第八十五章 祖父たちの邂逅
二月五日。
弁護士を通じて、真壁が拘置所で書いた文章が直人のもとに届いた。
A4用紙十枚。手書き。ボールペンの細い字。
冒頭。
『空白の第五条について——維持派の立場から
維持派は百五十年間、空白を守ってきた。空白を守るとは、空白に何も書かないことではない。空白が空白であり続けるための環境を整えることだ。
空白は脆い。放っておけば、誰かが書き込む。政治家が書き込む。官僚が書き込む。学者が書き込む。善意であれ悪意であれ、空白は埋められようとする。人間は空白を恐れるからだ。
維持派の任務は、その恐怖から空白を守ることだった。空白が空白のまま、次の世代に渡されるように。何も書かずに渡す。その「何も書かない」という行為に、百五十年間の意志が詰まっている。
だが——私は今、この文章を書いている。空白について書くことは、空白を埋めることではない。空白を照らすことだ。鏡が自分自身を照らすように。空白について語ることで、空白の輪郭が見えるようになる。輪郭が見えれば——空白の価値が、より明確になる。
以下に、維持派が百五十年間守ってきた空白の意味を、私の言葉で記す。これは第五条の「内容」ではない。第五条の「縁」だ。空白の周囲を描くことで、空白そのものを浮かび上がらせる試みである。』
直人は十枚の文章を読み進めた。
真壁は維持派の歴史を、祖父の真壁鉄太郎から自分自身までの三世代にわたって記述していた。
鉄太郎は川村啓一郎と敵対していたのではなく、協力していた。二人は表向き維持派と更新派の対立を演じながら、水面下では暗号の保存という共通の目的のために動いていた。
鉄太郎のネクタイに織り込まれた「未央」の文字。あれは維持派の背信ではなく、維持派と更新派の和解の証だった。鉄太郎は未央印の存在を知り、その意味——空白の契約——に共感していた。
そして九条清隆。真琴の祖父。清隆もまた、鉄太郎と同じ立場にいた。維持派でありながら、更新派の思想に理解を示していた。清隆と鉄太郎は——親友だったのだ。
真壁の文章の中に、直人の知らなかった情報があった。
『祖父・鉄太郎と九条清隆は、月に一度、帝国ホテルのバーで会っていた。二人は表向き宮内庁の同僚としての付き合いだったが、実際には暗号の管理について情報を交換し、方針を協議していた。二人の間には、暗号に関する密約があった。「空白が自然に開かれる日まで、二人で守る。どちらかが先に死んだら、もう一方が引き継ぐ。そして適切な後継者が現れるまで、待つ」。
祖父が先に亡くなった。九条清隆が一人で守り続けた。そして清隆も亡くなる前に、後継者として——自分の孫、九条真琴の名前を口にした。
真琴さんが巻子と出会ったのは偶然ではない。清隆が仕組んだ必然だった。』
直人は文章を置き、天井を見つめた。
二人の祖父。真壁鉄太郎と九条清隆。維持派の同志であり親友であった二人が、帝国ホテルのバーで暗号の未来を語り合っていた。
そしてその孫たち——真壁透と九条真琴——が、百年後に同じ暗号を巡って出会った。
血筋の物語。世代を超えた対話。暗号は、物証だけでなく、人間の関係性の中にも生きていた。




