第二章 ヒトキリ 1
作者のヒロユキです。
ええと、以前までの内容を読んでいた方は違いが分かると思いますが、今回から残酷な描写ありの警告をつけました。
と言いましても、ここまでの話ではそれほどの内容はありません。これから書いていく中で、そのような描写が含まれる可能性が高いと思いますので(程度で言うと、それほで過激ではないと思いますが)、一応、前もって苦手な方のために警告をつけておきました
倒れた男達を引っ張って路側帯の内まで運びながら、仁が言った。
「本当に、死んでないんだな」
「お前、馬鹿だな。見れば分かるだろ。何度も言わせるな」
背後に悠然と屹立し、学ランを翻したつばめが呆れたように言う。彼女の傍らにはすでに彼女が運び終えた男が道端の石を枕に無様にも気絶していた。
「普通、あんな斬撃をもろに喰らったら、上半身と下半身、綺麗さっぱり分割だ」
綺麗さっぱり上下に分割された人間など、人体模型ですら少々遠慮したくなる映像が浮かんだが、確かにつばめの言う通り、二人の男は五体満足だった。予想に反して、腹部からおびただしい出血があるとか、持ち上げたら、内臓がはみ出した、などというグロテスクな展開にはならなかった。
人間の解体ショーなんて、目の前で見せられるのは一生御免だが、しかし……。
仁は男を運び終え、隣の彼女をしげしげと観察する。服が涼やかな夕風になびくたびに、ちらちらと見える、彼女が背中に隠した物騒な代物。
先ほど、彼女が乱暴な男たちを粛清した鋭利な凶器の先端が服から覗いているのである。
いくら人を傷つけていないからと言って、こんな危ないものを持ち歩いている少女を放っておいてよいのだろうか。否。仁はそれを強く拒絶する。
「よく分からないけれど、放っておけば目が覚めるんだな?」
「そうだ。彼らは今、一時的なショック状態にある。つばめは彼らのカゲを切り取った。それなりの衝撃はあるんだ」
「そのカゲっていうのは、なんだ?」
彼らの口ぶりから推測するに、どうやらそれは今仁の背後に横たわっているものを差しているわけではなさそうだ。
「簡単に言えば、人の中にある邪悪の根源みたいなもんだ。詳しくは俺たちも知らない。まあ、どんな人間であれ、悪の部分は多かれ少なかれ、持っている」
「うん」
仁は頷く。その前提を否定するつもりはなかった。
「その多かれ少なかれ持っている悪の塊を、この太刀影は斬り取ることが出来るんだよ。人の身体を斬ることなくな」
「どうやって? 手品か?」
すると、呆れたのかつばめが鼻であしらった。
「ふん、どうせ腰抜けに説明したところで到底理解できるほど高尚な頭脳は有してないでしょ」
「初対面の人間に喧嘩を売っているんですね? そうなんですね?」
「まあ、早まるな。小日向、結論を言ってしまえば、俺たちにもよく分からないということだ」
「ということは、あなた方はそんな意味不明で理解不能な力を持った刀を振り回してるってことですか?」
「大丈夫だ、低脳。罪なき一般人に危害は加えない」
「いや、そんな暴言を平気で吐ける人間の言葉は信用できない」
「そろそろいい加減にしろ!」
鷹道が大声で制す。すると、空気に電流が走ったように仁とつばめは凍りついた。まるで見えない手に首根っこを掴まれたような有無を言わせない一喝だった。つばめと仁は見つめあい、すぐに俯いた。
「刀の説明に戻るぞ」
「は、はい」
「この刀、太刀影だが、人の『カゲ』を斬れば斬るほど強くなる。能力が上がる。つばめの動きを見れば分かるだろう? 単純な修行じゃあ、あそこまで軽々と跳び回れない。つばめの潜在能力を引き出した上でさらに力を加えているんだ」
「でしょうね。あんな馬鹿みたいな動き、普通の人間じゃ無理だよな」
すると、仁は急にみぞおちに衝撃を感じ、痛みに呻いた。
「ふぐっ!」
どうやら、つばめが繰り出した右ストレートが仁の腹部に命中していたらしい。
「うっさい、腑抜け。もう一回馬鹿って言ったら次は後頭部だからな!」
よっぽどもう一度戦闘態勢に踏み切ろうかと迷ったが、小瓶の中の視線が気になり、投げつけるべき言葉を飲み込んだ。ここは穏便に済ませるべきだろう。
「……すいません」
「ハハハ、小日向、災難だな。だからさっき忠告しただろ。妹を怒らせると怖いぞ」
小瓶の中の青年の声は快活に響いたが、仁はそんな明るい気持ちにはなれなかった。後頭部を刀なんかで小突かれたら、本気で再起不能になるかもしれない。再起不能が示すのは死。従って、笑えない。
「ところで腑抜け」
「あのう、なんだか当たり前のように言ってるけど、僕の名前は小日向仁なんですが」
「本当に刀のこと、何も知らない?」
彼女は長い髪の下からあの鋭い目で見上げてきた。
「知らないって」
首を強く振って否定する。その事実は神にだって誓えるほどだ。
しかし、つばめは仁の表情をのぞきこむ形でぐっと顔を寄せた。
