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白雪に染まる  作者: ゆうと
四段昇段~デビューまで
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第1話「中学生プロ棋士、2人誕生」

 将棋。

 81マスの盤と40枚の駒を用いて行われるボードゲームの一種であり、平安時代までには既に原型が存在し、室町時代には今にも通じるルールが形作られていったとされている。江戸時代初期に幕府によって将棋の名人が正式な役職として認められ、詰め将棋と呼ばれるパズルの棋譜を幕府に献上することが慣例になるなど古い歴史を持つ遊戯だ。

 そして幕府が崩壊し、大正時代に東京将棋連盟(日本将棋連盟の前身)が結成されると、将棋及び将棋指しを取り巻く環境は大きく変わる。江戸時代の名人制度を源流とする名人戦の誕生を皮切りに次々とタイトル戦が始まり、頭脳スポーツのプロ競技として将棋指しはプロとしての地位を確立するようになった。


 それに合わせて、プロの棋士として認められる条件も明確に定められた。

 育成機関である新進棋士奨励会で所定の成績を収めて四段に昇段した者、もしくはアマチュア・女流棋士としてプロ公式戦に参加して所定の成績を収めた上で編入試験に合格した者のみがプロ棋士を名乗ることが許される。それは非常に狭き門であり、年齢制限という壁もあり多くの名も無き将棋指しが涙を流して奨励会を去っていった。

 プロへの道がそれだけ険しいこともあり、若い年齢でプロ棋士となった者はそれだけで一目置かれるようになる。特に中学生でプロとなった者は別格であり、将棋界の最高峰である“名人”を獲得し将棋界を牽引する存在になることは確実と言われるほどだ。

 中学生でプロになった者は、四段からプロになる制度が確立してから100年余りで僅か数名。10年から20年に1人という実に希少な存在であり、中学生プロ棋士が誕生したというだけで将棋界を飛び越えて世間にも大きなニュースとして報じられるほどの熱狂が生まれる。


 だからこそ、今日この日の記者会見がこれほどまでの熱を帯びているのも当然といえる。

 それほどまでに珍しい中学生プロ棋士が、一度に2人も誕生したのだから。



 *         *         *



 20××年9月、東京の千駄ヶ谷にある将棋会館。

 将棋の棋戦を主催する日本将棋連盟の本拠地でもあるこの場所は、普段はプロ棋士や女流棋士の対局が行われたり、一般人向けの将棋教室が開催されたり、将棋関連のグッズも販売されているのだが、今日は新たなプロ棋士を決める“三段リーグ戦”の最終戦がつい先程まで行われていた。


「新四段、目線お願いしまーす!」

「すみません、笑顔くださーい!」

「ガッツポーズお願いしまーす!」


 そして現在、会館の一室にて記者会見が行われている。主役は新たに四段となりプロ入りが決定した2人の新人であり、2人に指示を出すカメラマンの声が飛び交い、シャッターを切る度に小気味良い音と強烈な光が2人に浴びせられている。壁のようにズラリと並んだカメラマンが一斉に何十枚も撮り続けるせいで音も光も途切れる暇が無く、2人は常に巨大なライトを向けられ続けているような状態だ。

 今は写真撮影の時間であるが、それが終わったら質疑応答の時間に移ることになっている。なのでカメラを持たない記者は息を潜め、そのときが来るのを今か今かと待ち構えている。


「何だか凄い騒ぎですね。いつもこんな感じなんですか?」

「まさか。いつもはもっと静かだよ。――まぁ、これだけ騒ぐのも無理はないけどね」


 その中の1人、他の記者に比べるとかなり若い部類に入る女性記者・三澤の質問に、白髪混じりの男性ベテラン記者・広瀬がそう答えた。

 その視線は、カメラマンの壁の向こう側に立つ2人に釘付けとなっている。

 まるで、その光景を一生忘れないため目に焼き付けようとするかのように。


 王の駒を象った、腕で抱えるほどの大きさをしたオブジェを互いに支えてカメラに視線を向ける2人の新人プロ棋士。

 記者から見て右側に立つのは、同年代と比べると幾分か身長が低く、将棋よりもスポーツの方が似合う活発な見た目をした少年。カメラマンから指示がある度に笑顔を浮かべてはいるものの、弧を描く口元はどうにもぎこちなく、その目つきは若干の鋭さを帯びている。

