第6話 はじめての会議室
「またですか……」
管理課の職員は、書類を受け取りながらそう呟いた。
露骨な拒否ではない。だが、歓迎でもなかった。
机の上に置かれた書類を、一枚ずつ確認していく。
表紙、添付資料、押印欄。
やがて、ページの途中で指が止まった。
『巻き戻し事例報告書(未承認・管理課却下)――元禄十六年』
ほんの一瞬。
見逃せば気づかないほど短い“間”。
「……こちらが、参考資料ですか」
「はい。転生課および管理課保管資料からの正式な写しです」
真田先輩が簡潔に答える。
余計な説明も、補足もない。
管理課の職員は小さく息を吐いた。
「手続きに不備はありませんね。起案前承認、添付資料も問題なし……」
そこまで言ってから、わずかに間を置く。
「ただし、本件は内容が内容です。私の判断で可否は出せません」
拒絶ではない。
だが、肯定でもない。
「上へ、相談します」
それだけ言って、書類を揃え、静かに席を立った。
「結果が出次第、ご連絡します」
数時間後、起案が通ったという連絡は、拍子抜けするほどあっさりだった。
管理課から内線が入り、承認の事実だけが伝えられて、それで終わった。
⸻
管理課の承認が降りた翌日。
僕は理由も告げられないまま、初めて会議室へ連れてこられた。
会議室中央の長机には、すでに席が用意されている。
だが、上座だけが空いていた。
その上座の、さらに奥。人が立つことさえ許されていないような壁際に、会議室の壁を切り取ったかのように設えられた、大型端末が鎮座している。
「……それじゃ、はじめようか」
黒木課長の声を合図に、照明がわずかに落ちる。
鈍い起動音が腹の底に響き、会議室の空気が一瞬、鋭く凍りついた。
次の瞬間。
端末の画面が、思わず目を逸らしたくなるほどの白光を放ち、視界が一瞬、完全に塗りつぶされる。
光がゆっくりと収束し、そこに浮かび上がったのは、拍子抜けするほど簡素な文字列だった。
《試験運用案件、確認済》
——呼ばれた。
理由も、根拠もない。けれど身体が先に理解してしまった。自分が今、誰かの意思の前に立たされているということを。
黒木課長も、真田先輩も驚いた様子はない。
彼らは最初から、それが「在る」ことを知っている者たちの顔をしていた。
「……上、ですね」
真田先輩が、低く呟く。
画面の文字が、淡々と追加されていく。
《管理課承認、確認》
《転生人事課 起案、確認》
ただ文字が並ぶだけなのに、それはなぜか、頭の奥に直接流れ込んでくるようで、否応なく、従わせる重みを帯びていた。
《判断材料が不足しています》
黒木課長が、わずかに眉をひそめる。
「前例資料は提出していますが?」
《当該事例は再現性を欠きます》
《本案件は、既存制度の枠組みに該当しません》
会議室の空気が、張り裂けそうなほどに緊張する。机の上の書類、照明の光、自分の呼吸の音までが、異様なまでに際立った。
《それゆえ、選択による分岐が必要です》
——選択。
つまり、神様にとっても、正解が用意されていない案件。
「……神様でも、決められないってことですか?」
思わず、口をついて出た。
《制度外案件です》
《ゆえに、最終判断は転生人事課に委ねます》
責任だけを押し付ける言葉。
だがその奥に、制度そのものが抱える行き詰まりが、かすかに透けて見えた。
《試験運用の条件を提示します》
画面が静かに切り替わる。
一行ずつ、慎重に条件が表示されていく。
・記憶保持に耐えうる精神構造
・介入後、自発的選択を行う可能性
・社会的混乱が極めて小さいこと
どれも曖昧で、努力とも、善悪とも、まるで関係がなかった。
《試験運用対象者は一名》
《失敗時の責任は、転生人事課が負います》
「……失敗したら?」
黒木課長が、乾いた笑いを浮かべる。
《制度上、今後の課の運用方針については協議が必要となります》
《最後に、起案者は——相川 透》
「……え?」
自分の名前が表示されるのを、僕は、まるで他人事のように眺めていた。
《以上》
「神様、それは……あまりにも酷でしょう!」
黒木課長が、思わず食い下がる。
だが返答はなく、画面はすでに暗転していた。
端末の光が完全に消え、照明が戻る。会議室は、ひどく静かだった。
「……さすが、神様ですね。」
真田先輩の声は淡々としている。
でもその声の中には理不尽さへの呆れと、どうしようもない諦念が混じっていた。
「そんな……僕は、どうしたら……」
黒木課長は頭をかきながら、深く息を吐く。顔に一瞬、苛立ちが滲む。だがすぐに覚悟を決めたように、僕をまっすぐ見据えた。
「つまり——最初の一人を、選べってことだ」
視線が、じっと僕を射抜く。
「しかも、起案者本人が、だ」
胸の奥で、嫌な音がした。
机上の端末には、新たな資料が次々と映し出される。
その向こうには、膨大な世界情報が重なり合い、候補者の姿や、異なる世界の断片が光の粒となって流れ込んでくる。
魔法が日常の国。
剣と血で秩序を保つ世界。
祈りが制度として機能する場所。
滅びかけた街の、薄暗い生活圏。
——正直どれも、「誰でもよかった」
そして、それが、いちばん怖かった。




