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電波猫のお仕事  作者: おばば
鉄器時代編
98/128

98.神獣と月

 既に雪解けが始まりつつある。蕾を付け始めた梅が残雪の中で鮮やかな紅色に輝いている。珍しく雪雲が晴れて、視界が広い。かつて崩壊した後、大きく抉れた傷もそのままの大山が遠く見える。彼の山に比べれば、私の生の長さすら瞬きの様なモノなのだろう。

 目を眇める。簡易催眠が作動して、視覚が増強される。まだ積もる雪の下、のたくった蛇にも似た地形。なる程、崩壊の後にも溶岩の流出があったのか。それでもかつての姿を取り戻すには足りないか。いや、そう断じるのは早計か。かつての威容を取り戻すまで、これからも噴火がある事を危惧することも必要だろうか。

 大きく窪んだ山体。我らの里を満たす水の給原地。かつての災害の傷痕。

 様々な思いが錯綜する。

 それでも、その姿は美しい。

 ハラハラと粉雪の舞う中、豪奢な館に入れば、待ち受けていたように朝雲達が出迎えてくれる。その顔に満ちるのは恐怖と紙一重の覚悟の色だ。

「トラ様、わっちらは覚悟を決めました」

 粉雪の舞う中で訪れた私を、艶やかな長髪をバッサリと切り落とした、遊女達が出迎えてくれる。

 呆気にとられる私に、畳み掛けるように彼女等は言う。

「わっちらを連れて行って下さいまし!」

 そう言って、一斉に頭を垂れる。

 覚悟を決めた者特有の臭いがした。ならば是非も無い。


 それから数日経った会合の席。私が口火を切る。朝雲達とのやり取りを簡単に説明した後。

「故に朝雲達は私が引き取る」

 努めて静かに、そう宣言する。

 阿呆の一人が反駁する。

「何故でございますか!?あの遊女達に子を孕ませれば里はより発展するというものを!?」

 予想していた反論である。それでも。

「ほう、ではお前は彼女たちを子を産む畑か何かと思っていると言うことか?」

 隠しきれない怒気が語尾を揺らす。それを自覚して、唾を飲み下す。落ち着け、と自分に言い聞かせる。

「………少し引いた目で見れば、彼女たちが里に溶け込み、交わることは私も賛成だ。何せ、今のこの里の男女比は極めて歪になりつつあるし、今後、それが進むことはあっても戻すことは容易ではない」

 私の言葉に阿呆を始め、弥源や里長も頷きを返す。それを確認してから、言葉を継ぐ。

「しかし、今すぐ、というのは如何にも性急だ。浮民と彼女等は違う。自由意志ではなく"買われて"やって来た彼女等に直ぐに男を宛がうのは、人身売買と同じ。つまり虎都での行いをこの里で繰り返すことと同じである。そのような事が目的ならば、私は力を貸さぬ」

 私の言葉に皆が響めく。それを首を傾げて問い糾す。

「当たり前であろう。弥源も里長も、現在のこの国が梅の理想とはかけ離れていると言った。それを糺すために私に助力を求めて、私はそれを受け容れた。その約定を破ると言うのであれば、私は去る」

 里長が、皆が、苦い顔をする。黙って聞いていた弥源が手元の手記を取ると、慌ただしくそれを捲る。ブツブツと何かを呟いた後に、顔を上げて声を張る。

「皆、聞いて欲しい。今のこの里に住まう"人"の財産を1としたときに、御神の財産がどれ程か、答えられる者はいるか?」

 凜としながらも、その声に焦りは無い。申し合わせたかのような話の持っていき方である。思わず、視線を送ると、悪戯げに微笑みを返す。

 暫くざわつく室内が落ち着くのを待ってから、弥源が答を明かす。

「御神の財は少なく見積もっても里の二千億倍、しかも御神の齎した医薬品や工芸品、農産物は勘案されていない。あくまで御神の拓いた耕作地と街道、里の家屋や上下水道整備だけで、これだけの差がある。それを皆は肝に銘ずる必要があるように思う」

 溜め息にも、或いは窒息する者の喘ぎにも似た声が響いた。

 なる程、貨幣経済とは恐ろしいモノである。富が、或いは形而上の力が、数字となって降り掛かるのだから。弥源の物言いに感心しつつ、そんな事を考える。すると、場を取り持つ様に里長が口を開く。

「………建前として、ではありますが」

 そこで一度、言葉を句切る。鋭い眼光をこの場に集まった皆に配る。その後で。

「彼女等は御神に仕える巫女として扱いましょう。その上で、納得せぬ者には、次の春に我らと浮民に分け与える御神の土地の代金として、彼女等を御神に売り渡した、と言いくるめる。そう言うことで如何でしょうか?」

