愛こそ全て
ご覧になる前にあらすじをご確認ください。本作は価値観を強く揺さぶる内容を含みます。
「魔族と人間が、真の意味で分かり合うことは不可能です。何故なら──彼らには『愛』という概念が欠落しているからです」
神父ヨハンの厳かな声が、聖堂に響き渡る。
詰めかけた信徒たちは、一様に深く頷き、その教えを噛み締めていた。
「人が人たる所以。それこそが愛なのです」
その様子を、二階に設けられた貴族専用の桟敷席から見下ろす男がいた。
この地を治める領主、マクシミリアン辺境伯だ。
彼はふと、自らの横に視線を走らせる。
その椅子は、空席のままだった。
息子のセドリックには、今日こそは必ず顔を出すようにと厳命しておいたのだが。
『教会の説教なんて、馬鹿らしい』
そう吐き捨てて出ていった息子の顔が脳裏をよぎる。
十六歳を迎えた彼は、近頃何かにつけて反発するようになった。
親の心子知らずとは言うが、領主の嫡男としての自覚があまりに欠けている。マクシミリアンは小さく溜息をついた。
魔王の死から、既に半世紀が過ぎ去った。
だが、それは人類の完全勝利を意味しない。人間には、強靭な魔族を根絶やしにするほどの力は残されていなかったのだ。
かつての勇者たちも老いて世を去り、最大戦力を失った人類は、不本意ながらも魔族との『共存』という道を選ばざるを得なかった。
──
説教が終わり、信徒たちが退場した後。
ヨハン神父が、貴賓室へと挨拶に訪れた。
「辺境伯。公務でお忙しい中、このような場所まで足をお運びいただき、恐縮です」
「いや。今日のテーマである『愛』について、改めて深く学ばせてもらったよ」
そこへ、一人の青年が恭しく茶を運んでくる。
色素の薄い髪を整え、知的な眼鏡をかけた青年だ。
「ユリウス君か。……また背が伸びたんじゃないか? すっかり立派になって」
ヨハンの息子、ユリウス。
セドリックと同い年でありながら、この落ち着きはどうだ。父親の仕事を甲斐甲斐しく手伝うその姿は、どこぞの放蕩息子とは雲泥の差である。
「滅相もありません。私は教会しか知らない世間知らずですので……むしろ、セドリック様にはいつも広い世界のことを教えていただいております」
控えめに微笑むユリウス。
どうやら、我が息子セドリックと、この神父の息子ユリウスは、身分を超えた友人として良好な関係を築いているらしい。
それだけが、今のマクシミリアン辺境伯にとって数少ない救いだった。
辺境であるこの地は、魔族領と国境を接する最前線に位置している。
近年では交易のために訪れる魔族の姿を、城下の街で見かけることも珍しくなくなった。
条約により、表立った攻撃はもちろん厳禁だ。
だが、制度上の和平が成立したからといって、人の心から恐怖や不安が拭い去れるわけではない。領民の多くは、未だ魔族に対して複雑な感情を抱えているのが実情だ。
「……実は明日、魔族領との一年ぶりの定例会合がありましてな。悪いが、神の祝福をお願いできないだろうか」
「ええ、ええ。もちろんですとも」
マクシミリアンの申し出に、ヨハン神父は深く頷いた。
彼が目配せをすると、ユリウスがすぐさま動き出し、見習い僧侶たちへテキパキと指示を飛ばし、すぐに儀式の準備が整う。
祭壇を見つめながら、マクシミリアンは明日の対話相手を思い浮かべる。
隣接する魔族領を統治する、魔界貴族マハラト。何を考えているのかわからぬ、油断のならない相手だ。
ヨハン神父の朗々たる祈祷が、静寂な聖堂に染み渡っていく。
淡い光に包まれ、澱んでいた精神が浄化されていくのを、マクシミリアンは確かに感じていた。
「……ありがとう。おかげで心が軽くなったよ」
儀式を終え、マクシミリアンは深く息を吐き出した。
そう、我々人間の事を神は愛してくださっている。
かつて世界を絶望で覆ったあの大魔王でさえ、神の加護を受けた勇者の一撃が討ち果たしたのだ、愛のない種族など恐れる必要はない──。
──
翌日の会談室には、重苦しい沈黙が張り詰めていた。
部屋の中央には、猿轡を噛ませられ、後ろ手に縛られた一人の魔族──マハラトの息子が転がされている。
「……違法奴隷の売買、並びに贋金の鋳造。これが我が愚息の犯した罪だ」
魔界貴族マハラトは、感情の読めない爬虫類のような瞳で、淡々と事実を告げた。
そして、その傍らに置かれた帳簿を顎でしゃくる。
「そして、人間側の共犯者として名を連ねているのが……辺境伯、貴殿の息子セドリック。並びにそこにいる神父の息子、ユリウスだ」
マクシミリアンの背筋が凍りつく。帳簿には確かに、見慣れた息子の筆跡で署名が残されていた。
言い逃れはできない。これは、条約違反どころか国際的な大罪だ。王都も動くだろう。
「貴殿らの法に照らせば、死罪であろう。見届けていただきたい」
マハラトは腰の剣に手をかけ、呆気なく息子の首を刎ねた。
「……さて、辺境伯、神父殿、貴殿らも息子を呼べ。法に照らし、等しく処断せねばならん」
あまりに正論。あまりに潔癖な論理。
だが。
「……マハラト殿。一つ、訂正させていただきたい」
急に呼びつけられ、それまで沈黙を守っていたヨハン神父が、ふらりと前に進み出た。
その手には、いつの間にか抜き放たれた短剣が握られている。
「我々人間には、貴公らと違って『愛』があるのです」
「なっ──!?」
ヨハンの短剣は、マハラトの心臓を貫いた。
「き、さまら……正気か……!?」
深手を負い、膝をついたマハラトが愕然と目を見開く。
「ええ。これが親の愛というものです」
マクシミリアンもまた、静かに剣を抜き、動けなくなったマハラトの首を落とした。
「魔族には、愛が理解できないんだろう」
マハラトの告発は誰の耳にも届くことなく、永遠の闇へと葬られた。
愚かな息子たちの罪も、これですべて無かったことになる。
──あぁ、やはり人間は、神に愛されているのだ。
『愛こそ全て -完-』