 そして記者から見て左側に立つのは、その少年と同じくらいの背丈をした少女。肩に掛かる長さの黒髪に黒縁眼鏡という見た目の彼女は、少年とは対照的に終始落ち着いた笑顔なことも併せて優等生然とした印象を受ける。


「左の女の子が白鳥雪姫(しらとりゆき)、13歳9ヶ月。右の男の子が黒羽歩(くろばあゆむ)、14歳4ヶ月。学年基準ならどっちも中学2年前期で最速タイ、年齢なら白鳥新四段は最年少だ。しかも彼女の場合、女性初のプロ棋士という称号も付いてくる。間違いなく、今日は将棋界の歴史に残る日だよ」

「えっ? 女性の棋士なんて何十人もいるじゃないですか。私、その人達の取材に行ったことありますよ」


 女性記者の言葉に、先輩記者は呆れるように溜息を吐いた。いくら彼女が最近異動してきたため将棋に関する知識に疎いとはいえ、取材する側がそのようではあまり宜しくない。


「君が言ってるのは“女流棋士”だ。“プロ棋士”と呼ばれる者達とは別の制度によるもので、ハッキリ言ってプロ棋士よりもハードルは低いんだよ。彼女は今まで女流棋士が乗り越えられなかったハードルを初めて乗り越えた歴史的な存在でもあるわけだ」

「ってことは、これから彼女が戦うのは全員男というわけですか。圧倒的な男社会の中で女性1人戦うってのは大変ですね」

「別に大変なのはそこじゃないさ。これからあの2人を待ち受けるのは、天才中の天才と呼ばれる者達がその才気の全てを捧げて得た技術や知識を真正面からぶつけてくる、一切の誤魔化しの利かない勝負の世界なんだからね」


 広瀬の言葉に、三澤は改めて新四段の2人に目を向ける。

 普通に考えたらまだまだ遊びたい盛りの、それこそ将来のことなんて眼中に無い方が圧倒的に多い年代において、既に自分が生涯を掛けて取り組む仕事を決め、見えないゴールに向かって突き進むことを決めた1人の少女と1人の少年。

 そんな2人の姿に、女性記者は頼もしさと、そして一抹の寂しさを覚えた。





「やあやあお疲れ2人共! バッチリ決まってたよぉ!」

「お疲れ様です、会長」


 記者会見を終えて控室に戻ってきた雪姫達を出迎えたのは、日本将棋連盟の現会長である源義貴(みなもとよしき)九段だった。

 御年55歳でありながら順位戦ではA級に次ぐB級1組に長らく在籍し、下位クラスから上がってきた者が名人に挑む実力を持つか見極める“門番”として君臨している。しかし普段は勝負師としての抜き身の刀のように鋭利なオーラは鳴りを潜め、雪姫を始めとした奨励会員にも明るく接する気の良いおじさんだ。


「白鳥ちゃん! 記者からの受け答えもバッチリだったし、笑顔も決まってたよぉ! これなら明日の新聞の一面も映え映え間違い無しだな!」

「えっと、ありがとうございます。何だかまだ、本当にプロになった実感が湧かなくて……」

「大丈夫だって! みんな最初はそうだから! 君は気兼ねなく、今まで通り将棋に取り組んでもらえればそれで良いから!」


 会長はニコニコと満面の笑みでそう言って、ハハハと豪快に笑った。如何にも機嫌が良いといった感じの会長に、雪姫は機嫌が悪いよりはずっと良いと分かっていてもむず痒そうにそわそわと身を捩じらせる。

