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第九十二章 判決  

五月二十日。判決公判。

 直人は朝七時に東京地裁に着いた。傍聴席の抽選は八時半からだが、すでに百人以上が並んでいた。初公判のときよりも多い。

 裁判の進行中、弁護側は三つの証人を呼んだ。直人自身が証人として証言台に立ったのは四月の第三回公判だった。USBメモリのデータがどのように学術調査に貢献したかを、修復士の立場から証言した。検察の反対尋問は短かった。秘密漏洩の事実関係は争点ではなく、直人の証言は情状に関するものだったから。

 判決公判。傍聴席は満席。立ち見はできないため、抽選に外れた人々が廊下で結果を待っていた。

 裁判長が入廷し、着席を促した。

「主文。被告人を懲役一年六月に処する。ただし、本判決確定の日から三年間、その刑の執行を猶予する」

 執行猶予。

 傍聴席から小さなざわめきが起きた。直人の隣で、真琴が目を閉じた。早川はノートPCを膝の上に置いていたが、判決の瞬間、画面から目を離して被告人席を見つめた。

 裁判長が判決理由を読み上げた。長い。二十分以上にわたる判決理由の中で、裁判長は慎重に言葉を選びながら、二つの価値の衝突を描いた。

 一つは、国家公務員の守秘義務。民主国家の行政が機能するためには、公務員が業務上の秘密を守ることが不可欠だ。この原則は揺るがせにできない。

 もう一つは、国民の知る権利。民主国家の主権者である国民が、自国の歴史と文化に関する情報にアクセスする権利。この権利もまた、民主主義の根幹を成す。

「被告人の行為は国家公務員法に違反するものであり、有罪判決は免れない。しかし、被告人が漏洩した情報の性質——すなわち、日本の歴史と文化に関わる重大な発見に直結する情報であること、および被告人の行為が結果として学術研究の進展と公益に資したことを、量刑において考慮した」

 そして——異例の付言。

「本判決をもって本件は司法上の結論を得るが、被告人が提起した問題——すなわち、国家の秘密と国民の知る権利の間の緊張関係は、民主主義社会において不可避的に存在するものであり、本判決が、この問題に関する今後の議論の始まりとなることを期待する」

 始まり。

 裁判長は「結論」ではなく「始まり」と言った。判決は終結ではなく、問いの提示だと。

 真壁は判決を聞き、一度だけ目を閉じた。それから開いた。直人は被告人席の背中を見つめた。灰色のスーツ。伸びた背筋。あの夜バーのカウンターでUSBメモリを差し出した男が、法廷で国家と対峙し——そして、判決という形で国家と和解した。有罪だが、自由。罪は認められたが、意志も認められた。

 閉廷後、真壁は弁護士と並んで法廷を出た。報道陣が殺到した。真壁は一切コメントしなかった。弁護士の山崎が簡潔な声明を読み上げただけだ。

 直人は廊下で真壁を待った。報道陣の壁の向こうから、真壁が歩いてきた。

 二人の目が合った。真壁が小さく頷いた。直人も頷いた。

 それだけだった。言葉は要らなかった。百五十年前の設計者が空白に委ねたように——この瞬間もまた、言葉にしないほうが正しかった。

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