第二章 ヒトキリ 2
「それで、あんたたちはこの辺りに住んでるのか?」
均等に街路樹が植えられた歩道を歩きながら、仁が訊いた。
あの後、襲ってきた男達はあの場に放って置くことにした。鷹道が言うには、普通の人間なら目が覚めると斬られた記憶が消えるらしい。
なんとも危害を加えたつばめたちにとって都合のいい話に聞こえるが、あの場でじっと彼らが目を覚ますまで待ち、無事記憶が消えているか見守るのも気持ちが悪いので、止む無く彼らの後について歩きだしたのだ。
「もしかして、新築のマンションか?」
新緑の青葉が外灯の光で照らされており、その向こうに聳える巨大な黒々とした影を、仁は指差した。
この辺りで建築ラッシュが続いているマンション群だった。建築途中のものもあり、建物の上で無言のままのクレーン車が無骨な腕を上げている。
「違う」
つばめがぼそりと答えた。
「じゃあ、どこに? 東区とか?」
「この町には住んでない」
「まさかと思うけど、観光でしょうか?」
すると、鷹道がうんざりしたような短いため息を吐いた。
「……俺たちは家出してんだ」
「はあ? 家出兄妹!?」
「声がうっさい!!」
間髪入れず、つばめの鋭いチョップが背骨に打ち込まれる。びりびりとした激痛が全身を走った。
「が、ぐう……」
痛みを堪えながら、そっちの方がうるさいわ、という言葉を仁は必死に飲み込んだ。
「どういう事情かは知らないけど、じゃあ、どこか友達の家とか、ホテルにでも泊まってるのか?」
すると、つばめと鷹道は無言になった。しばらくして小さくつばめが首を振る。
「今日来たばかりだから。今から泊まるところを決める」
「ふうん」
仁はつばめを目を側めて見る。
今日初めてここに来たということは、まだこの辺りに土地勘がないのだろう。家出している事情がどういったものなのか、こんな二人を前に仁には計り知れないが、ともかく、家に帰れないというのならば、彼らにとって耳寄りな情報を話してやるのも悪くない。
「駅前に、安くていいホテルがあるぜ。部屋は少々狭苦しいが、一応一人分なら悪くない」
「何!」
つばめが目を見開いて反応する。
「いくつか休める場所は知ってるが、あそこなら値段もそこそこでくつろげるはずだ」
「へえ……」
今度は鷹道が声を漏らした。
「まあ、他にももっと安上がりに済ませる方法ならいくつかあるぜ。ネットカフェで身を縮めて眠るとか」
「いや、普通のホテルがいい」
「だったらついでだ。僕が案内してやるよ」
言いながら、仁は本当に我ながらお人好しな人間だと自嘲して笑った。先ほどからあれこれ破天荒な振る舞いを受けているのに、こんなに小さくて儚げな女の子(少々、乱暴だが)が、今夜の宿をまだ見つけていないという事実を放っては置けなかったのだ。そもそも、自分は夕飯の支度という目的だって果たしていないのに、だ。
もちろん、まだ刀や彼らについて聞きたいこともあったことは否定しないが、それを差し引いても、お釣りがくるくらい行為だろう。
「本当か、腑抜け!」
つばめが目を輝かせる。
「うれしそうにそれを言われると、マジで傷つくな」
「なら、案内を頼むとするか」
小瓶の中の鷹道が満足げに言って、
「いや、ちょっと待て」
と急ブレーキをかけた。
「何だよ?」
怪訝な顔をした仁に、彼は歌うように調子をつけて言う。
「小日向、小日向、お前も考えたな。下衆は下衆らしく、頭を使えるってことか?」
ぷつん、と脳内で音がする。仁の中で何かが崩壊したのである。激しい砂埃が立ち上る。
「おい、いい加減にしろよな。どこまで人を罵倒すれば気が済むんだよ。こっちは善意で教えてやろうってんだよ。瓶、割るぞ」
「腑抜け! もう一回言ってみろ! 頭、叩き斬るぞ!」
ぐいとつばめがひどい剣幕で睨んでくる。何だよ、悪いのはそっちだろう。
「まあまあ、やめておけ。それじゃあ話が続かん」
「じゃあ、お兄様。その話の続きを聞かせてもらいましょうか?」
「うむ。小日向は、俺たちをその宿まで案内してどうするつもりだ?」
「どうするって、それだけだよ。別に変な場所に連れて行くわけじゃない。極めて善良でホテルのホテルたる定義から一ミリも逸脱していない、由緒正しきホテルさ」
身の潔白を証明するように、仁は胸に手を置いてそう宣言した。しかし、不満を伝えるように瓶の中の光は膨張する。
「違う、俺が聞きたいのは、その後だ。俺たちを案内した後、お前はどうする?」
それなら当然決まっている。
「家に帰る、夕飯の支度する」
「嘘をつけ」
にべもなく鷹道が否定する。そのあまりにもさっぱりとした態度に、怒りさえ通り越し、呆れた。
「僕はどうやら相当信頼されてるみたいだな」
「俺たちが泊まっている宿を警察に通報する気だろう」
「何でそうなる?」
仁はしかめっ面になる。まったくどこまでも面倒くさい連中だ。
「さっきからお前の視線がつばめの刀を見ていることは分かってる。危険人物だと垂れ込む気だろう?」
「そ、そうなのか? 腑抜け」
「だったらどうする?」
「俺たちはそのホテルには行かんということだ」
「はあ、英断ですね。人を疑いまくってせいぜい孤独な一生を送ってください。それでは」
人の親切をなんだと思って。
仁はこれまで困っている人間には極力手を貸してきたが、こんなひどい扱われ方をしたのは始めてだった。相手は理解不能な少女とふわふわ漂う人魂だとはいえ、さすがに我慢の限界というのものがある。
そう言い放って、くるりと方向転換した。
こうなれば、もう後は知ったことか。
「つばめ、回り込め!」
すると、かか、と短い疾駆の音がしたと思ったら、仁の目の前、進行方向を妨害する形で、つばめが立っていた。
むん、と冷たい視線で睨んでくる。どうやら仁を逃がしたくないらしい。
「なんだよ。好きなところに勝手に行けばいいだろう。僕は別に通報したりしない。それとも、口封じのために殺すのか?」
殺すという単語が出ると、鷹道は鼻で笑ったようだ。魂だけとはいえ、その表情が目に浮かぶ気がした。
「そんな血迷った真似はしない。だが、必要以上に俺たちのことを知ったお前を、このままはいそうですかと帰すわけにはいかんというわけだ」
「なら、口止め料か?」
「俺たちは汚職事件を犯した政治家とはワケが違う」
「じゃあ、どうする?」
すると、鷹道の声が意地汚く毒を孕んだ低音になる。
「そうだな。手っ取り早い方法は、常にお前の首を掻けるよう、お前を監視できる位置にいることだ」
「はあ?」
「問答無用だ。俺たちを、お前に家に案内しろ」