 彼がここまで機嫌が良いのは、ひとえに今回の会見が世間からの関心を大きく集めているからだろう。タイトル戦を開くにもスポンサーからの支援が欠かせない連盟にとって、雪姫達のように知名度の高い将来有望な若手といった存在は有難いに違いない。


「ちょっと会長!」


 と、2人がそんな会話を交わしていると、もう1人の新四段である黒羽が突如割り込んできた。如何にも機嫌が悪いといった感じで会長に詰め寄るその姿は、今まで溜め込んできたものが爆発したかのような勢いがあった。


「おう、黒羽くん。君もお疲れだったね」

「会長! 俺だって凄いですよね! 中学生でプロ棋士ですよ!」

「んん? そりゃまぁ、凄いわな。その年齢でプロになれる奴なんてほとんどいないぞ~」

「だったらなんで、俺はコイツのおまけ扱いなんですか!? 今日来てた記者もみんなコイツ目当てで、俺なんてついでとしか思ってない奴らばっかりでしたよね!」


 黒羽はそう言って、コイツこと雪姫をビシッと指差した。あまりの勢いに、彼女が思わずビクンッと肩を跳ね上げる。

 そして会長は、そんな彼に対して「あぁっと……」と苦笑いを浮かべる。


「いやいや、考え過ぎだって。確かに白鳥ちゃんは女性初のプロ棋士ってことで注目されてたのは事実だけど、黒羽くんだって同じくらい注目されてたのは間違い無いから」

「でも記者が最初に質問するの、決まってコイツからだったじゃないですか! その後に同じ質問を流れで俺にもしてくる、ってのがずっとでしたよ!」

「あぁ、まぁ確かにそうだったかもしれないけど……。でもまぁ、新四段の記者会見ってあんな感じだぞ? 三段リーグの1位から聞いて、次に2位に聞くって流れが」


 プロ棋士になるには奨励会と呼ばれるプロ養成機関で勝ち上がって四段になる必要があるのだが、その中でも最後にして最大の壁となるのが“三段リーグ”だ。

 半年間かけて18局を戦い、その成績の上位2名が新四段となる。それ以外にもプロとなる方法もあるにはあるが、それでも年間でのプロ入りはせいぜい4名から6名程度。将来を期待された有望株ですら三段リーグの沼に呑まれて何年も足踏みし、挙句プロになれず引退を余儀なくされる場合も珍しくない。

 そんな過酷なリーグを、雪姫も歩もたった1期で駆け抜けた。そのことも、今日の記者会見が熱狂した要因の1つである。

 ちなみに成績は、雪姫が15勝3敗で1位、黒羽が14勝4敗で2位。

 彼の最後の1敗は、最終戦で雪姫によって付けられたものだった。


「くそっ……!」


 黒羽はギリッと奥歯を噛み締めて、ギロリと雪姫を睨みつけた。今にも泣きそうなほどに悔しげな表情ではあるが、それ以上彼女に怒りをぶつけることはせず踏み留まっている。

 将棋というのは、謂わば“完全情報ゲーム”だ。自陣の駒の位置のみならず持ち駒の情報すら完全に公開されており、つまり不意打ちや騙し討ちといった状況が存在しない。将棋で相手に負けた場合、それは完全に自分のミスによるものである。

 黒羽もそれを分かっているからこそ、悔しいという感情はあれど悪戯にそれをぶつける真似はしない。将棋指しの端くれとしての、彼なりの矜持というやつだろう。


「…………」


 もっとも、恨みがましく睨みつけられるだけでも、雪姫からしたら居心地悪いことに変わりない。思わず助けを求めるように会長へと視線を向けるが、彼は苦笑いで首を横に振るのみで助け舟を出してくれない。


