2婚礼
馬の嘶きで目を覚ますと、鼻先に馬糞があった。飛び上がるように起きれば、隣の囲いの馬が鬱陶しそうにこちらを見た。
昨夜は少女を撒くために家路を辿らず、途中の馬小屋で横になったのだった。もう春も盛りだから凍えることはなかったが、ふと王女を騙る少女を思い出してぞっとした。
あの少女は力を試すとか言ってためいらいもなく刺しにくる異常者だ。渾身の死んだふり作戦に一応は納得していたようだが、こんな無防備なところで寝ていて見つかりでもすれば、前後不覚のうちに刺してきても不思議ではない。昨夜の自分はよっぽど酔いに頭をやられていたらしい。
とはいえ、悪いことばかりでもない。明日また訪ねるとのことだったから、家の方にあの少女が来るかもしれないのだ。見つからないうちに隣町にでも出かけて、今日、明日くらいは留守にしておこう。彼女の提案にほんの少しだけ魅力を感じてしまったものの、不死者でもないのに不死を前提として矢面に立たされたらたまったものじゃない。
そこまで考えて、小屋の中に馬が欠かさず残っていることに気が付いた。窓枠から顔をのぞかせて太陽を見れば、もう昼も近いはずだ。農作業はとうに始まっている時間なのに、馬が一頭も出されていない。
「今日は休日だったか?」
不審に思いながら外に出る。馬小屋は街道沿いの酒場からは離れた場所にある。小村の端に位置するところであるから、人気はもともと少ないが、それにしても村民の姿がない。中心部の住居群や、村を取り巻く広大な畑にはちらほらと人が立っているが、普段とは比較にならないほど少なかった。
「まあ、好都合か」
人目に付かなければあの少女に足取りを追われる危険も減る。外に出ている村民も皆無ではないし、炊煙も上がっているため、何か重大な異常が起きたわけではないはずだ。それこそ、村の長老のところに孫ができたとか、喧嘩した若者をとっ捕まえて折檻しているとか、ちょっとした出来事だろう。
家に戻る必要はない。おれが建物の影を踏みながら隠れるように歩き出したとき、村の中央の方から男が大声をあげながら走って来た。おれの名前を呼んでいる。振り切ってやろうかと膝を曲げたが、目を凝らせばそれが叔父であったため自重した。
「どうしたんだ? 叔父さん」
話すにはまだ遠いくらいの距離で声をかける。叔父の顔が血相を変えるほど焦っていたからだ。
「よかった。ここにいたんだな」
息を切らしながら叔父が言った。
「……何かあったのか?」
体が強張るのを感じた。珍しく人がいない現状と、叔父がここまで急いで来た理由を考えれば、まさか悪い知らせなのだろうか。
「何かってお前、当事者のくせして他人事みたいに」
「当事者?」
「みんなお前を待ってるぞ。早く来い」
叔父がおれの袖を引くのに抗って足を突っ張る。
「おい、心当たりがない!」
まさか隠し事が露見したのか? 不死鳥の力を持っているからこそ、自堕落な生活をある程度許されてきた節があるのだ。折檻されるのは知らない若者ではなく、おれ自身か。
懸念とは裏腹に、叔父の顔はおれを責め立てるような厳しいものではなく、むしろにやにやと気味の悪い笑みが口の端からこぼれ出ていた。ますます意味がわからない。
放心して固まっている内に叔父が力づくで引っ張っていこうとしたので、観念して後をついていく。村の中を引きずられながら連れられて行くのはあまりに体裁が悪い。
それにまだばれたと決まったわけじゃない。仮にそうだとしても、いまや熟練した死んだふりで騙しおおせるかもしれない。いや、騙し通してやる。
家に帰ると、叔父は支度して木の下に来いとだけ言って離れた。母は外出しているようで室内は閑散としていた。着替えを手短に済ませて顔を拭うと、万一に備えて床下に隠しておいた血糊の袋を補充する。
叔父に呼び出された場所は、村の端にあるオークの木の下だ。この小さな村ができる前からあった木で、背は同種と比べればあまり高くないものの幹が太く、切り倒すのが忍びないとして残されたものだ。何も神木として祭っているわけではないが、村の祭礼や話し合いはその木を中心とした広場で行われるのが慣例だった。
馬小屋から広場までは遠く、そこに人が集まっているのが見えていなかっただけらしい。近づくにつれて村民の姿が増える。人々の態度は半ば覚悟していたようなおれを糾弾するものではない。主役登場と言わんばかりの拍手に迎えられた。
……もはや秘密が暴露されたとは思うまい。暴露されたわけではないが、別の方向で嫌な予感がする。
村民総出に近い人数が集まっている。広場には何組もの椅子と机が散りばめられ、華やかな料理を囲んで座っていたり、立って杯を手にしたりしている。この村のどこにこれほど豪勢な宴席を設ける余裕があったのだろう。まだ口はつけていないのを見ると、本当におれを主役に据えるつもりなのだ。
人々に促されるまま広場に進み入ると、青い葉をつけた巨木が待ち構えている。その下には他と比べても立派な席が二つ設けられている。
「さっさと来んか」
その席の隣に立つ母の叱咤は聞こえていたが、それに構う余裕はなかった。いや、余裕があっても無視するが。
二つの席の内一つはすでに埋まっている。見たこともない黒髪の少女が柔らかな笑みを浮かべて、胸の前で手を振っていた。
「……だ、誰だ?」
思わず言葉に詰まってしまった。動揺はすぐに包み隠し、対面したまま少し考えて、おれは結論にたどり着く。
