表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

第3話 前例なし、前途はあり

管理課へ行く途中、壁の案内掲示板が目に入る。


《異世界均衡維持局・部署一覧》


「真田先輩。さっき言ってた管理課とか、予算課って……?」


「ああ。転生人事課以外にも色々あるんだよ。」


歩きながら、真田先輩が教えてくれる。


「調査課は世界崩壊リスクの調査。予算課はお金。付与課は……まあ、チート配分だね。」


「じゃあ、管理課は?」


真田先輩は、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。


「……規則に厳しい。それだけで、十分だよ」


それだけで、十分だった。


「着いたよ。ここだ。」


真田先輩が、無駄のない動きでドアを開ける。



《管理課》


異世界均衡維持局全体を統括する部署。

今回は転生を伴わないため、ここに相談することになった。


――が。


「前例がありません」


管理課の職員は、感情の起伏を一切感じさせない声で言った。


「規程にも記載がなく、想定外の運用です。」


「でも、転生してないんですよ!?」


黒木課長が食い下がる。


「“していないからこそ”問題です。」


それ以上、言葉は続かなかった。

正論だけがその場に残り、三人は来た道を引き返すことになった。



「……仕方ないね。」


転生課に戻るなり、黒木課長は肩を落とした。しかし、その足取りには“仕方なさ”が一切含まれていなかった。


「過去に似た事例がないか、探すしかないか。」


「そうですね。」


真田先輩は頷いた。

黒木課長は一度だけ深く息を吐くと、すぐに顔を上げた。


「真田君はマニュアルと制度をもう一度精査して。どこかに使えそうな余地が残ってないか。相川君は――書庫に行って、過去の事例を探してきて!」


「はい」


こうして僕は、書庫送りになった。


(前例がない……か)


それは、何もなかったという意味じゃない。

百年分の時間が積もった場所なら、“前例にならなかった紙”が、どこかに一枚くらい残っているはずだ。



僕は、そう信じることにして書庫へと向かった。


———


書庫は、静かだった。


空調の音すら仕事をしていないかのようで、時間だけが、ここに取り残されている気がした。


視界いっぱいに並ぶのは、綴り紐で閉じられた古い紙束、ファイル、ファイル、ファイル。

そして――明らかに時代錯誤な巻物。


(……紙媒体どころか、巻物?)


ここにあるのは――

使われなかったもの、使われなくなったもの。

そして、前例にならなかった紙の山だ。


事例集を探して棚の奥を覗いたとき、

書類に埋もれている人物が目に入った。


周囲はすべて時代に取り残されているのに、

その人だけは、不思議と凛として見えた。

百年間止まっていた転生課の中で、

その人だけが、静かに自分の時間を生きている。


棚の前に立ったまま、僕は事例集を一冊引き抜いた。


「ええと……これかな?」


表紙に手をかけた、その瞬間。


「……それ、まだ使うのか。」


低く、乾いた声がした。


「え?」


顔を上げると、男と目が合った。

書類の山越しに向けられた視線は、驚くほど静かだった。


「あぁ……」


短く息を吐き、男は名乗る。


「藤原だ。よろしく。」


(この人が……)


「はじめまして。今日から配属になりました、相川 透です。」


藤原先輩は返事の代わりに、書庫全体を一度だけ見渡した。


「ここは転生課の書庫だ。」


淡々とした口調で、古風な形の眼鏡を指で押し上げる。


「使われなかったものだけが、残っている。」


そう言って、棚の奥——

触れられることすらなく、時間だけが積もっていく場所へ、短く視線を落とした。


「百年間、仕事が進んでないことも——聞いたか。」


「……はい。」


「昔はよかった。」


ぽつりと落とされた言葉には、懐かしさとも諦めともつかない響きがあった。


「監視カメラのない時代だ。……神隠しは、画期的だった。」


沈黙が、過去の気配だけを残して広がる。


「今は……誰も信じない。」


それで、この話は終わりだと言わんばかりに、視線が戻る。だが、その手は止まったままだった。


「……いくつだ、君」


その問いと同時に、藤原先輩は一瞬だけ顔を上げた。


「えーと……24、だったと思います」


「……若いな」


(何が“若い”のか、正直分からなかった)


視線はすぐに書類へ戻り。それ以上、言葉は続かなかった。それでも、ほんの一瞬だけ向けられたその目は、

僕を“今”として見ていなかった気がした。

その一言だけで、僕と藤原先輩は、同じ時間を生きていないのだと理解した。


それでも——。


「でも、その頃は……間違ってはいなかったんですよね」


言い切ることができず、語尾を落とす。ほんの一瞬、言葉を探してから、続けた。


「人を“消す”やり方でも」


藤原先輩は、わずかに目を伏せた。否定も肯定もせず、過去を確かめるような沈黙。


「……あれは、確かに最適解だった。」


そして、静かに続ける。


「だが今は無理だ。」


そこで、言葉が途切れた。


「神より、カメラの方が信じられている。」


胸の奥が、ひやりと冷えた。その言葉が意味しているのは、技術の問題じゃない。“信じられるもの”が、完全に入れ替わってしまったという事実だ。

一瞬、躊躇ってから、僕は口を開いた。


「あの……今は問題が起これば、神の力で世界を巻き戻している。だから均衡は保たれてるんですよね」


言葉を探すように、僕は続けた。


「実は、その“巻き戻し”を使った、巻き戻し案が出まして……。」


藤原先輩は、すぐには答えなかった。


「……そうか」


藤原先輩は、僕を一瞬だけ見つめたまま、何も言わなかった。やがて、その視線を静かに外し、手元の書類へと戻す。まるで、その話題自体を、そっと棚に戻すかのように。


「君は、それを“使える”と思えるんだな。」


その沈黙が使えるかどうかを考えた末のものなのか、それとも、考える必要すらないと言う意味なのか、その言葉の意味を、その時の僕はまだ理解できなかった。


「相川君〜?」


遠くから、黒木課長の声が響く。


「資料、なにか見つかった〜?」


「あ、はい。今行きます」


僕は慌てて書類を抱え、藤原先輩に軽く頭を下げた。


「それでは……失礼します。」


藤原先輩は、返事をしなかった。ただ、書類から視線を上げることもなく、そこにいた。


(……前例はない)


それでも。


百年止まっていたこの課は、

今日、確かに少しだけ、動こうとしている。


そう感じながら、

僕は重い扉を閉めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