97.神獣と朝雲
かつて、トラの家と呼ばれた家屋の傍に、異質な程に豪奢な館がある。朱塗りの柱、梁、壁に至るまで、あちこちに飾り彫りが施され、都の流行りと言う獅子を模した鬼瓦も猛々しい。紅殻や緑青によって鮮やかに彩られたその館は、一目見れば、まるで遊郭である。
と、言うよりも、である。その館の住人の多くが元は遊女であった事を考えれば、単に営業していないだけの遊郭と言えなくも無い。まぁ、それはそれとして。
「おーい、朝雲やーい」
勝手に玄関を開けて中に入る。展開していた魔力膜を消せば、積もった雪がサラリと落ちた。
春陽の頬に雪の一欠片が落ちて溶ける。冷たかったのか、ふえり、と小さく泣く。
よしよし、とあやしていたら館の主が起きてきた。
「……………何ですの、トラ?こんな朝の早くに………」
着崩れした寝間着のままで此方に近付いてくる。それにしても、陽が昇ってから既にだいぶ経っている。如何にもついさっきまで寝ていました、という風情に、胸中で溜め息をつく。仕方なし、元々が夜型なのだろう。
「少し見て欲しいモノがあってな、部屋に上がっても構わないか?」
私の言葉に朝雲は怪訝な顔をする。
「どうせ断っても入り込むのでしょう?良いですよ、お入りなさいな」
そう言って、私を部屋へ誘った。
部屋に上がり込んで早々に、持ってきたモノを広げていく。
それらの一つを尾で指して口を開く。
「お主らが欲しがっていたものの幾つか、試作品が出来たぞ。これは白粉の試作品だ。お前の目からはどう見える?」
私の言葉に、朝雲は胡乱げに手を伸ばす。小さな木箱の蓋を開けて中身を確かめる。
少し試しても?、と聞くので、頷きを返す。
指先で少量を取り、左手の甲に薄く塗る。ソレを矯めつ眇めつ見る。それに飽き足らず、指先に残る粉を軽く擦る。そうして幾分か検分した後に、話し始める。
「都のモノに比べて随分、肌触りが良いですね。それは良いと思いますが、少し色が暗いと言えば良いのか、いいえ、違いますね。これは青色が少し強いのかしら………」
青色か。なるほど。
「青は難しいな。私は元々、青色を識別出来ないから………」
私がふと、漏らした言葉に朝雲は驚く。
「そうなんでありんすか?」
「うむ、一応は分かるのだが。他の色に較べれば見えにくい」
そもそも猫は青色と灰色の区別が付かない。もっと言えば、明るい光も苦手であるので、白色の中の僅かな違いは正直な所、区別が付かない。
私が青色を認識できるのは、可視光線のスペクトルを簡易催眠が二次的に処理してくれているからだ。ただ、他の色とは違いバイアスが掛かっている分、分解能は落ちている。これまでの生活では特に支障は無かったが、化粧品などの微妙な色加減の調整は苦手である。
「まぁ、それは想定の内だ。此方に他の色の粉を用意したので、良い様に調合してみてくれないか?」
そう言って、他に用意した小箱を押し出す。
それらの一つ一つを朝雲が試していく。手の甲をパレットの様にしながら色味を調整していく。
「トラ。これはすごいわ………」
幾つかを試した後に、朝雲はそう呟いた。
どういうことだ、と訊けば、立て板に水を流すように語り出す。
「これ、使う時に色の調整が出来ると言うことでしょう?こんなの都でも手に入らないわよ」
ほら、こうすれば頬だけ赤味を入れることが出来る、そう言って紅殻の粉を混ぜ合わせる。
「………すまん。作っておいて何だか、何がすごいのかよく分からないのだが………」
そう言えば、朝雲はキッ、と音がするように目を吊り上げる。何だろうか、何か気に障ったのか。
まるで話について行けていない私に、滔々と諭す。
「女の肌の色は日によって違いやんす。体調が良くなければ少し暗く、逆に酒を召した後などは紅くなりんす。色を変えられると言うことは、その日の肌色に合わせて、変えられる。いえ、それどころか、肌色を欺くことすら出来るようになりましょう」
興奮した様子で語る。が、全く分からない、と言うのが正直な感想である。適当に聞き流した後に、問い掛ける。
「それで、どうだろうか。これには幾らの値が付く?」
私の言葉に朝雲は押し黙る。
極めて優雅に顎先に指をやって、小首を傾げる。その姿が余りにも様になっている。恐らくは体の髄まで洗練された所作が染みているのだろう。私のような獣ですら、そう思うのだ。人の男などはコロリと手玉に取られてしまうのだろう。
「白色だけ、この小箱だけでも銀流で5つ。ここにある色をすべて合わせて売るなら金河が幾枚の値になるでしょうね」
その言葉に驚愕したのは此方の方だ。
「………本当か?これ一式で並の遊女であれば十数人に値するぞ。いや、米換算ならこの里の皆の腹を満たして三年はもつ」
混乱した私の言葉に朝雲は淡々と返す。
「………………そう言うものでありんす。今の都というところでは」
絶句する。
行き過ぎた奢侈が今の世の歪さの源であるとは訊いていたが、女の肌色を整える以外に使い途の無い土塊に、そんな値が付くのか。
なる程、弥源や里長が危機感を持つ筈である。こんな物が人の命よりも重いなど、そんな道理は間違っている。
「分かった。しかし、そうであればこれはおいそれと流す事は出来ない。金河が動けば流石にこの里の存在が知れる、時が来るまでは数を絞ろう」
