第八十七章 論文掲載
三月一日。
修復室のポストに、学術誌が届いていた。
『保存科学』第六十七巻第三号。厚さ一センチほどの冊子。表紙は白地にえんじ色の明朝体。地味な装丁だ。学術誌とは本来こういうものだ——派手さはなく、中身で勝負する。
直人は修復台の上に冊子を置き、ページを繰った。目次。巻頭論文。
「楮・雁皮二重漉き和紙における微細繊維操作の分析——明治初期の情報秘匿技術に関する修復学的考察」。著者:鷺宮直人。
巻頭論文。査読誌の巻頭に掲載されるのは、その号で最も重要と判断された論文だ。編集委員会が直人の論文をその位置に置いたことは——学術的な評価の表明だった。
直人は自分の論文を読み返した。投稿から半年。修正を重ね、データを追加し、文章を研ぎ澄ました。修復学の技術報告として書かれている。感情的な表現は一切ない。図版、データ表、統計検定の結果、考察。科学の言葉だけで構成された、地味で堅実な二十四ページ。
だが結論の最後の一段落が——学術界に衝撃を与えることになった。
『本分析の結果は、明治初期の日本において、和紙の製造技術を応用した高度な情報秘匿システムが構築されていた可能性を示唆する。このシステムの全容解明には、関連する文化財の原本調査が不可欠であるが、現時点では原本の一部が公的機関の管理下にあり、独立した学術調査が困難な状況にある。学術的透明性の確保と、文化財への自由なアクセスの重要性を、改めて強調したい。』
「原本の一部が公的機関の管理下にあり、独立した学術調査が困難」。
この一文は、査読の段階で議論を呼んだ。査読者Cが「政策批判は学術論文の範囲を超える」と指摘した。だが査読者Aが「事実の記述であり、科学者としての正当な問題提起だ」と反論し、編集委員会は掲載を決定した。査読者がこの一文を通したこと自体が、学術界の意志を示していた。
掲載から一週間で、論文は学術コミュニティを超えて広がった。
三月七日。日本歴史学会、日本考古学協会、文化財保存修復学会の三学会が、異例の連名声明を発表した。「文化財の学術調査に対する公的アクセスの保障を求める声明」。声明は直人の論文に直接言及し、「原本への自由なアクセスなくして、歴史の検証は不可能である」と訴えた。
三月十日。国会の文教科学委員会で質問が行われた。野党の議員が文部科学大臣に問うた。
「政府が管理している明治期の文化財について、三学会の声明が出されました。独立した学術調査を許可する意向はありますか」
大臣の答弁。
「文化財の保存と学術研究は、いずれも重要な公益であると認識しております。適切な手続きに基づき、学術調査の申請があれば検討してまいります」
曖昧な答弁だった。「検討する」は日本の官僚言語では「やるともやらないとも言わない」を意味する。だが——「検討しない」とは言わなかった。門戸は完全には閉じられていない。
三月十二日。早川が修復室に来た。
「先輩。論文のダウンロード数、出ました。公開一週間で四千二百回。保存科学誌の歴代最多っす」
「四千二百——」
「文化財科学の論文としては異常な数字です。通常は年間百回がいいところ。あの分野の研究者って日本全国で数百人しかいないんすけど、今回は研究者以外が大量にダウンロードしてる。歴史学者、法学者、ジャーナリスト、一般市民——」
直人は冊子を手に取り、表紙を見つめた。えんじ色の明朝体。
修復士が書いた地味な論文が、国家の壁に小さな穴を開けた。その穴から——光が差し込んでいる。




