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第一章 ハジマリ 1

 小日向仁こひなたじんは落ち着かない足で、前進してはまた後退の、無意味な繰り返しをしていた。


建設中のビルに隠れ、大きな長方形の影に覆われた、古い町並みの中。

 ランドセルを背負った小学生と思しき二人の少年が、とある民家の軒先でああでもないこうでもないと話をしている。


 仁にはそれが気になっていた。彼ら二人からただごとではなさそうな、そんな険呑とした空気を感じたからである。

 高校からの帰り道、友人たちと別れた後で、こうして挙動不審にも同じ通りの前を行きつ戻りつしているのはこういった理由があるのである。


「うーん」


 仁はちらちらと路地の入り口から見ているのだが、一向に二人の会話は終わらない。

 と、ふいに一人の少年が立ち上がった。その手には何か小さく蠢くものを抱えている。つぶらな瞳が民家のせり出した屋根の下を見ていた。


 ああ、なるほど。

 仁はようやく合点がいった。

 様子を見ようと、路地に足を踏み出した。今日は夕飯の食材を買いに行かなければならないのだが、今は後回しにしよう。


 見ると、手に何かを抱えた少年がもう一人に指示している。民家の玄関脇に立てかけられた脚立だ。少々錆びていて、頑丈そうには見えなかったが、指示された少年はそれを引き摺りながら、屋根の下まで持ってくる。それから足を開き、上に乗る準備をした。


「よし、今すぐに戻してやるからな」


 少年が元気付けるように囁きかける。

 彼が腕に抱えていたのはまだ鳴き声もひ弱なツバメのヒナだった。

 詳しく事情は知らないが、どうやら、民家の屋根の下にあるツバメの巣から、そのヒナが転げ落ちてしまったようである。


 きっとヒナは震えながら、誰かの助けを待っていたのだろう。

 そこにこの少年たちが通りかかり、救出しようとの会議をしていた、ということらしい。

 ぎしりと軋む音がし、少年が脚立に足をかける。ぐっと二三段のぼり、ヒナの兄弟が待つ巣に手を伸ばすのだが……届かない。危うくバランスを崩しそうになり、慌てて少年が脚立にしがみつく。


「くそう……後少しなのに」

「ケンちゃん。ジャンプしてみたら?」


 背後で脚立を支えている少年が名案とは言えない提案する。ただでさえ不安定そうな脚立の上でそんな行為をしては、転げ落ちるに違いないだろう。


「何言ってるんだよ。そんなことしたら俺が怪我するだろ?」


 少年も首を振る。

 仁はそこでようやく、仰々しくも咳払いをしながら、


「おうい、ちょっとそこのお二人さん」


 声をかけた。

 すると、怪訝な、というより、邪魔するなという怒りの眼差しが二人から向けられた。

 おお、こわこわ。


「ヒナを巣に戻してるんだろ?」

「そうだけど、お兄ちゃん何?」


 誰、ですらない、何、か。


「通りすがりの高校生。手が届かないなら、僕が戻してやるって」


 仁はツバメのヒナを渡すようにと手を伸ばした。二人は顔を見合わせ、頷き、一人が訊いた。


「出来るの?」

「僕の身長があれば、問題ないよ。ほら、ちょっと見せてみな」


 敵意がないと悟ったのか、少年は素直に従い、仁にヒナを手渡した。怯えているのか、それとも力尽きそうなのか、ヒナの鳴き声はやはりか弱い。体温も冷めている。

 早くしなくては。


 仁は脚立に足を乗せる。グギ。少々耐久性に難ありという感じだが、大丈夫なようだ。


「お兄ちゃん、その上だよ」

「そうそう、慎重にね」


 少年たちの熱い視線を感じながら、仁はヒナを乗せた手を巣へと伸ばす。

 巣は、親が不在なためか、ヒナの兄弟たちがかまびすしく鳴いていて、仁はえさを持っていないことを申し訳なく思う。

 しかし、今最優先すべきはヒナを巣に戻すこと。


「……よっと」


 届いた。

 軽く弾みをつけて、ヒナが巣の中にダイブする。すぐに兄弟たちの中に埋もれてしまい、どこに行ったのか分からない。

 だが、もうこれで問題はないだろう。


「お兄ちゃん、成功?」

「ああ、オッケーだよ。ヒナは無事に帰還した」


 報告すると、二人の少年はハイタッチで喜びを分かち合う。なんともほほえましい風景だ。仁の顔もふっとほころぶ。しかし、その時、脚立を支えていたはずの少年の手がなくなり、仁の足場は急速に不安定になった。


「うおっ……」


 完全にバランスを失った脚立に乗った仁は、民家の壁にたたきつけられてはごめんとその場から飛ぶ。


南無三なむさん!」


 次の瞬間には、見事、民家の屋根にぶら下がっていた。

 壊れそうな雨どいに手をかけ、もう片方の手が瓦を掴んでいる。なんとも不恰好な宙ぶらりんであった。通行人が見れば、馬鹿な高校生がふざけて屋根から飛び降りようとでもしたのだろうよ、とこぞって指差し、笑うに違いない。


「お兄ちゃん!」

「大丈夫!?」

「う、うーん。これはさすがに救出してもらうしかないな」

「待ってて、すぐに何かクッションになりそうなものを持ってくるから」


 今度は自分が大きなヒナになった気分だ。仁は返事をすることなく必死に頷いて、少年たちからの救出準備を待つことにする。

 少年たちの影が路地に消えていく。


 と、ふいに、頭上から物音がした。

 屋根の上に誰かいる?

