その10
目を覚ますと、昨日と同じような状況だった。眠たげな目をしたラディスが私の体を撫でている。
昨夜は魘されなかったらしい。よかったよかった。
その後リズさんが来て、朝食を食べて、仕事を始めよう、とした時だった。
「ラディス様、陛下がお話があるそうです。寝室へいらっしゃるように、とのことです」
まるで図ったかのようにキーリスがやってきて、そう告げた。
ラディスは「わかった」と返事をすると、持っていたペンを置いた。そして足元にいた私を抱え上げると、きつく抱きしめた。
≪ということがあったんですけど、どういうことですかね≫
現在私はワイバーン達のところへ来ていた。ラディスが陛下―――まぁつまりラディスのお父さんの所へ行っている間、私は暇になるだろうと散歩の許可をもらった。
そうは言われてもあまりうろつくと迷子になりそうだし、知っているところで暇が潰せるのは話し相手のいるここぐらいかな、と。
ワイバーンであるグランツとガレリオは、私の話をふむふむと聞いている。
≪ラディス様は陛下に会いたくはないのかもしれんなぁ≫
グランツが言った。私は「え?」とグランツの方を向く。
≪お父さんですよね?なんで会いたくないんですか?≫
≪親子にもいろいろあってね~≫
ガレリオは呟くように言うと、少し目を細めた。グランツがその後を継ぐ。
≪ラディス様は、陛下に好かれていないんだよ≫
≪え?≫
私は更に混乱した。親とは、無条件で子供を愛するものだと思っていたからだ。
≪ラディス様はね、ディック様とライツ様とは母親が違うんだ。二人は正室の、つまり王妃の子。ラディス様は側室の子なんだよ≫
ガレリオはそう言って目を閉じた。
≪陛下って頭固くてさー、今時ほとんどが気にしない「血筋」ってのを気にしてるんだよ。国民も僕らも、ちゃんと統治してくれるなら血なんて関係ないのにさ≫
≪陛下は今床に伏していてな。とても政治を行えるような状態ではないんだよ。だから王位を子に渡そうとはしているらしいんだが、長男のラディス様ではなく、次男のディック様に渡そうとしているらしい≫
≪でもディック様もライツ様も反対するんだよね。正直僕もディック様に治められるのはちょっと不安≫
ガレリオは小さく笑うと、グランツも釣られたように小さく笑う。
≪だが、それが更に陛下の気を害したようでな。未だ王位は継がれず、ラディス様も嫌われる、と言うよりも、存在を否定される一方だ≫
そこでようやく、朝の行動の理由がわかった気がした。
ラディスは不安で、恐ろしくて、何かに縋りたかったのだ。
≪・・・もしかして、ラディス様ってディック様とライツ様のことも苦手なんですか?≫
昨日の夕食のことを思い出し、聞いてみた。ラディスは昨日も同じような行動をとっている。
グランツとガレリオは、どこか難しい顔をした。
≪そうさなぁ・・・。彼ら自身のことは好いていると思うよ。しかし、彼らの存在は少し不安になるのやもしれんなぁ≫
≪うん、僕もそう思う≫
彼らの言い方に、私は疑問符を浮かべた。いまいち良くわからない。
≪ええとね、ラディス様は陛下から「お前は王位を受け取る資格はない」みたいなことを言われているでしょ?子供のころからそう言われているラディス様はそれで納得しているんだけど、二人はちがうじゃない。それが自分のせいなんじゃないかーとか、彼らが反対するおかげで着々と陛下に嫌われるーとか、思ってるんじゃないかな≫
≪しかし、ラディス様はお二人の性格自体は好いているようだ。普通の兄弟であったなら、なんのわだかまりもなかったのだろうがなぁ≫
最後にグランツはしみじみと言った。
なんだかややこしいし、少し悲しくなった。
「普通の兄弟であったなら」。ディックとライツはそう接しているように見えたが、ラディスは違ったのだろうか。
二人は明らかにラディスを慕っている。ラディス自身もきっとわかっている。
なにを不安に思っているのだろう・・・。
≪そういえば、側室の方って・・・≫
グランツとガレリオに尋ねてみる。
≪亡くなられたよ。ラディス様が五歳の頃かなぁ≫
≪ついでに言うと、王妃様も亡くなってるんだよ。ライツ様が生まれてすぐ≫
≪そうですか・・・≫
私はそういうと、「今日は帰ります」と踵を返した。その背中に「またおいで」と声を掛けられたので、頭だけ振り返って礼をする。
なんだか暗い話を聞いてしまったなぁ・・・。
動物の姿って言うのはこういうときに便利かもしれない。表情はわかりにくい。その代わりに尻尾がそれを表していそうだけど、この世界の人にそういうことはわからないだろう。
中庭に近付いた頃、渡り廊下の向こうにディックを見つけた。何やら肩を怒らせながら早足で歩いている。その表情も怒りに満ちているようだった。
その後ろを慌てたような兵士が一人着いて行っている。あれ、ここにきて初めて兵士を見た。この城防衛は大丈夫なのだろうか。
兵士は腰に携えた剣とは別に、手に木刀を持っていた。ディックもなかなかに軽装である。
気になった私は彼らに着いて行く事にした。
着いた先には大勢の兵士がいた。中には兵士がつけている鎧よりも立派な装備をしている人もいる。あれが騎士というものだろうか。
彼らは一様に木刀を交えていたが、一人がディックを見つけ膝を付くと、周りもそれに気が付いて次々と膝を付く。
「ここにいるやつらで全員か?」
ディックは後ろに着いてきていた兵士に問う。
「はい、休憩中の兵士、騎士は全員おります」
兵士は恐々と答えると、木刀を差し出した。ディックはそれを受け取ると、膝を付いている彼らに向かって大声で叫んだ。
「全員、俺の憂さ晴らしに付き合え!!いいな!!」
バンッ、と木刀の先を地面に叩きつけるディック。私はその声に驚いて身を竦ませた。
兵士たちは驚くでもなく、むしろ心なしか喜んでいるように見える。何だろう、全員Mとかだったら嫌だな。
「最初!お前とお前、それからお前!」
ディックが三人の兵士を指して言うと、彼らは「はい!」と返事をして木刀を構えた。ディックも構えると、兵士の一人が仕掛ける。ディックは避けるでもなくそれを木刀で受けると、横に流して相手のバランスを崩した。
兵士の後ろから迫っていた残り二人の兵士が同時に攻めてくる。それをディックは、方やかわし、方や木刀で受けて応戦した。
そんな攻撃を繰り返すうち、兵士の方が立ち上がらなくなった。荒く息を吐きながら地面に突っ伏している。
「次!そこに固まってるお前ら四人!」
指された兵士・騎士を混ぜた四人は「応っ!」と応えると特攻で仕掛けてきた。ディックはそれもかわし、受ける。
木刀同士がぶつかる音や、木刀が体に当たる音を聞きながら、私は呆然とその様子を見つめていた。
昨日書類を顔面キャッチした、机から書類を落とした人とは思えないほどキビキビと動いている。一対多数だというのに、未だ攻撃を受けたような様子はなかった。
それらを見る事に集中していた私は、後ろに人がいることに気が付かなかった。突然後ろから抱き上げられ、驚いて尻尾をぴんと伸ばす。
くるんと体を反転されて見えたのは、ライツの顔だった。
「お前、ラディス兄様の獣だよな。名前は確か・・・ソラだ」
そう言って、彼は私をじっと見つめてくる。私は驚きが尾を引いているのか、緊張しているのか、尻尾を伸ばしたままだった。