7王選
目まぐるしいほどの三日間に行ったことは、一つ一つを思い出すこともできない。その間はほとんどの時間をラナと共にした。口先では信頼を語るものの、おれが逃走するという万一に備えていたのだろう。事実「逃走」という可能性はおれの脳内に常に浮かんでいたが、結局その機会はなかった。
流れに任せて王都中の関心を買い、小細工を弄し、準備を重ねた。どれをとっても些事であるが、それらはすべておれたちの立場や発言に説得力を持たせるために不可欠だったはずだ。
実際、まさに今、王選の場にあって貴族と相対したときに、狼藉者として捕らえられなかったことが、その効果を現実にみせしめたものだろう。
「このお二方こそが、次の王にふさわしいと、推薦いたしましょう」
レガートの朗々たる声が、爽快な朝の空気を呼び込んだばかりの、王城の大会議室に響き渡った。貴族たちの視線が一挙に集中する。おれは、あえて堂々とその視線を受け止めた。
二十人程の錚々たる貴族たちが長机を囲んでいる。立っているのは末席に並ぶレガートとその隣のおれたち、議事進行の貴族の男だけで、会議室全体がよく見渡せた。爵位からすればレガートに与えられるべき席は上座も上座であろうが、レガートの方が進んで下座についていた。
それは、上座にふんぞり返っている肥満気味の男から最大限距離をとるためであろう。それなりの年だろうが、肌に張りがあるせいで不自然に若く見えた。雰囲気からして、間違いなくモスコン家の当主だ。ほんのわずかな言動でも、他の貴族が注目している様子がある。
今、その男が不思議そうに首を傾げた。
「はて、どういった余興かな?」
妙に甲高い、芯のない声だった。レガートの推挙にざわついていた貴族たちが、水を打ったように静まる。
「慣習的には、王選という形式でありますので。プロイマエイ侯爵が候補者を擁立されたようです」
議事進行の男が控えめに言う。王選の場だというのは当然だ。あの男は何に疑問を持ったのだろう?
「プロイマエイ侯爵、ご説明を」
レガートは、一呼吸おいておれたちを手で示した。
「こちらはリンド殿。我が国の伝説にも名高い、不死鳥を宿している方です。そしてこちらのご令嬢は、旧王家の末裔、ラナ・ソルバネア様です」
ラナが片足を引いて礼をした。丁寧にスカートまでつまむのは、レガートに借りた美麗な装束を汚さないためだろう。かくいうおれも借り物の衣装だが、肌触りが良すぎるせいで服を着ているかも不安になる。ラナに遅れて、ことさら所作に気を付けながら礼をする。
「この国難の時代にあって、彼らは未来を託すにふさわしい者です。以上、ご考慮ください」
レガートの紹介は端的で余計な言葉がなかった。あまりに簡潔で、貴族たちは話が終わったことに気が付かずにこちらを注視していたが、次第に公然の密談が波のように広がっていく。
まずは一つ壁を乗り越えられた。素性もわからない二人組を糾弾し、それを推薦したレガートもろとも王城からたたき出される、ということにはならなかった。三日間、群衆の前で声を枯らし、死んでみせたことで、噂を掴んだ貴族が一概に否定しえない状態になったのだ。それに加えて、レガートも根回ししていただろうか。
「たしかに今の時代にはそのような力が必要だね。良い人材を見つけてくれた。二人ともに爵位を与えよう」
気の抜ける声が上座から届いた。それは、紛れもなく王の立場からの発言だ。おれはあの男が、この大会議室が新たな王を選ぶ場だと認識していないことに気が付いた。自分の王位継承は当然とばかりに。――ある意味、あの男ほどの実力者であればそれが正しい反応とも呼べるが。
「モスコン大公。プロイマエイ侯爵は、そなたではなく、かの二人を王とすること提案しているのだ」
モスコンの向かいに座る壮年の男が力強く言った。顔の輪郭を覆う黒々とした髭は威厳に満ちており、武官かと思わせるほど体格がいい。
「ローダセス公爵でしょう。モスコン家に次ぐ権力者です」
ラナが耳元で補足した。公爵といえば、プロイマエイ家よりもさらに格上の貴族か。であればあの男こそが、モスコン家と表立って対立しているという貴族だろう。
「はて、彼らは我が一族の者でしたかな」
たしなめられたモスコンが的外れな返事をする。しかし、その態度が明らかに変わった。ローダセスを睨めつけ、遠くからでもわかるほど力を入れて、異様に緩慢な動作で髪を掻き揚げた。
