第1節 後遺症
「うえ~、体痛い~。ダルいよ~」
エステルは机の上に突っ伏した。
「もう、また~? ちょっとはセーブしなよ~。最近、時空法の後はずっとその調子じゃない」
隣の机で勉強していたクレアが呆れ顔で声を掛ける。
「うん・・・・・・でも、授業以外で『フロート』使うの学園で禁止されてるし、ここぞと思って飛んじゃうんだよね」
「何がここぞよ。さっきから全然、集中できてないじゃない・・・・・・もう、寝た方がいいよ?」
「うん、でももうちょっと」
エステルは『魔法陣集~風の精霊2~』のページを睨む。本の下には、ハンカチ程のサイズの真っ白な布が敷いてあった。
彼女は現在、風の下級精霊『プチラピス』を召喚しようと奮闘中だった。先日借りた本によると、『プチラピス』は契約者が非常に多く、すでに多くの魔法陣は先の契約者に取られているようだった。このような場合、発見されているもの以外の魔法陣を自らアレンジして作り出し、まだ契約していない『プチラピス』を召喚する必要がある。しかしこれがまた難しい。アレンジの仕方はある程度パターンがあるのだが、そのパターンもほとんど使い尽くされており、新しい『プチラピス』の魔法陣を作り出すこと自体が初心者のエステルには困難な作業だった。
(これも・・・・・・こっちのパターンもダメか・・・・・・)
数百にも上る『プチラピス』の魔法陣の形を確認していく。しかし、やはりエステルが思い付くような魔法陣はすでに他の魔法律家に取られている。
(魔法陣書く段階にも進めないじゃん・・・・・・)
エステルは、準備していた白い布を見つめる。改めて召喚法の難しさを実感していた。
「はいどうぞ」
クレアがエステルの机にハーブティーを置いた。
「ありがとう、クレア!」
エステルはクレアにキラキラした笑顔を向ける。
「私も休憩するついでだから。・・・・・・布まだ真っ白なのね」
「うん・・・・・・ほとんどの魔法陣、取られちゃってて」
「結構人気なんだね、その子。未契約の子なんているのかな?」
そう言うとクレアは、自分の机の椅子をエステルの方に向けて座った。
「それも分かんない・・・・・・でも、多分いるだろうって書いてあるから、色々アレンジの仕方考えてみるよ。どうしてもムリってなったら、ドミニクさんに教えてもらおうと思って」
「・・・・・・教えてくれるかな」
クレアが少し眉をひそめる。
「え!? 教えてくれるんじゃないかな! 何で?」
「だって、ドミニクさんミルドなんでしょ?」
「そうだよ。だから聞くんじゃん」
「・・・・・・ミルドって、かなり秘密主義だよ」
「え・・・・・・」
「エステル、ミルドが書いた召喚法の本って見たことある?」
「いや・・・・・・でも、著者名だけじゃ分かんないし」
「私、お父様に一冊だけ見せてもらったことがあるの。ミルドの民が書いた召喚法の本・・・・・・でも、その一冊しかないみたい」
「え!?」
「結構、有名な話だよ? その本、もう五十年以上も前に書かれた本なんだけど、未だにその本を超える名著はないって言われてるんだって」
「そうなんだ・・・・・・でもどうしてミルドは本、書かないのかな?」
エステルが素直な疑問を口にする。
「召喚の技術を独占したいからだよ」
「え・・・・・・」
「お父様がそう言ってた。召喚困難な上級精霊を全てミルドで独占したいから、研究結果を外部に出さないんだって」
「そんな・・・・・・」
エステルの脳裏にドミニクの笑顔が浮かぶ。彼がそんなことを考えているようにはどうしても思えなかった。
「ミルドは、すごい技術をたくさん持ってるらしいけど、自分たち以外には絶対に流出させないんだよ。これも結構、有名なことだよ」
「そう、なんだ」
エステルはショックだった。研究結果というのは世に出すのが普通のことだと思っていた。彼女の祖父や周りの調査官がみんなそうだったからだ。優れた研究結果は公開し、社会の役に立てる--むしろ、研究とはそのために行うものだというのが彼女の感覚だった。独占したいという気持ちにエステルは全く共感できなかった。
「ドミニクさんもミルドなんだったら、きっと教えてくれないよ」
「え・・・・・・でも、ドミニクさんはそんなこと考えてるようには思えないんだけど・・・・・・」
クレアの断定的な物言いにエステルは戸惑う。
「エステルはミルドのこと全然知らないからそんな風に思うんだよ。ミルドは今まで自分たち以外のために召喚法を使ったことないんだよ」
「--!? そんなこと分かんないじゃん! て言うか、さっきからクレア、ミルド、ミルドって、感じ悪いよ! 私はドミニクさんの話してるんだから!」
「ドミニクさんはミルドじゃないの」
「だけど、ドミニクさんだもん!」
「意味わかんないよ。大体、エステル、何も知らな過ぎなんだよ。ミルドが迫害されてきたことに、理由がないとでも思ってるの!? 私、ミルドなんて、大っ嫌いなんだから!」
「え・・・・・・」
エステルは呆然とする。対するクレアも、自分が取り乱したことに気付きハッとする。
「ご、ごめん、エステル。びっくりしたよね・・・・・・私もう寝るね・・・・・・」
「う、うん・・・・・・おやすみ」
クレアは二段ベッドの上に登って行った。カップの中のハーブティーはほとんど残ったままだ。
エステルは、自分とクレアのカップをキッチンで洗うと、気を取り直して『プチラピス』の魔法陣を調べようとする。しかし、気を取り直すなんてムリだった。エステルは、クレアがミルドを嫌いだと言ったことよりも、いつも優しいクレアを怒らせてしまったことが悲しくて仕方なかった。それはきっと、自分の無知のせいなのだ。祖父に過保護に育てられてきたことなんて言い訳にもならない。エステルはもう一人で何でも調べられるのだ。調査に弊害があるわけでもない。むしろ大陸一の蔵書量を誇る図書館が歩いて五分の距離にあるのだ。
エステルは、明日、授業が終わったら、図書館に向かおうと決めていた。