 ――誰でも良いから、この空気を変えてくれないかな……。


「何や、えらい贅沢な悩みやなぁ」

「――――!」


 後ろから、それもかなり近い場所からふいに聞こえてきたその声に、雪姫は反射的にバッと後ろを振り返った。

 そこにいたのは、切れ長の両目と口を弧に描いて笑みを浮かべる少年だった。身長こそ高いものの体躯は細いためか、大柄で威圧感のある印象はあまり無い。


「おぉっ、塩見くんか!」

「こんばんは、会長。――雪姫ちゃん、四段昇段おめでとう。あっちゅう間に駆け抜けてもうたなぁ、さすが雪姫ちゃんや」

「えっと、ありがとうございます……」


 元々浮かべていた笑みを更にパッと華やがせて、その少年・塩見楽(しおみらく)三段は賛辞の言葉を雪姫に贈った。――すぐ傍にいる歩のことなど、まるで視界に入っていないかのように。

 彼は現在、17歳の高校2年生。雪姫や歩と同じタイミングで関東の奨励会に入り、三段リーグは今回で2期目。方言から推察できる通り実家は京都の老舗の呉服屋であり、関西の研修会で将棋の腕を磨いてきたのだが、奨励会を受験する際に親戚の家に居候してまで関東本部に鞍替えしたという異色の経歴の持ち主だ。


「いやぁ、今期は惜しかったなぁ。今日2連勝できとったら、雪姫ちゃんの隣に立って記者会見を受けとったのは、そこの黒羽くんちゃうくて僕やったのになぁ」

「……塩見、俺はもう四段でプロなんだぞ。その呼び方は止めろよ」

「何や、えらい怖い顔やん。正式には、四段に昇段するんは来月なんやけど」


 挑発としか思えない塩見の言葉に、黒羽はますます目つきを鋭くさせた。

 ちなみに塩見の発言は、紛れもなく事実だった。リーグ最終日である今日を前にして、雪姫と黒羽は3敗で並び、塩見は4敗。3敗同士の2人が直接対決によって必ずどちらかは4敗となり、仮に塩見が2連勝すると4敗同士で並ぶことになるのだが、その場合は前期の成績によって決まる順位が上である塩見の方が新四段に選ばれていたのである。


「そやけどまぁ、僕にとってはえぇ思い出になったわ。何てったって、三段時代の雪姫ちゃんに土を付けた僅か3人の内の1人になれたんやさかいね」

「あのときの塩見さん、凄く強かったですもんね」

「いやぁ、雪姫ちゃんが相手やさかい張り切っとったのか、いつも以上に勘が冴え渡っとった気ぃしたわ。――まぁ、それで気力を使い果たしたのか知らんけど、そこから一気に3連敗したんが痛かったわ」


 僕もまだまだ修行不足やなぁ、と塩見はあっけらかんとした様子で笑い声をあげた。そんな彼に対し、雪姫はどう反応したものか分からない苦笑いで、会長は将来有望な若手の存在に満足そうな笑顔で、そして黒羽は先程よりも明らかに機嫌を損ねた怒り顔を向ける。


「僕も今以上に頑張れる気ぃするわ。来期で四段に昇段してみすさかい、そのときは宜しゅうな」

「はい、楽しみにしてます」

「いつかタイトル戦で一緒になれるとええなぁ。そのときは実家からとびきり綺麗な和服を贈ったるさかいな。――そっちもプロになったときは宜しゅうな、黒田歩新四段くん?」

「……ボコボコにしてやるから覚悟しろよ」

「おぉ怖い怖い。――じゃ、僕はこの辺で。会長、ほな、失礼させて頂きます」

「おう、塩見くんも来期は期待してるぞ」


 散々掻き回すだけ掻き回して、塩見はヒラヒラと手を振って部屋を出ていった。

 そんな彼の背中を、黒羽は今にも怒りを爆発させそうなほどに体をプルプルさせて睨みつけていた。

 雪姫はそこで初めて、彼の怒りの矛先が自分から塩見に移っていることに気が付いた。


 ――もしかして、私を助けてくれた?


 チラリと、会長に目を向ける。

 会長は何も答えず、苦笑いを浮かべるに留めていた。

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