議事進行の男は狼狽する様子こそ見せないものの、口元に力が入っている。他の貴族も似たような面持ちだったが、ローダセス公爵だけははっきりと不快感を示している。
「だから、あの二人こそが王になると宣言しておるのだ。そもそも王位はお前たちのものではない。ここは我らの合意により、新たな王を選ぶ場であると心得よ」
ローダセスはまったく怯むところがない。モスコンは深くため息を吐いた。
「であれば、そのような不審な者を王に推挙する無礼を理解しているのかな?」
モスコンがローダセスから、レガート、そしておれとラナへと視線を移した。背中がぞくりとするような、気味の悪い目だ。呆けているような覇気のない口調だが、王位をめぐって一族内でさえ争ったという噂が正しいことを、まざまざと感じさせられた。
「それについては同意だがな。プロイマエイ侯爵、その者たちの身上は確かなのだろうな」
ローダセスの問いが、そのまま貴族たちの総意となった。再び貴族の視線が一所に集まる。
「私からお伝えしましょう」
ペンダントを目にするのはこれで三回目だった。ラナは右腕を宙に突き出し、彼女の身長からすればやや高めの位置に掲げて、衆目にさらした。採光窓からの明かりに照らされて、黄金色のペンダントはその華麗な装飾を遺憾なく発揮した。
「代々受け継がれてきた紋章です。身分を明かすには足りるでしょう」
ラナは微笑すら浮かべていた。貴族の反応はまちまちで、レガートの様にすぐに思い至ったものもいれば、まだ若い貴族などはぽかんとしている。
「なるほど、たしかにもっともらしい」
ローダセスが呟く。モスコンは当然否定するが、ラナは意にも介さずに続けた。
「この身分をもって、プロイマエイ侯爵とともに推挙するのが、リンド様でございます」
ラナがおれを立てるように半歩分だけ身を引いた。矢面に立つ感覚がして肌がひりついた。胸を張ってさえいれば、衣装のこともあって、少なくとも外見だけは取り繕えよう。
「リンドです。お見知りおきを」
そういえば大会議室に入ってから初めて口を開いたが、発生に問題はない。あとは目を気持ち大きく開いて、口角をほんの僅かだけ上げる。村や町では、こうしているときに人の期待や信頼を寄せられた、と自認している。貴族連中にも、国の行く末をおれに託してもよいと思わせるだけの魅力があると期待したい。その実託されても困るものだが。
「ではその不死性を証拠立てるものは?」
議事進行の男が控えめに言う。想定内の質問だ。
「衆評があります」
端的に答える。近頃はモスコン家一強で予定調和的であったとはいえ、王選に際して貴族たちが情報を集めていないわけがない。だからこそ、この三日の演説で不死性と英雄性とを十分に喧伝してきたつもりだ。
「そんなものは知らないね。不死者だというのなら、ここで死んでみせるのが一番だとは思わないかね?」
モスコンが不服そうに言う。市井の情報を、もはや報告さえ受けていないようだ。
「背信者になります。ここを汚すのもよくない」
死なない言い訳としてはどちらも弱い。熱心な信者には到底見えないだろうし、もう何度も死んだふりをしているし、汚さずに死ぬことだってできるし。
だから、このあたりでレガートかラナが、試練とでも称して霊廟の死の洞窟を話題にあげるはずだ。計画では、この場で死んでもかえって疑いの目で見られるというのが結論だった。
実際はレガートが発言しようと体を揺らしたところで、モスコンが突然甲高い怒声をあげた。
「ならんぞ。貴殿はここで死んでみせねばならん!」
表面上は穏やかな口ぶりだったモスコンが、人が変わったように怒りをあらわにした。
「お待ちください。リンド殿がここで死んでも、どのみち信用は得られないでしょう。それより……」
レガートの訴えを黙殺し、モスコンが机を叩きながら部屋の外に向かって怒鳴ると、使用人が恐る恐る扉を開いた。
「毒だ。すぐに効くものを持ってこい!」
使用人が悲鳴ともつかぬ返事をしてすぐに駆け出した。
「毒とはな。そんなものが王城にあるとは、何に使うつもり、いや、何に使ったのか」
ここぞとばかりにローダセスが追及するが、モスコンは「うるさい」とだけ言って意に介さない。ローダセスの方も使用人が毒を用意しに部屋を出てから言うあたり、モスコンの印象を下げつつ自分は無傷でおれを試そうとしているようにもみえる。
おれは冷や汗が背中を伝うのを自覚しながら、体裁だけは取り繕って無言で立っていた。
