第八十六章 三つの空白
二月八日。
直人は「未完の神器」のサイトに、真壁のレポート(個人情報除外版)と、拘置所で書かれた文章を追加した。
サイトには今、三つの空白が並んでいる。
一つ目。更新派の空白。洞窟壁面の空白の第五条。拓本の写真。何も刻まれていない石灰岩の表面。
二つ目。維持派の空白。真壁から渡された青銅板の写真。何も刻まれていない金属の表面。
三つ目。未央印の空白。首里城から出土した印章の底面の写真。何も彫られていない平滑な青銅。
三つの空白が、ウェブページの上に並んでいる。
直人はサイトに添えた文章を書いた。
『三つの空白があります。
一つ目は、百五十年前に設計者が石に残した空白。「後世の民が書くべし」。
二つ目は、百五十年間、維持派が守り続けた空白。「空白を守ることが任務」。
三つ目は、琉球の地に眠っていた空白。「約束の印」。
三つとも、空白です。何も書かれていません。何も刻まれていません。
この空白に何を書くかは、私が決めることではありません。あなたが決めることです。この国に生きるすべての人が、自分自身の言葉で、自分自身の空白を書く。それが——この暗号の最終的な解答だと、私は考えます。
空白は一つではない。空白は、この国に生きる人の数だけある。一億二千万の空白。それぞれが、それぞれの言葉で書かれるべきもの。
私は修復士です。空白を書く能力はありません。私にできるのは、空白が空白のまま、未来に届く形に整えることだけです。
この三つの空白を、未来に届けます。あなたの空白は、あなた自身の中にあります。』
サイトの更新後、コメント欄に——予想もしなかった反応が寄せられた。
人々が、自分自身の「第五条」を書き始めたのだ。
『第五条 国家は家族の延長ではない。家族を超えた連帯が、国家の基盤である。——東京、会社員、三十二歳』
『第五条 沖縄の痛みを知ることが、日本の第一歩である。——那覇、教師、四十五歳』
『第五条 未完でいい。完璧な国なんていらない。みんなで直していけばいい。——札幌、高校生、十七歳』
『第五条 空白のままでいい。空白を守ることも、愛だと思う。——京都、僧侶、六十八歳』
直人はコメントを読みながら、目頭が熱くなった。
一億二千万の空白。一人一人が、自分の言葉で書いている。正しいかどうかは分からない。矛盾もある。対立もある。だが——すべてが、声だ。百五十年間の沈黙を破って、人々が声を上げ始めている。
設計者が夢見たのは——これかもしれない。




