8話:人の話はきちんと聞きましょう
「俺と結衣の大事なことを忘れるなんて、いけない子だな」
「だ、だって、あの、ううぅ………ごめんなさいぃ」
昌哉の帰国のことで頭がいっぱいで、同居のことなど頭の片隅にも残っていなかったなんて恥ずかしくて言えない。
仕方がないと子供を諭すような言動なのに、昌哉の背後にどす黒いモノを感じた結衣は少し怯えながら謝った。
「結衣ちゃん苛めてないで、さっさと決めないと。時間ないんだから」
「忘れてる結衣も悪いけどね。ほら、これなんてどう?」
「うーん。でもそれは通学するのが遠くならないかしら?」
「でも、近くだと家賃割高なのよね…」
仲裁ともいえない母親達の会話に昌哉は苦笑し、結衣はほっと息を吐いた。
自分達が住むわけでもないのに、楽しそうに見ているマンションの間取りが印刷されたものへ視線を移す。
乱雑に置かれているが、ざっと目を通したところ大半が3LDKだった。
たまに3DKなども混ざっていたが、どれもファミリータイプのマンションばかり。
「あの、昌哉君…」
結衣は袖を軽く引っ張り、小さな声で昌哉を呼ぶと神妙な顔で続ける。
「私と一緒に住むからこんなに広いの?」
「そうだよ。それがどうかしたか?」
「だってお家賃高いし…。私は居候になるんだから、もっと狭いとこでもいいよ」
いくらかは結衣の親から援助がでるだろうけど、だからってわざわざ家賃が高い部屋にすることはないと思う。
削れるところは削って貯金にまわせばいいと考えた結衣の発言は、昌哉を固まらせた。
あーだこーだと言っていた母親達も、目を見開いて結衣を凝視する。
「皆、どうしたの?」
静まり返った空気に、何か間違った発言をしただろうかと不安になり結衣はオロオロとする。
室内は暖かいはずなのに隣から冷気が漂い、ぎこちなく首を回して視線を向けると眉間に深い皺を寄せた昌哉がいた。
結衣は悲鳴をあげなかった自分を褒めたかった。
いつも穏やかな昌哉が、どこからみても不機嫌だといわんばかりの態度をとるのは珍しい。
「母さん」
「ちゃんと結衣ちゃんに言ったわよ! ね、千秋ちゃん」
「そうよ! 百合ちゃんと二人で結衣に話して同意を貰ってから昌哉君に報告したもの」
「同居の話ならお母さん達から聞いたよ」
その話以外に何があるのかと、結衣は首を傾けながら言った。
すると二度目の沈黙が部屋を支配する。
「結衣ちゃん、まさか…」
「ねぇ、同居の話よりも重要な話を聞いてなかったなんて言わないわよね? だってちゃんと返事して頷いてたじゃない」
「…日本に残るのに昌哉君と一緒に暮らすって事以外に、重要なことなんて言ってたっけ?」
母親達の問いかけに、聞いた覚えもなければ、頷いた覚えもない結衣は怪訝な顔で答えた。
「―――千秋さん」
「! 何かな、昌哉君?」
「『アレ』ってもう貰っても大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。今もって来るから待ってて」
昌哉は視線を結衣に固定したまま言うと、千秋は慌てて立ち上がり通帳等の貴重品が入ってる棚から紙切れを一枚取り出した。
それを受け取りちらりとだけ内容を確認すると、今度は背後に華が舞うような笑顔を結衣に向ける。
(く、黒いオーラが見えるっ!)
豪華絢爛で直視できないほど眩しい笑顔なのに、結衣は見惚れるどころか恐怖を覚えた。
「親経由で言われたから、結衣は拗ねてるんだよね」
「え、」
「ごめんな。ちゃんと俺の口から言わないと駄目だよな」
「ちょ、」
「とりあえず、結衣の部屋に行こうか。話しはそれからにしよう」
「ま、昌哉君っ?!」
結衣は腕を捕まれ無理矢理立たされると、そのまま引っ張られて自室へと連れて行かれる。
リビングを出るときに助けを求めて後ろを振り返ったが、自業自得だと言わんばかりの顔で見送られるだけだった。