラピスに差し出された。
『ピィ? ピィ!』
しかし、プチラピスは少し興味を示したもののまたそっぽを向いてしまった--と、思ったら、パタパタとエステルの机の方に飛んでいき、六法をつつきだした。
「あ、ダメだよ! それ大事な物なんだから!」
エステルは慌てて六法を取り返そうとする。
「待って、エステルさん。この子、何か対価を主張しているのかもしれない。食べ物以外を欲しがる精霊もいるんだ。よく観察して」
「え!?」
ドミニクの忠告に従いエステルはプチラピスの主張を見抜こうとする。六法が欲しいのか--いや、こんな重い物この子には扱えないだろう。色が気に入ったのか--青い物ならこの部屋に他にいくつでもある。そういうわけでもなさそうだ。じゃあ何--プチラピスは六法の右端だけに異様に執着している。ツンツンと今にも穴が空きそうだ。
「あ! 分かった! これでしょ!? シール欲しいんでしょ!?」
『ピィ~~~』
エステルが六法からコンペイトウ型の立体シールを剥がすと、プチラピスはそれだと言わんばかりに羽をバタバタさせる。
「これが対価でいいの?」
『ぴぃ』
プチラピスは今までにない可愛らしい声を上げてエステルに返事をすると、ずいっと額を突き出した。
「え、何? おでこに貼るの?」
『ぴぃ』
可愛らしい声は肯定の意のようだった。
「いいのかな・・・・・・ハゲたりしないかな」
エステルは少し心配になりながらもプチラピスの青いおでこにピンクのコンペイトウを貼り付けた。
『ぴぃ!』
プチラピスはまたどこかへ飛んでいく。
「わ、ちょっと待ってよ!」
エステルは慌てて後を追う。逃げられてしまうかもしれない--そう思ったが、プチラピスが移動したのは意外にもロックの机の後ろの窓ガラスの前だった。ぴぃと、可愛らしい声を上げながら、窓に移った自分の姿をうっとりとした表情で見つめている。
「気に入ってくれたのかな?」
「エステルさん、早く承諾を得て!」
のんびりとプチラピスを見つめるエステルに、またしてもドミニクの注意が飛ぶ。
「あ、はい! プチラピス、承諾してくれますか?」
『ぴぃ!』
その瞬間、紙に書かれた魔法陣が青白く光り出す。契約成立の合図だった。
「やったぁ! 契約できたよ!」
エステルは飛び上がって喜ぶ。
「エステルさん! 名前!」
ドミニクの本日四回目の注意が飛ぶ。
「あ、そうだった! あなたの名前は『ラッピー』だよ! これからよろしくね、ラッピー!」
『ぴい!』
こうして、エステルはラッピーと契約することに成功したのだった。