004-諦観の中で燻るもの
「...」
アロイテは、翌朝すぐに通勤の準備を始める。
貧民街を抜けて、中層までは歩きだからだ。
交通機関を利用する余裕もなく、彼女は早朝に家を出て、そこから4時間をかけて首都の「中層」まで向かうのだ。
同じような事情の者たちで、まだ薄暗い貧民街は賑わっていた。
弁当を売る者や、店先のベンチで朝食を食べながら会話する二人組。
そんな人々を横目に、アロイテは貧民街を抜ける主要道路を通る。
貧民街のメインストリートはかなり入り組んでおり、中層に抜けるといってもわかりやすく道があるわけではない。
路地に入り込み、ジグザグに突き進むことで、ようやく荒屋の壁が消えるのだ。
「チッ」
「...あっ」
中層に抜けたアロイテだったが、たまたま通りがかった男にぶつかられた。
男は舌打ちし、足早に立ち去った。
この男は別に、掏摸の類ではない。
偶然通りかかり、アロイテにぶつかったものの、その身なりといい出てきた場所といい、汚らしい要素しかないアロイテに対して舌打ちしたのである。
まるで糞にぶつかられたように。
「...(あの人、大丈夫かな)」
だが、アロイテは慣れている。
貧民は人間ではないのだから、汚物のように扱われたところで大した事ではないのだ。
だからこそ、自分が触れてしまったことで、中層の人間の体が汚れていないかと気にしているのだ。
中層の中心に入れば、都市の様相は一気に近代的になる。
浮遊する車が行き交い、信号と塗装された歩道で管理された道をアロイテは歩く。
白く清潔な街並みの中で、アロイテは明らかに浮いているものの、誰も表立って彼女に嫌悪を示したりはしない。
常識という服を着て、無関心という仮面を被り、人々は街を歩くのだ。
「遅いぞ!」
「ごめんなさい」
アロイテは「職場」に辿り着く。
中型の輸送船を「職場」として指定する、違法な職場である。
アロイテは一番遅かったので、輸送船の中で着替え、同じく集まった貧民街出身の人間たちと共に移動する。
「ったく、バレたらどうするんだよ」
「.....ごめんなさい」
アロイテ達の仕事は「荷運び」だ。
といっても、それはただの荷運びではない。
ただの荷物運びなら、身元のはっきりしない貧民街の住民を使う必要はない。
「今回の荷運びはここから行う、制限時間は1時間30分だ」
「「「「「「はい」」」」」」
「サツに絡まれたら、その時点で終わりだと思え。最悪荷物は捨てろ」
「「「「「「はい!」」」」」」
今回行われる荷運びは、「上層」への違法物品の運搬である。
ただ普通に運ぶと、業者も購入者も危険に晒される。
だが、貧民街の卑しい人間が、不特定多数に売買するために荷物を運んでいる――――そういう建前で、少しの商品を持って目的地にたどり着く。
こうすることで逮捕者を出しつつも、商品は分割されて最低一人分は購入者のもとに辿り着く。
そういう、危険な仕事と言う訳である。
力もなく、みすぼらしいアロイテが出来る仕事など、これくらいのものとも言う。
「ほら、これだ。報酬は前払いなんでな」
「....ありがとう、ございます」
報酬が入った小包と、小さな箱を受け取ったアロイテは、上層の入り口に近い中層のオフィス街を抜けて、人目をかわすように上層に入り込む。
瘦せこけたアロイテでも、制服を着ていれば配送業者にしか見えない。
とはいえ子供のため少し背が低い。
怪しまれないように、裕福な人間の住む区画、閑静な住宅街を縫うように移動し、最短距離で目的地に到着した。
彼女は全く意識していなかったが、彼女の動きは論理的かつ本能的であり、彼女の隠れた才を指し示すようであった。
「ここで...いいのかな」
アロイテは荷物を置くと、いそいそとその場を後にする。
業者が言った「制限時間」とは、警察以外の警備に賄賂を渡し、その間上層と中層のボーダーライン付近の警備が手薄になる時間である。
つまりは、警察の巡回さえ避けてしまえば、アロイテは簡単に中層に辿り着く事が出来る。
中層に入れば、路地裏で元のよそ行きに着替え、制服を打ち捨てれば仕事は終わりだ。
僅かばかりの報酬を握り締めて、アロイテは中層から下層に移動する。
元締めは儲けを得て、使い捨ての下働きはその儲けからかけ離れた、僅かな報酬しか得る事が出来ない。
そのシステムを知りながらも、アロイテはそこで働くしかないのだ。
貧民街の、使えないガキ。
そんなイメージが先行し、中層で働くことは出来ないのだから。
産業のない下層では違法な働き口しかなく、アロイテのような子供は最悪別の犯罪に利用されるからだ。
「よかった.....」
家に辿り着いたアロイテは息を吐く。
もし、途中で捕まっていたら。
中層の路地で絡まれていたら。
下層で、ラウルとクレイのどちらかに絡まれて、報酬を巻き上げられていたら。
それらの想像が、現実のものにならなくてよかった、という話だ。
アロイテは将来に備えて、家の壁に金を隠していた。
彼女は金がある事を隠し、知識がある事を隠し、女である事を隠す。
全ては誰かに強要されないため。利用されないため。
それは意図して行っていることではない。
だからこそ――――彼女には、才があった。
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