その11
じぃっと見つめてくるライツに対して、私は混乱して彼を見返した。が、すぐに逸らした。
正直にらめっこは得意ではない。笑ってしまう以前に、見つめていられなくて顔を逸らしてしまうのだ。
逸らしたことで更に焦りを増幅させた。未だライツは動かない。
何だろう。何か気に障ることでもしてしまったんだろうか。やはり昨夜の夕食は行くべきではなかったんだろうか。
考えてみても、彼の目に映った記憶が大してない。思考はすぐに底をついた。
やがて彼は小さく呻くと、私を自分の膝の上に降ろして大きなため息を吐いた。
「なんで僕らじゃだめなのかなぁ」
ライツは言いながら私の耳を軽く引っ張る。その手を軽く叩けば、今度は私の手(前足)をいじりだす。
「なんでお前には笑顔を向けるんだろう。獣がお好きだからかなぁ。でも、今までは僕らがいたら笑っては下さらなかったんだけどなぁ」
ライツがぶつぶつと繰り返しているのは、ラディスのことだろうか。私の知っている人で動物好きは彼しかいない。
ぶつぶつと言う声がはたと止む。ライツはじっと私の手を見ていて、その指は肉球を触っている。
「そうか、これだな?ラディス兄上はこれをお気に召したのだな?」
無きにしも非ず。思わずふっ、と息を漏らしそうになった。わかったということは、きっと彼もこの感触を気に入ったんだろうなぁ。
しかし真顔でじっと見られるのはひどく居心地が悪い。そのくせ見て触っているのは肉球なのだから、端から見たら間抜けな構図だと思う。
「なんだライツ、獣虐待中か?」
そう頭上から声を落としたのはディックだった。ライツは勢い良く顔を上げる。
「ディック兄様、それは冗談にもなりません!」
「はは、悪い悪い。けどお前、端から見たらかなり変な奴だったぞ?」
ライツはぐっ、と詰まると、私の手を下ろさせた。ディックはそんな光景を見て声を出して笑い、ライツの隣に腰掛けた。
「それよりも、ディック兄様は気がお済になられたのですか」
「うー・・・ん、まぁまぁかな」
ライツが心なしか目を鋭くしてディックに問うと、彼は顎に手を当てて先ほどまでいた広場を見た。釣られてそこに目線を向けると、兵士や騎士たちがそれぞれ荒い息を吐きながら寝転んだり座り込んだりしている。
「気が済む前に、相手が尽きちゃってさ。お前は剣より策略だもんなー」
ディックがライツに視線を戻して言うと、「僕は相手しませんからね」とライツがそっぽを向いた。
ざっと数えても4,50人はいたはずだが、ディックはそれをすべてのしてしまったらしい。一対複数で打ち合いをしていたはずなのだが、ディックの身体に汚れや傷は見当たらないし、息も切らしていない。うっすらと汗が浮かんでいる程度だ。
「あーあ、まったく。前やった時と大して変わってないし。いくら戦争はありえないからって、こんな体力なくて城守れんのかねー」
「未だ賊が現れていないのが幸いですね」
彼らの言葉に、倒れている兵士と騎士の何人かが反応する。座り込んでいる人たちは更に顔を俯かせた。さすがにちょっと哀れに思えてくる。
「うぁー、兄上と打ち合いたいぃ~」
ディックは子供のように脚を上下にバタつかせた。
「そういえば暫く見ていませんね、ラディス兄様が剣を振るところ」
「懸命に政務をこなしていらっしゃるから、体力が落ちておられると思うんだ。今なら右手でお相手してくださると思う」
「ラディス兄様を舐めないでください。そんなことしたらまた瞬殺されますよ」
「そんな気は確かにする・・・。一度くらい勝ってみたいなぁ」
ディックは天を仰いだ。ライツは「精々がんばってください」と言葉を投げる。
二人の会話から考えるに、ラディスはディックより強いらしい。あれだけの人数と打ち合っても平気な顔をしているディックよりも強いとなると、何を例えに出せばいいのやら。
政務もきちんとこなしているらしいし、ラディスは文武両道という奴なのだろうか。
私は暗記ができなかったんだよなー、とライツの膝の上で伏せをしながら耽っていると、ディックが一気に姿勢を戻した。ちょうど視界に入っていたものだから、驚いて思いっきり身体を跳ねさせた。
「俺たちって今、休暇をいただいているんだよな」
ディックはライツのほうを真剣な目で見る。彼は「今更なんですか」と息をついた。
「兄上はいつお休みになっておられるんだ?」
「本当に今更ですね」
ライツは今度は大きく息をついて、半眼でディックを見やる。
「僕がそれを考えないと思いましたか?以前使用人に聞いて回りましたが、リズあたりが休養を薦めたところ、政務を始めてまだ長くないからなかなか暇を作れない、と、ご自分で仰ったそうです。」
ディックはそれを聞いて「そうか」と俯いた。ライツもどこともなく視線を投げる。
「もう少し俺たちを頼って欲しいもんだな」
「ラディス兄様はお優しい方だから、僕たちに負担をかけたくないのでしょう」
なんだか空気がずんと重くなった。
でも確かにそうだ。あんな山のような書類、なんでラディス一人で処理してるんだろう。政務ってそういうものだろうか。あれじゃあ休憩の取りようも――――・・・
はっとして空を見上げた。太陽はもう真上にある。
ラディスにお昼休みを取らせよう計画が!と、慌ててライツの膝の上から降りる。走り出そうとして、どう行けばラディスの部屋に着くのか、と周囲を見回した。近道などわかるはずもなく、仕方なく来た道を戻ることにした。
後方から自分を呼ぶ二人の声が聞こえたけれど、私が居てもいなくても二人の会話は成り立っていたのでよしとしよう。
部屋の前に着いて、私はうなだれていた。
扉が開けられない。身長も足りなければ、ノックする手もない。
試しに、と前足で扉を叩いてみたが、ぱふ、と当たるだけで音が全く鳴らない。
これが本物の猫ならばどうするんだっけ?と考え、思いつきはした。が、こんな立派な扉を引っかく勇気は私にはない。
だって何やらうっすらと光沢があるじゃないか。傷ひとつないじゃないか。そんなところに傷を付けろと・・・?
仕方がないのでひたすら鳴くことにした。猫の鳴き声って小さいなぁ。としみじみ思いながら、外開きのこの扉が開いたときにぶつからない位置でお座りして、「開けてくださいな~」と鳴くこと三回。ゆっくりと扉が開いて、ラディスが顔を出した。
「ああ、聞き間違いじゃなかったか」
数回あたりを見回して私を見つけると、彼は微笑んで私を抱き上げた。
たった三回で気が付くとは露ほども思っていなかったので、正直今かなり驚いている。水が欲しくなるほど鳴く覚悟をしていたのだが、それが無駄になってしまった。
けれど反面、嬉しくもある。彼の中では私が色濃く存在しているのだと思って、犬のように尻尾を振って頭を摺り寄せた。
ラディスは私の背中を撫でながら椅子に座る。ペンを取る様子はないので、しばらくこうしていれば少しは休憩になるのかな、と頭を摺り寄せ続けた。