第九十六章 照屋真栄の死
八月八日。
比嘉から電話が入った。
「鷺宮さん。照屋真栄さんが——亡くなりました。昨日の夕方、ご自宅で。ご家族に看取られて」
直人は目を閉じた。
糸満の赤瓦の家。ブーゲンビリアとガジュマル。仏壇の横の古い位牌。口伝を毛筆で書き下ろしてくれた八十四歳の手。
八月十日。糸満市の教会で告別式が行われた。直人は最後列に座って参列した。
照屋真栄の長男が弔辞を読んだ。
「父は教師として四十年間、子供たちに歴史を教えました。沖縄戦の話を毎年六月二十三日にしていました。父自身は戦後生まれですが、叔父を摩文仁で亡くしており、その痛みを生涯語り続けました」
長男の声が震えた。
「父は最後の日々、よく言っていました。『約束が知られた。それだけで十分だ』と。何の約束かは家族にも詳しく話しませんでしたが、とても嬉しそうでした」
式の後、長男が直人に近づいてきた。
「父から預かったものがあります」
小さな包み。開けると——黒い石の勾玉。直径三センチほど。紐が通してある。
「首里城の近くで拾ったもので、ただの石だと思いますが、父は大切にしていました。『鷺宮さんに渡してくれ。暗号に足りないものが一つあると言っていた。足りないものはこれかもしれないし、これじゃないかもしれない。どっちでもいい。大事なのは渡すことだ』と」
大事なのは渡すこと。
直人は勾玉を手に取った。黒い石。沖縄の洞窟で見つけた玄武岩の勾玉と同じ石質かもしれない。だがそれは重要ではなかった。
百八番目の要素は——渡すことだ。声を渡す。物を渡す。空白を渡す。次の世代に。まだ見ぬ誰かに。
渡す行為そのものが、暗号の最後の要素であり、暗号の最初の行為でもある。
直人は勾玉を首にかけた。黒い石の重みが、胸の上に落ち着いた。
糸満の空に入道雲が湧いていた。海の方角から潮風が吹き、教会の鐘がかすかに鳴っている。




