8初代王の趣向
口中の毒はすでに吐いたが、少し零れてしまったのか先ほどから頭痛がやまない。あるいは用意の計画を外された焦りが、代案をせがんで頭を苛むからだろうか。霊廟に向かう馬車が揺れる度に、こめかみが脈打つようだった。
王城に入ったのは朝早く、予期せぬ候補者の出現で会議は遅れ、着替えなど準備を整えて出発したのは正午を回ったころだった。霊廟は王都からほど近いところに位置しており、そこから間を空けずの到着だった。
霊廟にはおれとラナはもちろん、モスコン家を筆頭に有力貴族の部下が集まり、モスコン家などと比べては相対的に力のない貴族たちには、直接自身の足を運ぶ者もいた。
石壁は少し風化しているが、今でも高貴な白が映える。不死鳥を象った複雑な浮彫が壁面の要所要所に施され、その上に乗る重そうな丸屋根は、張り出した柱によって揺るぎなく支えられている。建物の後ろは山に飲み込まれ、外観から奥行きは想像できない。
案外小さいんだな。後ろに高い山がそびえているせいもあるだろうが、作りとしてかなり小規模に見えた。
「ゲンドール王は贅沢を好まない人物だったと聞きます」
ラナが小柄な体で霊廟を見上げながら言った。贅沢を好まないといっても、庶民からすればまったく次元の違う話だ。おれたちは墓標を建てるかどうかを考える。
出迎えた神官の案内に応じて、一行は霊廟へと足を踏み入れる。外扉の奥にはさらに内扉があり、二枚の扉を開け放てば外の光が一筋に注がれた。中は礼拝堂、隅の階段から地下に降りた先に、ゲンドール王の棺が安置されている。薄暗くこぢんまりとした部屋に灯りを入れると、その中央に石棺がぽつねんと安置されていた。
王の存在など慮外のおれにさえ威光を感じさせるほどの、ある種異様な雰囲気に包まれている。石棺の側面や、重厚な上蓋には王の事績を示すレリーフが施され、遺烈を輝かしく伝える。ラナは感極まったかのように肩を震わせた。
神官に促されて、一行はゲンドール王の棺に向かって礼を示した。神官が石棺を避けて部屋の奥へと歩く。そこでようやく、おれたちの目的である洞窟の入り口、堅牢そうな両扉に意識が向いた。
「あの奥か」
「そのようですね」
黒々とした鉄製の扉にはいくつもの鋲が打ってあり、厳重に錠が掛けられている。外から見れば建物は山に食い込んでいたので、あの扉の奥はすぐに洞窟につながっているはずだ。
神官が鍵を持って扉に近づくと、貴族の一人が声を上げる。
「ここは大丈夫なのか。開ければ毒霧が出てくるのではないか?」
「ゲンドール王が守ってくださいます。これまで、この部屋にいた者が死んだことはありません」
貴族が胸をなでおろす一方で、おれの心臓はいよいよ早鐘を打っていた。
やはり、ラナを伴わなければならないことがあまりに足かせだ。扉を開けても死なないなら、洞窟に一歩足を踏み入れる程度でも問題ないはずだ。一人で入り扉が閉まった後、そのまま奥には行かずに、いまも体に沿わせて携帯している偽物の剣とともに帰るつもりだった。どうせ本物の剣を見た者は死んでいるのだから。
しかし、不死鳥の力を本物だと見込んでいるラナの前では、そのような小狡い策をとることができない。
「お二方が入られた後は扉を閉じます。お戻りになったら、叩いてお知らせください」
それからゲンドール王しか知らない内部構造について、伝聞調の説明を受ける。体裁だけは取り繕って、平然として神官から松明を受け取った。
衆目が集まる中、神官によって扉がゆっくりと開かれる。小さなどよめきが走った。手入れが行き届いているのか、不快な音をたてずに開け放たれると、ぽっかりとあいた暗い穴と対面した。肉体どころか魂さえも吸い込まれそうな闇だ。
「それでは行きましょうか。リンド様」
はっとして隣を見ると、期待を込めた目がこちらを向いていた。緊張に体をこわばらせることもなく、微笑すら浮かべている。全幅の信頼を受けるほど、おれはこの少女に何か与えるものがあったのだろうか。
松明を掲げて洞窟を照らした。自然のままの岩壁が光を反射して複雑に影を作る。少しずつ下っているのがわかるが、洞窟は想像以上に深く続いており、松明の灯りは全く届かない。心の底から不安を掻き立てられるような暗闇だ。
