その4
誰かに背中を撫でられているのを感じて目を覚ました。目に入ってきた前足を見て、夢ではなかったんだとうれしくなる。
視線を少し上に向けると、私を見つめているラディスの眠たげな目があった。
ぼぉっとした様子で私の背中を撫で続けているので、多分まだ半分寝ているのだろう。起こすのもなんなので、そのままおとなしくしていた。
10分くらいして、ドアをノックする音が聞こえた。ラディスは未だ寝ぼけているようで、返事をすることもそちらを向くこともしない。・・・低血圧なのだろうか。
ドアの向こうの人は困らないのだろうか、と思っていると、ドアの開く音がした。返事がないのは承知でノックしたらしい。
ベッドに寄ってきたその人は、昨日私をお風呂に入れてくれた女性の一人だった。口元や所々に皺が刻まれているので、そこそこの年齢なのだろう。
その女性は私がベッドの中に居るのを見て一瞬驚いたようだが、すぐに気を取り直してラディスを起こしに掛かった。おお、プロっぽい。
「ラディス様、起床時間です。お目覚めください」
何かの呪文かと思った。偉い人ってみんなこうやって起こされるのだろうか。いやここだけなのだと願いたい。
こんな呪文みたいな台詞を言っただけで、女性はそれ以降何もしない。こんなんで起きるんだろうか、と本気で思ったが、隣にあった体が動いたことから効果はあったらしい。彼女は魔法使いか。
「・・・おはよう、リズメイド長」
「おはようございます」
起き上がり、女性を見たラディスが挨拶をする。リズという名前らしいその女性も、真顔のまま挨拶を返した。
私はラディスの腕が離れた隙にお座りの体制をとる。む、やっぱりこのふかふかベッドの上では動きづらい。
というかメイドなのか。しかも長なのか。感心しているとラディスが振り返り、私の頭を撫でた。
「ソラも、おはよう」
私も挨拶を返すつもりで、みゃあと鳴く。するとラディスは微笑んで私を抱え上げた。
「名前をお付けになられたのですか」
やはり真顔のリズさんが問うてくる。ラディスは「ああ」とだけ応えて私を床に降ろした。
「左様で。・・・朝食はいかがいたしましょう。こちらで?」
「ああ、ここでいい。ソラの分も持ってきてくれ」
それを聞くと、リズさんはちらりと私を見た。なんでしょう?と私は首をかしげる。
「承知いたしました・・・ですが、そちらは何をお食べに?」
視線をラディスに戻して、リズさんは問うた。表情が少し変わって、困惑気味である。
「なんでも食べるようだ。昨日も晩を貰いにいったし、コック長はわかるだろ」
それを聞くと、リズさんは再度「承知いたしました」と言って部屋を出て行った。その隙にか、ラディスが着替え始める。その姿を視界に入れないように、私は後ろを向いた。
しかし、メイドさんがいるのなら、着替えを手伝ってもらったりしないのだろうか?あれ?それはお姫様?
答えのわからないことをぐるぐる考えていると、ふとあることを思い出した。思い出してしまった。
そう、昨夜の動物的なんたらにしたがって起こした行動である。
これは忘れているべきだった!!なぜ思い出した!!きっかけなくない!?
羞恥心からうずくまっていると、「どうした?」とラディスが私を抱き上げた。いつもの後ろ足まで抱える感じではなく、わきの下に手を入れて持ち上げている感じだ。ゆえに体は伸びて足ぶらんぶらん。
ラディスは既に着替え終わっていたらしく、髪までもが癖ひとつない。早着替えだ、なんて感心してしまったが、実際は私の悩んでいる時間が長かっただけである。
しかしなぜこういう時に限ってこの持ち方なのかね。顔を見ることになるじゃないか。羞恥心で死んじゃうぞこのやろう。
なんて理不尽な考えを起こしてみたりしたが、ラディスは何をされたかなんて微塵もわからないのだ。罪はない。
ここはもう、私が自分で収拾するしかないのだ。よし、こう考えよう。あれは夢だ。夢での行動なんて私の知ったこっちゃない。私の夢だとしても、知ったこっちゃない。
我ながら意味不明な結論に至ったものだ。けれど私の単純思考回路は、それだけで羞恥をなくしていった。ラディスの顔だってもう普通に見れる。
私って簡単なやつだなぁと心の中で笑っていると、ノックの音が聞こえた。今度はラディスが返事をし、それからリズさんが入ってくる。
リズさんの引いてきたカートには、おいしそうではあるけれど少し少なめの、冷めた料理が数点、それから私用に小さめのお皿に盛られた料理が乗っていた。冷めた、と言うのは、スープですら湯気を立てていないのだから一目でわかることである。
偉い人の料理が冷めているって言うのは本当らしいですね。
そういえば、部屋で食べるとは言ったけど、何処で食べる気なんだろう。この部屋のテーブルと言えばベッドの横に備えられている本当に小さいものか、昨日ラディスが仕事をしていた机だけである。
まさか仕事机で食べないよねーなんて思っていたが、そのまさからしい。料理は着々と仕事机に並べられていった。
大雑把なんだなーと思いながら、椅子に座るラディスに付いていき、その隣に座る。リズさんは私の目の前に丁寧にお皿を置いてくれた。
お礼の代わりに一声鳴くと、リズさんが僅かに肩を振るわせた。おや、動物が嫌いなのだろうか。
それなのに私のお風呂まできちんとしてくれたのだ。今度は恐がらせないように、心の中でお礼を言った。
朝食を済ませ、レモンティーで一服すると、ラディスはすぐに仕事を始めた。というか、始めざるをえなかった。見計らったかのように、昨日の青年が用紙の束を持ってきたのである。
その青年だけでなく、次々といろんな人が用紙だったり冊子だったりで仕事を持ってくる。机の上には既に山ができていた。
ラディスは昨日のように私に気を取られることもなく、着々と仕事をこなしていった。その隣で私は暇を弄んでいるわけだが、昼になったら彼にちょっかいをかけようと思う。やっぱり適度な休憩は必要だと思うし。
そんな目論見をしていると、本日何度目かのノックが聞こえた。ラディスは机上に目を向けたまま返事をする。
入ってきたのは、昨日仰々しい椅子の後ろに控えていた初老の男と、白衣を着た数名の男だった。
初老の男は、医者か、博士か、と予想している私を一瞥すると、ラディスの目の前まで歩いていく。
「失礼します、ラディス様。そこの獣を少々調べさせていただきたいのですが」
それを聞いたラディスは顔をあげ、初老の男と、その後ろに居る白衣の男たちを見た。
「・・・すまんキーリス、もう一度、詳しく言ってくれ」
「ですから、そこに居る獣を、危険がないかどうか調べたいのです。見たことのない種類ですし、獣と言う者は気性が激しい。どんな武器を持っているのか認識しておかねば、どうなるかわかりませんぞ」
あ、私の話か。と無意識に背筋を伸ばした。