 猫か何かだろうか。

 疑問に思った仁は力を振り絞り、懸垂しながら屋根の上に頭を出す。


 そして、見た。


「え?」


 屋根の上に伸びているビルの影、ちょうどその際で黒いかたまりが横たわっていたのだ。

 息をして、肩が上下している。

 日向ぼっこをする猫にしてはいささか大きすぎた。

 間違いない。

 それは人だった。

 学ランを羽織っている。

 男か?

 いや、そうではない。

 仁はすぐに否定する。


 微風が吹き、その人物の前髪を揺らした。そこに見えたのは、男ではなく、紛れもない少女の顔。


「あ……な、んで、こんなところに?」


 自分のベッドにするには、屋根の上は少々ごつごつしているような……ではなく!

 この少女、いったい何者なのか。

 この民家の住民だろうか。

 それとも、他人の家で昼寝をする不審者だろうか。


 声をかけようかと迷っているとふいに、その少女の瞳が瞬いた。

 仁は落ちないようにと屋根の上で踏ん張る。


「……騒がしい……」


 ぼそりと言って、彼女は身を起こす。


「あの、この家の人ですか?」


 勇気を出して、訊いた。

 少女の虚ろな目がぼんやりと仁を捉える。仁は仁で、その少女の姿を眺めた。

 彼女は体に不釣合いなかなり大きめの学ランを首もとのボタンを留めて羽織っているため、体の全体は見えない。が、すっと伸びた白い足は細く、裾から見える手もなんとも言えず、小さい。

 そこからずいぶんと華奢な体格が想像できた。


「……違う」


 少女は小さく短く仁の質問に答えたようだ。

 長い髪を払い、ようやく仁を見据えたその表情は、紛れもなく、世間一般から美しいと称されるに値するものだった。

 少し大きめの瞳と中央に通った鼻のバランスが綺麗だ。

 仁は息を呑む。

 偶然しがみついた屋根の上で、こんな美少女と出会えるなどと、夢にも思っていなかったのだ。


「えっと、それじゃ……」


 予想外のことに動転してしまった仁は慌てて次の言葉を探す。


「……昼寝の邪魔、するな」


 少女の冷たい声が仁に向けられる。どうやら寝起きはご機嫌ななめのようだ。


「邪魔する気はなかったんだけど」

「じゃあ、さっさ消えろ」

「生憎と、それは乗れない相談でございまして」


 仁の足がぷらぷらと宙を掻く。


「……容易いこと、落としてやろうか?」


 ぼそりぼそりとしか話してないのに、彼女の声は相手を圧迫し、支配するようなそんな重力を感じさせる。じとりと額に汗が滲み、仁は硬直した。

 一歩一歩近づいてくる。


「パンチがいい? それとも、キック?」


 驚くべきことに、選択肢を提示する彼女は無表情だ。冗談という雰囲気ではない。


「いえ、折角ですが、両方とも辞退という方向で」


 苦笑いを浮かべてみせるが、彼女は歩みを止めない。


「遠慮、するな。今日は特別に両方浴びせてあげる」

「ええ、そんなあ。結構です」


 そして仁まで、あと二三歩というところで、突然に不思議なことが起こった。何者かの声がどこからか、聞こえてきたのだ。


「おい、止めておけ。厄介ごとは起こすなと言っているだろう」


 仁はすぐに首を巡らし、声の出所を探ろうとした。男の声が確かに、どこからか響いたのだ。少女が立ち止まる。


「兄さん」

「兄さん?」


 いったいどこに?


「そこのお方、すいません。妹は何分血の気が多くて。少々喧嘩っ早いんです」

「ああ、大丈夫ですよ」


 いったい視線をどこに向ければいいのか、仁はともかくそう答えた。


「ほら、もう行くぞ。奴がどこかで活動を始めているかもしれない」


 再び、虚空から声が聞こえ、少女が頷く。そして、仁に何も言うことがないまま、くるりときびすを返すと民家の屋根の縁まで歩いていった。

 まさか、と思う。


「飛び降りるのか? 危ないぞ」


 が、言う前に、少女は飛んでいた。


「な!」


 仁が言葉を失ったのも無理はない。彼女は屋根の縁から常人では考えられない跳躍でもって、隣の民家に飛び移っていたのだ。

 そして、息つく間もろくにないまま、とたん、と跳躍。

 また次の屋根、屋根、屋根、ビルの上。

 リズミカルに加速しながら飛び跳ね、少女は仁の目の前から飛び去ってしまった。

 どうやら、少し先の竹林の方向に向かったらしい。


「……」


 呆気にとられ、ぽかんと口が開いた仁。

 その手に込められていた力がなくなり、


「あ!」


 と、瓦の表面を滑る。

 不覚。

 屋根から落ちる。

 身が宙を踊り、半回転をしながら地面に叩き付けられ……なかった。

 ぼふんと、柔らかな衝撃がある。


「ふう、何とか間に合った」

「大丈夫? お兄ちゃん」


 どうやら、その辺りに放り出してあった古いマットレスを敷いてくれたようだ。体がバウンドしている。


「ああ、怪我はしてないみたいだ。助かったよ」


 だが、そう言う仁の顔に安堵の色はない。視線はすでに先ほど屋根を飛び越えていった少女が消えた方向に向かっている。

 ただならぬ気配を察知したのか、少年たちも不安そうな顔をした。


「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、な」

「何が?」

「いや、君たちには関係のないことだ。ツバメの救出、ご苦労様。ほら、もう日が暮れるぞ。気をつけて帰れよ」

「うん」


 二人は素直に応じ、バイバイと手を振る。


「じゃあね。お兄ちゃん」


 彼らの姿が通りの向こうに消えていくのを見送ると、すぐさま仁は駆け足でもと来た方向へと向かった。

 夕飯のことはすでに頭になかった。



 あの少女。

 仁は口の中に苦味が生じたように、顔をしかめる。


「ただ者じゃねえな」

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