 思わず、溜め息が漏れる。しかし。

「承知した。私の方でも朝雲達が里に溶け込めるように方策を練る。暫くは、里長殿の方便に乗らせて貰おう」

 面倒な事ではある。しかし、その手の詭弁が必要になったことは、人が、社会が進歩したことを如実に表す。それを喜ぶべきか、憂うべきか、今の私には判断がつかない。

 さて、決めるべきことは決めた。背中の春陽がグズり出す気配を感じる。そそくさと部屋を出ようとするところを弥源に呼び止められる。

「御神。先程の話ですが、少し続きがあります。会合の終わる頃に、戻ってきて頂け無いでしょうか?」

 私の耳元に顔を寄せて、その様な事を言う。

 承知した旨を伝えて、今度こそ部屋を辞した。


 夜半、人気の失せた集会所に戻る。

 既に夜空には星々が輝く時分である。背に負った春陽は規則正しい寝息を立てて、熟睡している。

 展開した魔力膜を解くと、ハラリと細かい雪が落ちた。

 その音に気付いた訳でも無かろうが、戸が内側から開けられる。顔を覗かせた弥源が私を招く。

「お待ちしておりました、御神。ご足労に感謝致します」

 室内は昼間の熱気が残っていて暖かい。まだ赤々とした光を放つ囲炉裏に、弥源が新たに薪を足す。その様子に、長い話になりそうだな、と少しゲンナリした。

「今日のお話は痛快でしたな」

 私の心中を知ってか知らずか、ヤケに楽しそうな声でそう言う。

「遊女達の色香に充てられていた者たちには良い薬になったでしょう。長の言葉に従い、清貧に暮らしていたと信じていた己達が、都の獣と同じ真似をしていると、御神自身が断じられた。あの後の彼等の醜態は見物でしたよ」

 喉の奥をクックと鳴らして意地悪く笑う。

「あまり意地の悪いことを言ってやるな。色香に迷った経験があるのはお前とてそうであろう?」

 まぁ、それもその通りですな。そう返す弥源に衒った様子は無い。春陽の父であるはずであるが、やはり、その事は知らされていないのか。

「して、御神。本題に入っても?」

 笑いを収めて、此方に向き直る。先程までの軽やかな雰囲気は既に無い。異論は無い、しっかりと頷き返す。

「今日の会合でも申しましたが、御神の財産、いえそればかりか、この里への貢献は凄まじい。我らはそれにどの様に応えるべきでしょうか。恥ずかしながら、我らの知恵でも力でも、御神に報いるには小さすぎる、それが私と里長殿の結論です。ですので、御神のお考えを伺いたい」

 あぁ、何だそんなことか。幾分ばかりか肩透かしを食らった気分だった。

 そんなモノは要らない、と気安げに返そうと弥源の眼を見る。


 その瞳に灯る炎の眩しさに、正気に返った。


 なる程、弥源は賢い。或いは里長とよほど議論を尽くしたのか。そうで無ければ。

「………………それは、梅の、梅雪君の入れ知恵か?」

 思わず、そう、問い直した。

 無言で頷く。

 なる程。

「………………もう一つ問おう。今の虎都に於ける不公平と不平等、これらの悪徳の根源もまた、私なのだな?」

 私の言葉に弥源は苦渋に満ちた顔を覗かせる。そして徐に頷いた。

「そうか。全く、名状し難い気分だな」

 苦い、苦い。一言が私の口から転び出る。

 しかし、そうであれば軽々に答える訳にも行かない。

 どうする。思考がめぐる。 

 脳裏にあの紫色の瞳を持った猫が。

「………弥源。かつてお前が私を探し出す為に持ち出した紫色の石、未だにその懐にあるな?」

 分かりきっている問いを放つ。

 懐に手を入れた弥源が、これでございますね、と魔晶石を取り出す。

「それを買う。値は同じ体積の金の百倍を付けよう」

 体積の量り方は知っているな、と念を押せば、それは大丈夫だと返す。弥源が手元の手記に何かを書き込む、しばし、唸るように頭を傾げる。

「ざっと、二千年といった所でしょうか。御神が明日から眠りにつかれれば、の話ですが」

「贋物でも構わない」

 畳み掛けるように、そう言い放つ。

「紫色狂いとでも触れ回れ。あらゆる贋物を集めればどうだ?」

「紫色はそもそも禁色ですからな、贋物と言っても数に限りがあります」

 即応する弥源に、この問答は既に想定されたモノと悟る。

「………お前、いや、お前達か。謀ったな?」

 何の事でございましょうか、と恍ける姿はなんとも空々しい。

 なればだ。

「………私を月に連れて行け………」

 絞り出した私の言葉に、弥源は阿呆のような間抜け面を晒した。

「………月、にございますか?」

「そうだ」

 即答する。

「そのための経費の全てを私の私財から捻出する。それでどうだ?」

 私の言葉に、弥源が窮する。

 パチリ、と薪が爆ぜる。

 長い、長い沈黙だった。しかし。

「分かりました。それが御神のお望みとあれば」

 折れたのは弥源だった。

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