「違う。お前、昨日のやつか」
「ええ。お会いできて光栄です」
フードの下にはこの顔が隠れていたのか。青い瞳も、声音も、覚えがあった。思っていたよりもずいぶん小柄だったのは、あの暗闇の中で得体のしれない影の脅威だけが増幅されていたからかもしれない。服は昨日の外套ではなく、上等の――といっても庶民が用意できるものとしてはだが、華やかなものを着ている。それはまさに、村娘が結婚する際に着るようなものだった。
「見惚れてないでさっさと座れ。待たせてんだよ」
「……うるさいなあ」
母の言葉を否定できずにしぶしぶ座る。遺憾ながら、突然刺そうとしてくるような少女に目を奪われてしまったことを、認めねばならなかった。
そしてこの宴会が結婚に伴うものであることを、もはや疑う気にはなれなかった。
その後はつつがなく進んだ。もちろん昨日の今日で催された婚礼であるから、神父さえいないごく簡易な、形だけとさえいえるものだ。村の長が述べる祝辞をぼんやりと聞く。大した抵抗はできなかった。後は皆で無礼講と言わんばかりに、飲み、食い、踊る。村民にとっては、降ってわいた休日のようなものだろう。
「きれいにはめられたな」
隣に座る少女に視線を向ける。あまり恨み節を村民に聞かれてもまずいが、幸い誰もおれに注目はしておらず料理や酒に夢中だ。……おれたちは一応、彼らが据えた主役だというのに。
この茶番を村に持ち掛けたのは間違いなくこの少女だ。おおかた朝のうちに母や村長に掛け合って、急いで宴席を設けたのだ。母も、あるいはおれを追い出すちょうどよい機会とでも捉えたのだろう。――情けないことに、現実的におれを養っているのは母だ。
「強引に進めてしてしまい申し訳ありません」
穏やかな笑みを浮かべているが、その裏でおれの性格を見抜いていたのだ。後戻りできない状態にまんまと追い込まれてしまった。
「ですが、リンド様にとっても良いことはございます」
「何だ?」
「正式にはまだですが、これであなたも王族です。この国の王となっても、見劣りすることはありません」
「え、王?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。少女がくすくすと笑う。その仕草が妙に可愛らしくて言葉に詰まる。だが、この少女は聞き落とせない重大事をさらりと言った。
「国を救うって、まさかおれを王にするつもりで言ってるのか」
「ええ、そうですよ」
「つっても、おれやお前に何ができる? 名乗りを上げたところで相手にされない」
「それには案がありますのでご心配なく」
そして少女は、おれが困惑から抜け出さないうちに、この宴席を見渡して宣言する。
「今まではきっかけを欠いていたとしても、これでこの村を出る踏ん切りがつくでしょう。この結婚式は、不死鳥を宿す英雄の門出なのです。もともとリンド様は、こうして立ち上がることを皆様に期待されていたのでしょう? でなければ私が頼んだとしても、こんな豪華な宴席をその日に設けるなんてできません」
調子のよい村民たちが応えて歓声を上げた。
少女の言葉は、途方もない重圧をも投げかけてくる。態度だけは殊勝である強引な少女は、自らの血筋と、おれの不死鳥の力を前提に物を言っている。その妄言を聞いて村民がこれだけ集まったのだから、彼らも味方ではない。今さら実は……などと明かすことは到底できないのだ。
彼らの期待は裏切れない。自分の無価値が疑いようもなく露見することは、耐えられないほど怖い。
同時に、この数年燻り続けていた心に得体のしれない高揚感が湧いたこともたしかだった。不死鳥がおれの体から去り力を失って以来、心の底にわだかまっていた感情を昇華させる機会が、隣で小さく座っている少女によって与えられたような気がしたのだ。
(……逃げ場はないか)
今まで偽ってきた自分につけが回ってきただけだ。もはや抵抗は無意味だ。あとは、大それた計画を立てながら自信に満ち溢れているこの少女に従い、流れに身を任せれば、なるようにはなる。
と、自分に何度も言い聞かせながら。
「……こんなことをして、これからどうするつもりなんだ?」
「まずは王都に向かいます。この宴が終わればすぐにでも出立いたしましょう」
「性急だな。ここからじゃ王都まで何日もかかるぜ」
「用意はできていますから。時間はあまり残されていないのです」
少女が宴席の一角を指さした。
「あちらの方が馬も路銀も用意してくださるそうです。少なくとも王都までの旅は問題ありません」
親切な人もいるものだと思えば、何のことはない、叔父じゃないか。なら話は変わってくる。常日頃嫁の愚痴を垂れ流すような男だ。顔だけはいい少女に頼られて気をよくしたのだろう。
「……だったら、出発の時に声をかけてくれ。おれも準備がいる」
料理に口をつけることはなく、そのまま席を立った。目覚めてから何も食べてないうえ、めったに食べられない肉の入ったスープを見れば腹が鳴りそうにもなるが、これをがっつくのはあまりに情けなく思われた。
「それでは後程。リンド様、不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします」
打算にまみれた挨拶だとは承知のうえで、それでもこの先の人生に彩が加わることを予感させるような、優雅な声だった。




