仕方ない。
三題噺もどき―さんびゃくななじゅうご。
ガタン―、ガタン―、ガタン―、
一定のリズムで揺れる電車。
それに合わせて、体も少し上下する。
それが心地いいと思ってしまい、気を抜けば沈んでしまいそうになる。
そんな自分をどうにか起こし、家路を揺られている。
「……」
抵抗しても瞼は重く、ほとんど開いていないようなものだった。
他人から見たら寝ているようには見えるかもしれない。
頭は落ちているけれど、手に携帯を持っているわけでもない。
肝心の目元は長めの髪でおおわれてしまっている。
膝の上に置いている掌は、動きそうにもない。
「……」
左側にある窓からは、外の光が入り込む。
目潰しでもされている気分ではあるが、おかげで眠気覚ましの助けにはなっているので、何とも言えない。
「……」
車内を照らすその光は、朝日だ。
朝日が目に染みるなんてものを、こうやって体感する日々である。
慣れないのがまた不思議なところだ。ほとんど毎日のように、こうして朝の電車に揺られているはずなんだけど……。
「……」
あぁ、でも。
帰宅するときは、毎回というだけで、毎日、ではないのか。
帰宅できないときは、日の目を見ることがないから。
慣れないのも当然か。
「……」
ときおり、朝日に照らされた左目が震える。
この現象の鬱陶しい事といったらこの上ない。
疲れて、疲れ切っているのに、うざったいのだ。
「……」
この電車にだって、這う這うの体で乗ったのに。
家にたどり着いても、死んだように眠ることしかできない。
それぐらい、疲れている。
それぐらいが、当たり前の日々になっている。
「……」
ガタン―
と、一際大きく電車が揺れたと思えば、小さくアナウンスが鳴る。
そろそろ次の駅なのだろう。
まだ降りるところではないはずだ。
こういう時、終点が最寄り駅というのはありがたいものだ。
だからといって、寝過ごさないわけではないので、しかと起きて居なくてはならない。
「……」
キ――!!
という悲鳴が聞こえ、体が傾く。
おかげで少し目が冴えた。
数秒程して、扉の開く音が聞こえる。
「……」
同時に、駅のホームからざわめきが車内へと飛び込んでくる。
先に降車する乗客がそそくさと降りていく。
その後、乗車する乗客がぞろぞろと乗り込んでくる。
「……」
幾重にも重なる足音。人々の話し声。ホームから聞こえるアナウンス。隣の電車のブレーキ音。ゆっくりと動き出す音。ガタガタと荷物を置く音。バタバタと走りこんでくる音。発車を知らせるアナウンス。次の電車の時間を知らせるアナウンス。人々のささやき声。小さく聞こえる笑い声。本をまくるような音。鞄のチャックを開く音。スマートフォンの通知音。遠くに聞こえる赤子の鳴き声。近くで聞こえる大人の笑い声。
「……」
いつもよりも騒がしと、軽く周りを見渡すと。
制服を着た学生の集団がいくつか出来上がっていた。席の後ろにも座っているようだ。通路にも立っている。それに混じってスーツ姿の人間もいる。
「……」
楽し気な会話。小声で話す、そのささやき声が耳に飛び込む。
ざわざわと周りの音と重なって、何度も響く。
「……」
少しずつ大きくなる音は、延々に脳内に響き渡る。
ざわめきの隙間から、別の音すらも聞こえてくる。
ここで聞こえるはずのない音。
「……」
仕事をしているとさらされる音。
キーボードを叩く音。一定のリズムで響く音。
急かされるように耳の中で増幅され、自分もキーボードを叩く。
音がさらに大きくなる。キーボードの音に混じって、会話が聞こえる。
小さな笑い声が聞こえる。
「……」
プシュ―!!!
音をかき消すように、扉の締まる音が聞こえる。
「……」
それでもこびり付いた音が、響き続けている。
ざわめきとキーボードを叩く音と歩く音と笑い声と怒鳴り声とささやく声とキーボードを叩く音と電車の音と笑い声と歩く音と鳴き声とキーボードを叩く音と。
「……」
慣れたことではあるけれど。
慣れてしまった事ではあるけれど。
疲れることには疲れるのだ。
「……」
まだ限界ではないと思っているんだけど。
どうなのかなぁと思わなくもない。
過去にもいろいろとあったせいで、そういうものに鈍く生きてきてしまったから。
どうにも、限界が分からない。
「……」
だからと言って、どうにもできないし。
その術も知らないし、与えられていないから。
いアマの状況を受け入れるしかできないから。
そうしていくしかない。
「……」
仕方ない。
生きるには。
お題:左目・制服・キーボードを叩く音