007-澄んだ瞳の男と、過去の恐怖
アロイテを乗せたまま、KETERは宇宙空間を飛ぶ。
想像すらしたことない景色に、脳の許容量を超えたアロイテは、床にへたり込んで周囲を呆然と眺めていた。
「見えて来たぞ」
男が唐突に言ったので、アロイテは身を震わせて反応し、前を見る。
そこには、一隻の船が浮かんでいた。
アロイテはこのような大きさの船を見たことがなかったため、建物と勘違いしたのだが。
重力圏内では様々な制約に縛られる大型機動要塞である。
こうしてクロファートの重力圏から少し離れた場所に待機しているのだ。
「あれが、当分の俺が住まう家――――機動要塞ネオ・マルクトだ」
「マル....?」
英語を学んだアロイテでも、男の言った要塞の名前の意味を知る事は出来なかった。
大型要塞の下部に回り込んだKETERは、開いたハッチから内部へと入った。
内部にあったガントリーに固定されたKETERは完全に静止し、男はコックピットを開けた。
「動けるか?」
「あ......」
アロイテは動こうとしたが、空腹と疲労でうまく動けなかった。
男は少し困った様子を見せた後、
「ひゃっ!?」
「抱えていく」
「だ、だめです....汚いです....」
アロイテを抱きかかえて、コックピットから降りる。
降りた男を出迎えたのは、長身の美女だった。
男と同じように、白い指揮官服に身を包んでいる。
「無事のご帰還、大変喜ばしく思います、シン総司令官」
「そっちこそ、悪いな......アインス」
男の名前はシンというらしく、女の名前はアインスと言うらしい。
アロイテは素早く学習する。
その時、アインスとアロイテの視線が交錯する。
「...そちらは?」
「目的のものだ」
「そうですか......お時間を要しますか?」
「ああ、オーロラとお前の自己判断で動け」
「了解」
アインスが去ってしまうと、辺りからは急に人気がなくなってしまう。
アロイテは違和感を覚えた。
これほど大きな建物で、自分を抱きかかえている人物が大物なら、働く者たちが無数にいる筈だと。
「......あの、どうして人が居ないんですか?」
本来であれば、貧民が質問をする事は許されない。
大抵は私刑の対象になる。
アロイテは生まれて初めて出会った底抜けに優しい人間に対して、少しばかり気を緩めてしまっていたのだ。
だが、言ってから直ぐに気付く。
優しさは、打算の裏返しに過ぎないと。
気付いて口をつぐんだアロイテに、シンは表情を変えずに言った。
「機械に頼っているだけだ、オーロラ!」
『はい、司令官。御用事ですか?』
シンが声を張り上げると、同時にアロイテの視線の先に、ホログラム映像の美女が現れる。
理知的な雰囲気を纏った、薄い雰囲気の女だ。
アロイテはすぐに、人ではないと見抜く。
「この子を身綺麗にしてやりたい、ノルンを起動しろ。それから食事の用意を、こんな格好だ、まともに食べていない可能性が高い、流動食C型、それに飲料R型を手配しろ、食堂から人払いを頼んだ」
『了解』
「あ、あの! そ、そこまでしてくれる理由を教えてください!」
アロイテにとって、それは重要なことであった。
かつて彼女は、同じように優しくしてくれる人物に出会った。
その人物は笑顔を浮かべながら、アロイテを身綺麗にさせ、着たこともないような服を着せ、食べたこともないような食事を食べさせてくれた。
だが、その人物はある日、悪魔のような顔でアロイテを連れ、奴隷商に足を運んだ。
『どうだ、少しは肉がついたはずだ、買い手はありそうだろう?』
その時の男の言葉を、アロイテは今でも忘れない。
状況に流されて、その優しさに騙されてしまったものの、信用できない人物と関わるのは許容できない。
それがアロイテの絶対の誓いであった。
「理由?」
「私を....奴隷にするんですか?」
『司令官、彼女は恐らく、自分にその価値がないと判断していると思われます』
「奴隷にはしない。君を迎えに来たのは別の理由がある――――俺は君を売り払うつもりはない.....もし君が食事と風呂を終えて、それに納得しなければ帰そう」
「それは.....」
「信用できないのは分かる、だが信じろ」
アロイテは、自分が今、らしくない事をしている自覚がなかった。
いくら過去の事があろうと、恐らく上層以上の存在であるシンに対して”理由”を求めている。
神にも等しい上層に対して、口答えなど無意味であると知りながら。
それに対しても、シンは「薄汚い賎民が」等と罵ったりはせずに、アロイテの眼を真っすぐに見つめて言った。「信じろ」と。
「(ずるい.....そんな眼で言われたら)」
アロイテのような人間は、何も頼るものがいなかった結果である。
だというのに、そんな「信じてほしい」という眼をして「信じろ」と言われたなら。
縋ってしまう。
その甘えが、彼女には怖かった。
『司令官なら大丈夫ですよ、機械である私がこんな事を言うのも何ですが、優しい方ですから』
並行して付いてきていたオーロラが、アロイテにそう言った。
それが決定打になったようで、アロイテはある考えに至った。
「......信じて、みます」
「ああ、それでいい。お試し期間、信じられなければ、いつでも捨てていい」
「はい」
二人と一機は、廊下を進んでいくのだった。
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