おれは洞窟の中に踏み出した。ラナが遅れずについてくる。ひんやりとした空気に包まれて、身震いしそうになった。
「早く締めてくれ」
すぐさま誰かから声が上がると、神官がまたゆっくりと扉を閉じていく。細くなっていく光は、救いのない未来を暗示しているかのようだ。両扉がぴたりと合わさる低音が、洞窟内を駆けていく。あとに残るのは松明のはぜる音と呼吸音だけ。
おれは数歩進んだきり、その場に立ち尽くした。これ以上は前に進めない。知らずこぶしを握り締めていた。こぶしと言わず、肩にも足にも力が入り、全身が硬直して一歩も動けない気がした。
このまま虚勢を張り付けたまま死ぬのだろうか。鼻先をかすめる臭いは死臭かもしれない。進めば二人分の臭いが、ここに華を添えることになる。
いよいよ正体を偽った罪を明かさなければならない。もはやおれの命だけではなく、ラナの命までもが試されている。虚言を信じた者の自業自得だとして彼女を道連れにすれば、なけなしの良心がおれを苛むだろう。
汗を滲ませながら、何度も息を吸い、吐いて、それでも躊躇する心臓を服の上からかきむしった。
「なあ、ラナ」
松明の灯りがうざったい。誰にも知られたくない秘密を話すのに、おれの顔もラナの顔も明るく照らしだされている。この暗闇の中では、ことさらにおれたちの存在は強調される。
「おれは実は」
懺悔を舞台の上でするなど、恥辱も恥辱だが、言わなくてはならない。おれは口を半ば開いたが、しかし、声を出す直前にラナが遮った。
「それほどに私を心配してくださって、光栄にございます。ですが、私も覚悟は決まっているのです。もしリンド様がうまくお力を使えずに私が死んだとしても、悔いはありません」
真っすぐな目がこちらを射抜く。怯みそうになるのをこらえて応える。
「……いや、そうじゃないんだ」
「それでもご心配でしたら、僭越ですが、私を背負ってくださいませんか?」
思わぬ頼みに目が点になった。背負う? 背中に乗せるってことか。……なぜ?
ラナはすでに背負われるつもりで服を整えている。大会議室で来ていたドレスは着替えて旅装を整えているから背負うことに問題はないものの。
「死の洞窟だぞ。それに何の意味があるんだ?」
「ご存じないですか? 穢れた空気は足元に溜まるものです」
早くもおれの後ろに回り、肩に手をかけてよじ登ろうとする。
「私の身長ではその空気を吸ってしまうかもしれないので」
前のめりになりそうなのを踏みとどまり、とっさにその細い太ももを支えた。柔らかな感触が背中や手に伝わり、洞窟の不快な臭いの間隙を縫ってラナの甘い匂いが鼻をかすめる。心臓が跳ねるのが不愉快だったが、姿勢が安定し首に手を回されたときには、どこか安心感が胸の奥をせりあがってくるようだった。
ところで、おれも思い当たる節はあった。ちょうど去年、井戸に落ちて死んだ人間を引き上げる際に、作業に加わった村の男が死んだのだ。井戸の底に降り立った途端声も上げずに倒れて、そのまま命を落とした。そこで作業は断念して、二人の遺体はそのままに井戸を埋めたのだが、あの状況はまさにラナの主張と同じだ。
なら、屈まなければ、下に溜まっているであろう毒息を吸わなければ、何とかなるのだろうか。竜の毒が肌からも吸収されるようなものならそれでしまいだが、今は素肌を覆っているため致命的にならない可能性だってある。
「本当に保障できないぞ」
「問題ありません」
即答されれば、否定する言葉もそれ以上は思い浮かばない。むしろ、おれの方に覚悟ができていなかった。
屈まなければ死なない可能性があるかもしれないが、それだけで死を避けられるのであればこれまでに出てきた者もいたはずだ。それがいないとなれば、どうしようもなく毒を吸い込まざるを得ない状況が、この暗闇の奥に待ち受けているのではないか。
なおも躊躇していると、ラナの透き通ったような声が、耳のすぐ横から届いた。
「大丈夫です。私がリンド様を信頼する様に、あなたの信頼を私にください。きっと、剣を持ち帰ることができますから」