ラナやレガートと計画した道筋から逸れた。不死性を試すために毒を用いるのは想定していたが、まさか本当に実行するとは思わなかった。そんなものをすぐに用意できては、日常的に毒を使っていると公言するようなものだからだ。だがモスコンはそんな些事には頓着しない。あの男の狂気の一面こそが、今日まで権力を集めることに寄与していたのかもしれない。
「お待たせいたしました」
部屋に戻ってきた使用人は、並みいる貴族の視線を受けて声を震わせた。銀製のトレーの上に、銀製のグラスを一つ載せている。
「中身を見せよ」
モスコンの指示に、使用人が近くにすり寄って跪いた。水に溶いているため傾けられないのだろう。
モスコンが手を仰ぐと使用人はおれの方に近づき、グラスを捧げた。
「それを飲め。断ればどうなるかは、わかるね」
「……いいでしょう」
ためらいを飲み込んで、グラスを手に取る。見た目にはただの水が半分も入っていないようだが、グラスの内側が黒く変色している。毒殺を防ぐために銀の食器を使うことがあると聞くが、この場合は毒であることを示すためにあえて銀製のものにしたのだろう。
こんなものを飲めば口の中がただれて、もがき苦しみながら死ぬことは間違いない。しかし、拒絶することもまた、死を意味する。不死者を騙る者を支持したラナやレガートもろとも、あるいは村の者まで連名で殺されることになるだろう。
今まで偽ってきた代償だと言えばそれまでだが、甘受できる話ではない。
おれは深呼吸し、グラスの水と向き合った。不死鳥の力を騙るうえで、このくらいの壁は越えなければならない。
横目にラナを見やった。彼女は何の力みもなく、静かに目を閉じている。まだ出会って間もないが、村を出てから今に至るまで最も近くにいた少女の、不死者に対する信頼は揺らぐことはなかった。彼女を騙し通しているのだから、この場限りの貴族たちを騙せないはずがない。
おれはグラスに口をつけると、ゆっくりと傾けた。注目する貴族たちが、息をのむのがわかった。冷えた液体の感触が口内を通るが、不快な味も臭いもしない。この瞬間だけは、この毒の水がただの水に思えた。空になったグラスを逆さにすると、低くどよめきが上がった。
口を引き結んで、直立不動のまましばらく佇む。普通であれば毒が効いてくるであろうという間をたっぷりと作る。狂気を見せ始めたモスコンも口煩いローダセスも沈黙し、大会議室から音が消える。
「支えて」
掠れる声で言い終わるまえにはラナが動き出して、おれの腕を肩に掛け、腰に手をまわした。適役としてはレガートの方だが、彼に頼るのは気が引けた。
それらしい苦悶の表情を作ることには慣れている。わざとらしくならないように、ゆっくりと体の力を抜く。それにしたがってラナが屈み、おれの膝を折りたたむように座らせた。頭は後ろに倒して、喉を張る。そのまま目を閉じて時を待つ。貴族たちに動く気配はないから、この時ばかりは本当の「時間」を待った。
――従騎士の位を失った日の夜、酔って川に落ちたおれが、死んでから生き返るまでの間隙。水面の飛沫の余韻が消えるまでの間。いまだに鮮明に覚えているその時間を待って、おれは静かに目を開ける。おもむろに立ち上がると、貴族たちを悠々と見回して言った。
「この通り」
おれは一つの演劇が終わった時のように、優雅に手を広げた。
呼吸さえ聞こえた会議室に、歓声が上がる。もちろん、貴族としての品とモスコンやローダセスのような有力貴族への礼を失さない程度だ。その表情には隠し切れぬ驚きと喜色が混じり、少なくともモスコン以外には好意的に受け止められているようだ。ラナは当然だと言わんばかりに微笑を浮かべているが、初めて目の当たりにしたレガートは、意識的に平静を顔に張り付けているのが手に取るようにわかった。
「リンド様は不死鳥のお力を証明してくださいました。これで私たちの素性へのお疑いはいくらか晴れたことでしょう」
間を置かずにラナが話を継いでくれた。示し合わせたわけではないが、実際これがこの上なくありがたかった。いまは長々とは話せないのだ。
「ありえん。なにか細工をしただけだろう!」
自身で提案し、自身で用意させた毒を飲ませたモスコンが怒鳴るのは、筋違いだろう。だが言っていることは正しい。
こんなこともあろうかと、口の中に仕込んでいた袋に流し込んで、ただ飲んだふりをしただけだった。袋は町の男が遊びに使っている避妊具を細工したもので、これもまたおれの自信作だった。いまもなお毒の袋は歯にぶら下がって喉に垂れている。えずくのを堪えることは慣れたものだ。