「何にも? 昔話みたいなものでも? 家に伝わっている宝みたいなものは? 親は剣道道場やってたりしない?」
目の前にそうい言い寄る少女の顔があり、どぎまぎした仁は言いよどむ。ふわりとオレンジのような甘酸っぱい香りが近づいた。こういういい匂いがするところは、やはりクラスメイトにいるような普通の女子を思わせた。
「ぜ、ぜ、全然。鑑定士に見てもらうような家宝もなけりゃ、親はいたって特筆すべきこともない普通の人たちだよ」
すると、瓶の中の鷹道の光が風船のように膨らんだ。どうやら何かを考え込んでいるらしい。
「ううむ。じゃあ、じいさんたちが話してたのは本当だったんだな」
「やっぱり、大腑抜けね」
「あの、さりげに僕の名前が昇格してるんですが、マイナス方面に、あの、ちょっと」
しかし、仁の言葉には聞く耳を持たず、彼女たちは勝手に話を始めてしまった。二人だけに聞こえるひそひそ声だっため、止む無く仁は周囲を見渡す。
「……」
つい数分前、この場所でつばめと男達の決闘があったことなどなかったかのように、静かだった。
斜面の下の町並み、その中心部では帰宅ラッシュ時のため、すでに小さな光の渋滞がそこかしこで見受けられた。
騒がしい車のクラクション。友達の名前を呼んでいる子供。漂ってくる夕飯の匂い。
それを直に五感で受け止めると、仁はほっとすると同時に、胸の内に湧き上がる強い逸脱感に気付かざるをえなかった。冷静になれば、はっきりと実感する。
日常はそのままだ。では、自分が今体験している事態は、いったい何なのか。
刀の斬りあいを見た。この目で。
人の魂。不思議な刀。
実感が沸かなくて、ガードレールを強く掴んだ。
足元で寝そべる男達、悪者たちだ。
つばめはそいつらを斬った。成敗した。
黒い刀身を持つ刀で。超人的な動きで。
いささか……いささか非現実的すぎる。
全てがごちゃまぜになり、脳内で物事の常識基準が洪水を起こしていた。サイレンが鳴りっぱなしであり、いっそのこと蛇口を捻って全て出してやりたい気分だ。
すると、仁の中で、先ほどのつばめとの口論の記憶が急に遠のいていく。
懐かしき、幼き頃の夢想だ。それがモノクロで蘇る。
冒険と夢の世界だ。
小さな頃は、そういった現実から逸脱し不思議で奇跡的な世界は、遠く遠く雲の向こう、人間の手の届かない場所にあるものだと思っていた。自分では到底たどり着けない場所だと思っていたし、冒険の旅などをこっそりと夢見ていたのだが、実際にはそんなことはまず起こりえないと、自分に言い聞かせていた。
しかし、それは違った。
再び目の前の現実が、霧の中からぬっと顔を出す。
非現実的な世界は日常からこんなに近くあるものだったのだ。
これでは、予想以上に遠回りした感情も追いついてこないはずだ。
「あれ、そういえばあの女の人」
仁はあることに気がつく。
「何だ?」
「戦ってるときはいたような気がしたけど、どこにいったんだろ?」
どこを見渡しても、すでにあの女性の姿は見えなかった。その場から忽然と姿を消していたのだ。
「逃げたんだろ」
「そんなあっさり」
「逃げたんでしょ」
「……さいで」
つばめは腕を組みながらため息を吐いた。
「目の前に刀振り回す人間が現れたら、敵であろうが味方であろうが、普通、びびる」
「そう、だよね」
「動揺して、逃げ出すのは当然。自分の身を守りたいと思うのは、人間としての本能だから」
「つばめの言う通りだ。どっかの国の紛争地帯ならともかく、平和なこの日本の道の真ん中で、刀を振り回すのは奇人変人の類に見られる」
「警察に捕まるよ」
「馬鹿言え、さっきのは正当防衛だ。むしろ捕まるのはこいつらの方」
瓶の中の光は器用に形を変形させ、矢印型となり、背後の男達を指した。
「いやいや、それでも銃刀法違反で捕まるんじゃない?」
「細かいことは気にするな」
すると、いつの間に鞘から抜いたのか、目の前に黒い靄が見え、刃が鼻に当たっていた。つばめが出したのだろう。しかし、仁は先ほど刃を向けられた時よりは、動揺が少ない。
「これ、人を斬れないんだろ? もうびびらないよ」
にやにやと余裕を見せて笑ってみると、つばめは睨んできた。そこには草原を跋扈する猛獣のような強い威嚇を感じる。
「腑抜けに教えてやる。確かにこの刀は人を斬れない。でも、充分凶器には使える。有無を言わさず峰か柄で殴り倒せばいい。ほら、次は後頭部だったか?」
「遠慮させてください」
「おい、やめておけ」
そこで鷹道の声が割ってはいる。
さすがにこれ以上やらせては本当につばめが仁を殴りつけると思ったのかもしれない。仁も思う。この少女なら、やりかねない。
兄の言うことには従順なようで、つばめは無言で刀を仕舞った。
「ともかく、俺たちは他人を助けても、あまり有難がられる人種じゃねえんだ」
「そういうこと。分かった?」
「……やっぱり、俺は非現実的な体験をしているわけだな」
改めて確認し、仁は体の支えを失い倒れそうな気分だった。