95.神獣の健康診断
「では、口を出来るだけ大きく開けてくれ」
私の前に置かれた椅子に座る男に声を掛ける。
訝しげな表情をしつつも、素直を口を開ける。
その中を観察する。幾つか抜歯の痕があるのは、虫歯への療法、と言うよりも痛みに耐えかねて抜いたのだろうか。幾つか、まだ虫歯がある上に、舌が青い。栄養失調とストレスの影響だろうか。唇などにも細かい裂傷がある。喉の奥には、僅かな炎症が見られる。
「よし、では次は胸の音を聞くので、上着を捲り上げてくれ」
何をしているのか。健康診断である。
里に着いた者たちには、真新しい麻の着物を与えた。里に入ってから、飯に、風呂に、暖かい寝床、とそれまで求めていたものの多くが与えられた。
旅の疲れもあったのだろう。飯を食い、床に入るなり、多くの者達が寝てしまった。その翌日の事である。
弥源達が連れ帰って来た者たちの多くは、都では浮民と呼ばれる。定住地を持たず、日雇いの仕事や物乞いをして糊口を凌ぐ者たちであり、戸籍すら怪しい者も多いという。その様な者たちを数百人も受け容れられたのは、先の冬に伐採した大量の材木を用いて、里の集会所を大きく増築したことが大きい。食堂と寝床、風呂に厨房まで作ったのは、これからも定期的に浮民を受け容れる予定があるためだ。そうで無くては、里の北に広がる、私の管理している広大な耕作地を維持できない。
ともあれ、人の流入は計画通りではあるが、心配な事もある。その一つが、外から入ってくる病の類である。元々が閉じた里であるので、妙なモノが入ってこれば、全滅すらあり得る事が恐ろしい。
そこで健康診断である。
長い道のりを揺られて、見知らぬ土地に着き、歓待を受けたかと思えば、体を探られる。そんな状況故か、不安気な者の姿が目立つ。それでも昨日からの歓待の為か、存外に素直な反応が多い。
「………よし。これで終わりだ。お主はその虫歯と風邪を治せば働ける。故に南棟を勧めようと思うが、どうだろうか。家族がいるのであれば、他に移る事も出来るが」
診察の最後にそう告げる。すると男は戸惑いながらも口を開く。
「………私には妻子がおります。傍を離れることは避けられませぬか?」
「いや、その様な事は無い。妻子も健康であれば、住居を共に出来る。誰ぞ病を患っておれば、そちらに移って看護をする事も出来る。詳しいことは里長に相談してみよ」
そう言えば、安堵の表情を浮かべて診察室から出て行く。先ほどの男のカルテを記入して次を呼ぶ。
「………次の者を喚んでくれ」
そんな事をして、晩秋は更けていった。
昨年の冬。弥源と里長が練った計画は概ね、成功したと云えよう。健康診断を終えて、軽傷の者は南棟、つまりは新たに開拓した耕作地に面した建物に移した。彼等の施療は、先の冬の間に医学、と云うのは憚られるものの、少なくとも看護とは云える技術を身に付けた里人が手当をしている。
棟はその他に西と北にある。その内、西には快癒の望みがあるものの、暫しの時を有する者が割り振られている。予想に反して、と云うべきか、その数は多くは無い。その大半は過去の骨折などによる四肢不全であり、私が骨を接ぎ直せば快癒する者も多い。流行性感冒などの患者もいるが、それは限られる。恐らくは重篤な感染症に感染した者は浮民として生きることも出来ないのだろう。そう思えば、複雑な思いを抱かざるを得ない。
問題は北棟である。そこには感染性の病人が住まう。然して。
カンッ、と木椀が壁を撃つ。
「何故にわっちがこの様な荒ら屋に囚われなくてはいけないのであるか!?」
柳眉を逆立てて、そう怒鳴る女に、努めて優しく諭す。
「お主らは、大なり小なり病に冒されている。自覚症状は無いかも知れないが、それらは放置すれば命に関わる。故に、快癒するまでここに居れ」
病。その多くは性病の類である。クラミジアなどが最も多いが、中には梅毒などの症状も見られる。抗生剤の精製も急いでいるが、今は打てる手が少ない。故に隔離するしか無いことが現状である。それに、荒ら屋と云うが、この北棟は長い療養生活の為に一番、苦心して造り上げている。まぁ、それでも。
はぁ、と溜め息をつく。
「仕方なかろう。お主らの病は人に流行るのだ。いま、治療法を整えているから、しばらく待て」
私の言葉に女、名を朝雲と云う、が激しく反駁する。
「わっちらのどこが悪いと申すのか!?共に来たあの浮民達の方がよほど汚らしい!」
「汚い、汚くないの話では無いのだ。まぁ、無聊なのはよく分かる。何か慰みになるような物を用意しようか?都ではどの様な遊戯が流行っていたのだ?」
そう言って水を向けると、出てくる出てくる。やれ、壁や柱は朱塗りが良い、窓には障子戸を付けよ、簪が無い、食器の類も無骨に過ぎる。
そう捲し立てる朝雲の首筋から、極々、細い魔力糸を差し込んで記憶を読む。朝雲自身が記憶を想起しているので、実に読みやすい。
なるほど、都ではこの様な調度品、加工品が珍重されているのか。朝雲の話が一段落したところで、割って入る。
「………………分かった、分かった。直ぐに、とはいかないかも知れないが、なるべくお前の希望に添えるようにしてみるよ」
私の言葉に朝雲は顔を顰める。その表情は、この様な田舎にそんなモノがあるはずが無い、と如実に語っている。
朝雲が再び口を開きかけたとき、背中に負った春陽が泣いた。恐らくは、腹が減ったのであろう。ふえふえと泣く様をみた朝雲が少しだけ狼狽する。
「すまんな、もう少し話を聞いてやりたいのだが、この子の飯の時間なのだ。また来るから数日間まってくれ」
そう言ってその場を辞した。
数日後。
「朝雲よ、お主の言っていた障子とはこの様なモノで良いのか?あと柱の朱色はこの色か?あと簪とは………………」
私の持ってきた大量の試作品を前に、絶句する朝雲の表情は、また一つ私に思い出し笑いの種を齎してくれた。




