9話:保護者じゃないのっ?!
自室に連れて行かれ、そのままベッドへと座らされると昌哉は結衣の前に跪いた。
年頃の女の子の部屋に異性がいることに緊張してドキドキするのではなく、始終笑みを浮べた昌哉に対しての恐怖で結衣はドキドキしている。
背中には冷や汗が出て、呼吸をすることさえ苦しく感じた。
「結衣」
昌哉は殊更優しい声音で呼ぶと、結衣の左手を手に取り視線を絡ませる。
「もう一度聞くけど、拗ねてるの? それてもきちんと聞いてなかった?」
「…拗ねる理由なんてないし、同居の話は聞いたけどそれ以外は聞いてないよ…」
「そう。俺と同居するにあたってもう一つ条件があったんだけど…、その様子じゃ聞いてないな」
困ったように目尻を下げる結衣の様子に、昌哉は苦笑する。
「もう一つ? お母さんはそんなこと言ってなかったけど」
「母さん達はさっきそのことも含めて話をしたって言ってただろ。結衣が聞いてなかっただけだ」
「その条件って何? そんなに重要なことなの?」
「ああ、コレだよ」
先程、千秋から昌哉に渡された紙切れが結衣の目の前へと差し出され、それをまじまじと見つめる結衣の目に信じられない文字が入ってきた。
何度瞬きをしても、その文字は変わることがない。
「ナニコレ…」
「見ての通り『婚姻届』だ。譲さんと千秋さんの同意は署名してもらったから、あとは俺と結衣が書いて役所に出すだけ」
「ジョウダンダヨネ?」
「冗談でもドッキリでもないよ。俺と結衣は結婚して一緒に暮らすの」
「同居って保護者としてじゃないのっ?!」
「保護者じゃなくて、この場合だと配偶者だな」
「いやいやいやいやっ! ちょっとまって、私、まだ、十六歳だよっ!! というか結婚ってっ!!!」
昌哉が話す内容に、結衣の頭の中はパニックを起こす。
婚姻届や結婚、配偶者など単語の意味は分かれど、それらが自分に降りかかることが理解できない。
更に、結衣の親が同意済みということにも驚いた。
しかも相手が昌哉だ。
「うそでしょ…」
訳のわからない感情の昂りに、目が潤む。
「嘘? どうしてそう思うの?」
「だって昌哉君が、私となんてあり得ないもの」
8歳も年下のお子様な結衣よりも、もっと昌哉に相応しい相手がいるはずだ。
あの時に見た、昌哉の隣を歩いていた綺麗な女の人みたいに。
だから恋人を通り越して、結婚だなんてあり得るはずがない。
どこまでも頑なに信じようとしない結衣に、昌哉は真摯な眼差しを向ける。
「約束、憶えてる?」
「や、くそく…」
結衣は鸚鵡返しに答え、少し首を傾けた。
すると昌哉は、先程から握り締めている結衣の左手の薬指の付け根をゆるりと撫でた。
「俺のお嫁さんになるっていう約束」
「そんな、子供の頃の約束なんて」
「無効だとでも?」
「だって、」
「俺は、ずっと待ってたのに。結衣は『まだ』かもしれないけど、俺には『やっと』十六歳なんだよ」
「ま、さや、くん…」
反射的に逃れようとした左手は振りほどけない力で捉えられ、びくともしない。
これ以上聞いてはいけないと思っても、結衣にはどうすることも出来ず、ただ目を見開いて昌哉を見た。
「結衣、俺のお嫁さんになって」
結衣を見つめる昌哉の口許には笑みが浮かび、どこまで優しく愛しいという気持ちで紡がれた。