私の言葉に朝雲は複雑な表情を浮かべる。朝雲は金河3枚で売られてきた、元は太夫とまで言われた一級品の遊女である。己の命に値が付くとは、どの様な心地なのだろうか。私には分からない。
少し沈んだ様子の朝雲の前に、次の品を押し出す。
「これは新しい簪だ。前に言っていただろう?私の造るモノは質は良いが無骨だと、今回は少し趣向を変えてみた」
差し出したのは黄楊の木を加工した上で、漆を重ね塗りした物だ。それだけなら今までと同じであるが、今回は。
「………この根元の飾りは何ですの?虹色に光っている。琥珀や翡翠とも違いますね」
流石は朝雲である、目の付け所が違う。
「それは貝殻だ。螺鈿細工という」
貝殻、と聞いて、朝雲は短く悲鳴を上げ、簪を投げ捨てた。
予想通りの反応であったので、飛んでいく簪を魔力尾で捕まえる。
「………まぁ、予想はしていたがな。やはり海神は恐ろしいか?」
私の言葉に声も無く頷く。どうやら今の時代になっても海神とやらへの畏れは健在である様だ。
怯える朝雲を宥めすかして、螺鈿細工、鼈甲、珊瑚などを見せていく。怯えすぎた朝雲が、涙を浮かべた所で可哀想になったので解放する。
「………この辺りでは、宝石の類は見付かっておらんのでな、使えるかと思ったが、難しいな」
ふむ、と考え込む。ふと、思い付いたので、朝雲に聞いてみる。
「仮にこれらが海から採った物を使っていることを秘すればどうだろうか?」
売れるかな?と訊けば、間違い無く売れるであろう、と返された。
「恐らくですが、大金が動きます。見た目だけなら美しく、かつ、これまでに無かったモノですので。しかし、由来が知れれば」
「………海神の呪いを畏れて、最悪、製造元はお取り潰しか………」
はぁ、と溜め息をつく。
大金が動くと言うことは、バレるのも早かろう。どうも嗜好品の類は高値が付きすぎて扱いが難しい。
その後に、口紅やら爪紅やらの試作品を見せては見たが、同じ様な結果となる。
「あいわかった。暫くはお主の言うところの、無骨なモノに絞って売ろう」
疲れ果てた朝雲にそう言って、その日は辞した。
パチリ、と駒を置く音が響いた。
「………トラ、貴女はヒマなのでありんすか?」
盤を挟んで対面に座る朝雲が呆れた声音で、そんな事を言いだした。
「まぁ、暇だな。冬の間は農作業がないから」
率直に言う。
その言葉を聞いた朝雲の表情が一瞬だけ、曇る。
流石に聡いな、と思った。
「………お前が今、考えた事は大筋で正しい。春になれば、私はまた北の農地の世話に追われる事になる。そうなれば、こうしてココに来ることも難しい」
ゆっくりと、諭すように言葉を継ぐ。
「今こうしているのは、次の人集めの際に換金できる物をお前達から聞き出すことが、一応の目的だ。だが」
前脚でスルリと駒の一つを動かす。ソレを見た朝雲が眉を顰める。
「それ以上に、私はお主らが心配だ。私が来ている内は大丈夫だとは思うが、春になればソレも出来ぬ。そうなった時に、お主らと里人が上手く付き合っていけるのか。最悪、お主らの色香に迷った男らに襲われることすら想定せねばならぬ」
そう言っている自分でも溜め息を隠せない。
美しすぎるのだ、朝雲達遊女は。
私が要石の様に抑えているが、遊女を"分配"せよ、との声は既に聞こえ始めている。
元が里の資金で買った事も、大きな原因の一つなのだろう。彼女たちは一種の共有財産であり、それを"使用"させろと言うのは、筋違いとは言い切れない。
弥源や里長の理念には反する。それでも、若い男達やら新たに里にやって来た元浮民達やらは、それが理解出来ない、と言うよりも、色香に惑わされていて、制御が効かない。
「………それでどうだ。この駒と盤は売れそうか?」
問い掛けると共に、頭を振る。こうして朝雲達から聞いたモノが高値で売れる、だから大事に扱わねばならない。要はそんな事を主張して、彼女たちの安全を図っている。しかし、それでも刻限が迫っていることには違いが無い。
「売れると思いんす。質も良いですし、銀で7流といったところでありんすか」
丁度良い塩梅だ。嵩張らず、高すぎず、私であれば量産も効く。それでは、これも次の交易品の一つに加えるか、と頭の中で算盤を弾く。
「………いっその事、北の農地の一角に移るか?私としては春陽の子守をしてくれると助かるのだが」
自分の言葉ながら、それが通るかは不安である。最悪、誘拐というか夜逃げというか、そんな状況になりかねない。
「………困ったのう………」
思わず漏れた私の言葉に、朝雲は小さく唇を噛んだ。
「………わっちらはまた逃げねばならぬのでありんすか………」
小さな声で問い掛ける朝雲に、返せる言葉を私は持っていない。
本当に、神だ何だと煽てられても、こう言う時にはまるで役に立たない。
「………お主らがこの里に来たときに約束しただろう。この地に居る限り、私の出来ることは何でもしてやると。私は約束を違える気は無い。だから、何かお主達の為になるのか、お前の方でも考えてみてくれ。良い考えがあれば、何とかしよう」
その約束は、自分の言葉ながら、一際空虚に響くのだった。