首に回す腕に力がこもった気がした。顔が熱くなるのは松明の灯りのせいだろう。
「……頭をぶつけるなよ」
ため息を一つ、覚悟を決めておれは歩き出した。洞窟は自然のままに整備されておらず、気を付けなければ足を取られそうだ。天井も高いわけではないから、ラナの高さからすれば、頭をぶつけるか気が気でないだろう。道は緩やかな下り坂で入口から真っすぐ続いているが、扉はもう見えなかった。
暗いせいで距離感が狂わされるが、おっかなびっくりの二十歩程度で目的の場所についたためそこまで長くはないはずだ。洞窟の突き当りはやや広まった空間になっていて、ちょうど口のすぼまった袋の中に入るような感覚だ。毒竜はここをねぐらにしていたのかもしれない。通路の狭さからすれば、竜とは特に大蛇のことだ。
足を踏み入れれば明らかに臭いが変わって、息をするのも不安になる。道中に死体はなかったから、これまで入ってきた人間は、すべてこの空間に残っていることになる。竜の毒でなくとも、長く瘴気を吸えばそれだけで危険だろう。
松明を掲げると、空間の隅々が見渡せた。人や動物の骨が転がっている。朽ちた服の残骸や装備は前の時代を思わせる様式だ。蝙蝠や虫の類も人目には見えず、生者はただ二人だけ。
ラナの腕が視界の端から延びてくると、壁際の一点を指し示した。つられてそちらに注目すれば、一瞬棺かと思ってぎょっとしたが、祭壇として石机が安置されているようだった。
だが、その上に剣はない。頭よりも二回りほど大きく、なめらかで平べったい石が、石机の端に載せられているだけだ。形状からして枕だったのだろうか。であればこの机は祭壇ではなく寝台。不死鳥を宿すゲンドール王は、この洞窟で寝泊まりしながら、竜の毒を中和しようとしたのかもしれない。
「仕方ない」
意識的に浅くしていた呼吸が動揺で早くなれば、いよいよ息が苦しくなる。剣がなければ、生きてこの洞窟を出たところで意味がなくなってしまう。
ただ、これには備えがある。というより、洞窟の奥には入らずに済ませるために用意した偽物の剣を、脇腹から太ももに沿わせて隠し持っているのだ。
どうせ誰も本物の剣を見たことがないのだから、形は何だっていい。剣を持ち帰れないことを見越して用意していたと言えば、ラナも不死性をことさらに不審がりはするまい。
「腹案がある」
簡潔に言って、ラナを背負ったまま来た道を戻ろうとする。誰もこんなところで話などしたくないのだ。ラナもそれは同じのようで、声を出す代わりに、おれの頭を寝台に向けて、再び指をさした。
理解するのにやや間があったが、その指先をたどって視線を巡らせば、すぐに答えに行きついた。その指は厳密には寝台の横のくぼみを差していて、影になったところに松明の灯りを向ければ、石枕と同じくらいの大きさの縦穴がそこだけぽっかりと空いていた。
剣はその中に、鞘に納めるかのように、立てて入れてあるのが見えた気がした。
ゲンドール王がここで寝泊まりしていたのなら、あの縦穴は「ここに剣を入れろ」と抗いがたいほどに訴えかけてきたことだろう。そう思うと、おれはゲンドール王の人間味に触れたようでほんの少しだけ緊張が和らいだ。
その時だった。上手く照らそうと松明を下げた瞬間、眩い火がふっと消えて、おれたちは暗闇の中に放りだされた。
おもわず声が漏れそうになるのをすんでのところで飲み込んで、全身に力を込める。目が眩んで姿勢を崩しかけたところに、ラナの体重がかさなって危うく倒れかけたのだ。この時ばかりはラナも本気で焦ったに違いない。おれの首は強く締められて、変な呼吸音が喉から漏れた。
「屈んではいけません」
ラナが厳しく制する。おれも端からその気はなかった。
まさにいま、ただ立っているだけでは死にはしないのなら、ラナの言うけがれた空気が足元に溜まっている状態のはずだ。この洞窟から誰も出てこられないのは、あの剣を取ろうと屈むか、穴に手を突っ込むかして、その空気を、竜の毒息を吸い込んだからに違いない。
不死鳥を宿しているかを見分けるのに、あつらえ向きというわけだ。そう思うと、その穴は自然の穴ではなく、掘削しているようにも見えた。ゲンドール王の知恵のなんと陰湿な事か!