「わしは信じんぞ。不死鳥なんてものはただの伝説だ。この世にあるわけなかろう」
どう説得したものかとラナの方を窺えば、口の端だけさりげなく上げているのが横目に映った。妙案を思いついたという顔ではなく、ただ成り行きを楽しんでいるようにも見えた。助け船は意外にもローダセスが出した。
「ならば霊廟に入れてみればよかろう。貴様の醜態は見苦しいが、無事王の剣を持ち帰ったならば、もはや貴様が認ようが認めまいが関係なかろう」
レガートが提案するよりもむしろ好都合だった。この大会議室には、ゲンドール王の伝説を知らなそうな人物はいない。
「……なるほど、あの洞窟だな」
モスコンが醜悪な笑みを浮かべた。やはりこれまでにも剣を持ち帰る試みは行われていたのだろう。そのすべてが失敗に終わったからこそ、モスコンは自信をみせているのだ。
「いいだろう。王選会議はしばらく休止だ。早急に連れていけ」
「では、証人を手配いただきたく存じます。こちらの皆様の中から何人か足を運んでいただくか、信頼のおける者を複数人お貸しいただければ」
すかさずラナが口を挟むと、モスコンは鬱陶しそうに舌打ちをした。試練めかしたお使いを成功させたとしても、なかったことにされてはたまったものではない。
「わしも部下を送ろう」
ローダセスはすぐに部屋の外の使用人に伝えた。それにならって他の貴族も依頼していく。毒を飲んだことで、貴族たちの関心を買うことにはうまく成功しているようだ。
「モスコン様からも証人をお貸しいただければ」
たしかにモスコン家の目は必要だが、ラナの申し出は少し攻めたものに思えた。案の定、モスコンは心底不快そうだ。
本来ならばすぐに王位を継承できたはずの会議で、素性の怪しい二人組がたてつき、年端もいかない少女に口をきかれたのだ。自尊心が傷つけられるところも甚だしいだろう。もっともその自尊心はおれのような虚栄心ではなく、実力を備えた根拠あるものではあるが。
「……ならばわしも用意しようではないか」
モスコンの表情がふっとやわらぎ、会議が始まったころの不気味な寛大さを取り戻した。
「しかし条件がある」
ラナが礼を言う前に言葉を継いだ。
「伝説には、ゲンドール王は不死の軍勢を率いたという。不死鳥の力を使ってな。ならば、リンドとやらにもできよう」
身震いしそうなほどの悪意を孕んでいた。モスコンの怒りが波のように引いたのは、奸計を思いついたからだった。
「旧王家の末裔を名乗るラナよ。そなたもリンドに随従し、霊廟に入りなさい。なに、神鳥と王の血がそなたを守るであろう」
「それは……」
思わず声が出てしまった。きっとモスコンの視線がこちらを向いた。
「何か問題があるかね?」
「……いえ」
「まさかできぬことはあるまい。本当に不死鳥を宿すのならね」
否定しようにも、今はうまく話せない。そんな伝説があるのかと疑いたくなるが、他の貴族の様子からそこに嘘はないようだ。おれ自身、遠い記憶に覚えがあった。
「おそらくリンド様は、そのような力の使い方にまだ経験がないだけでしょう。であれば、初めての試みのため、私の身を案じて下さったのかもしれません」
ラナが弁解する。
「何も問題はありません。リンド様とともに、早急に出立いたします」
ラナの表情は自信に満ちていて、臆するところがない。その信頼が重圧だった。表面上はまだ取り繕えているはずだが、内心の焦りを表に出さないよう必死だ。
一人ならばごまかす手もあったが、二人では不可能だ。ラナは協力者で、味方であるが、不死鳥の力を騙るうえでは監視者になってしまう。かといって、モスコンという大権力に背くだけの策がない。ああ、さすがに自分を信頼する少女を道連れにはできない!
「よい心がけだ。では、日が沈むまでに、剣を持ってこの場に戻りなさい。プロイマエイ侯爵、そなたはここに残るのだ。彼らが戻らなければ、王選を乱した罪を償わないといけない」
モスコンが公然と人質を取る。口調だけは穏やかで、その分薄気味悪さが強調されるようだ。
「いいでしょう。彼らなら成し遂げられるはずです」
レガートが神妙に答えた。それをもって王選会議は一時休止となる。
不死鳥の力を騙る罪をラナに打ち明ける覚悟は、そうやすやすとは決まらない。ラナとともに退室しながら、口中の毒の感触を確かめた。