足で引き揚げるか。だが深さがわからない以上、それも難しい。そもそも本当にあの暗い穴に剣があるのか、確信もなかった。
逡巡していると、ラナが背中の上でもぞもぞと動くのがわかった。落とさないように太ももを支える手に力を籠める。
「これで引き上げます。近づいてください」
ラナを支えるむき出しの手に縄が当たった。おそらく先が輪になっているのだろう。鍔に引っかければ、毒を吸わずにいられる。
おれは記憶を頼りに、すり足で穴に近づく。毒気が地面に溜まるなら、あの穴は猛毒で汚染されていよう。万一にも足を踏み入れたくもないから、穴の縁を慎重に探る。
ざりざりと、洞窟の床が擦れる音が続く。下は凹凸が多いから、足の裏がつっかえることもあるのが難点だが、気を付ければ転ぶほどではない。
「あった」
土踏まずにほどよい感触。蹴り上げるように足を伸ばすと、ゲンドール王が横たわっていたであろう寝台に当たった。
「ではそのまま」
ラナが縄を投げ入れたようだ。背中越しのラナの動きは、灯りがなくとも目の前の光景をわずかながらに伝えてくれる。縄はしっかりと穴に投げ込まれ、上下動を繰り返しながら剣の在処を探っている。時折縄を引く動作に力がこもり、何やら引っかかるものがあるようなので、おれは剣の存在をようやく信じることができた。
何度か繰り返し、持ち上がった剣が落ちて底に当たる音が聞こえる。おれはその光景をありありと思い浮かべていた。
しばらくの試行の後、剣は釣り針にかかった魚のように、ぬるりと穴の外に引き上げられた。終わってみればあっけなく、気づけばおれはその剣の柄をしっかりと握りしめていた。
劣化していて表面がひどくざらつき、ぽろぽろと錆が取れるが、それは確かに剣だ。初代国王が使ったというだけの重みがあるようだった。灯りが消えてなければつぶさに眺めやったのだろうが、いまはそれがふざけた偽物であっっても気が付けない。ならば、考えることは一つだった。
「早く帰ろう。貴族を待たせると後が怖い」
何より入れば死ぬと言われる洞窟から、一刻も早く出たかった。おれは不死者でも何でもない。
松明なしで苦心しながら坂道を登り、やがてぴたりと閉ざされた扉の前まで戻り来た。道中は常に壁に手を摺りながら歩いてきたから、掌がぴりぴりと痛んだ。途中でもらったラナの手袋がなければ、血だらけになったことだろう。
鉄の扉を叩く。扉越しに人が動く気配がなく、おれはやや焦りを込めて、再び強く叩く。
一瞬の間があり、神官や同行した連中の声が聞こえ始めた。不審な二人組を閉じ込めてしまおうという腹ではないようで、おれはひそかに胸をなでおろした。
鉄扉が低音を伴って開かれていく。そこではたと疑問が生じた。ラナが縄を用意していたのはなぜだろう? 不死性を前提とするなら、初代国王の嫌がらせを予測はしても、備える必要はなかったのではなかろうか。だがその疑問もすぐに流れていった。
久々の光に目が眩む。
「ご苦労様でした」
ラナはすでに背から降りている。隣から聞こえてくる声がやけに遠く感じた。先ほどまでほとんど耳元で話されていたようなものだったのだ。それを改めて認識して、不本意にも頬が熱くなった。
「何でもない村から突然現れて大事を成し遂げる。往々にして人は、そうした存在に希望を抱くのでしょう」
照れ臭かったのか、真面目腐った言葉を、ラナはおどけるように口にした。




