94.神獣と弥源
荷台にひしめき合うのは様々な人だ。
その多くは襤褸切れの様な衣を纏っている。圧倒的に男が多いのは致し方ない。都の現状とは、その様なものであると聞いている。里人達が弥源達に飯を配る。この日のために備えた物を急いで炊いていく。それでも手が回らぬという。
ならば、と言って、春陽を背に野を駆ける。
日持ちがしない故に里には運んでいない野菜が、畑には大量に実っているのだ。私と違い、里の者は料理が上手いらしい。放っておいても腐るだけなのだ、出来るだけ持ってきてやっても良いのだろう。そう思って、里を、畑を、全力で駆けていく。耕作地の端から端まで往復して、熟した作物を背に負っていく。小山の様になったソレを里に運び込む頃には日暮れになっていた。未だに炊事に追われる里人達に、作物を渡すと大きな歓声が上がる。ソレが、少し誇らしかった。
沈む夕陽の中で、やたらと騒がしい一角のあることに気が付く。
その中心には一人の女。暗くなりかけた時分の中で、尚も煌めく装束。野趣溢れる飯場を脇目に、粛々として、乍らもその意志の硬さが見て取れる。ソレを留める里人達も、見慣れぬイキモノに魂を抜かれたよう。
ああ、そうだな。ではいこうか。
一息、息を吐く。背中の春陽に問い掛けるように。
「通しておくなまし、何故にわっちらがこの様な!」
「………………そこまでだ。女。」
低く。低く。私の声は響く。
艶な化粧。一つ衣で、どれだけの米に替えられるのか、そんなことすら思う豪奢な上衣。それをみて、思う。
だからだ。
虚飾の上に浮かんだ木の葉を見るようだ。
「………………………………!!」
ナニカを囀る。その中身が私には届かない。ただ空っ風が吹く様な、暖かな衣を全て剥ぎ取られた幼子の様な、そんな心地がするのみだ。
女の罵声が響く。
ソレを、淡々と受け止める。
ハァハァと、息を継ぐ。ソレを狙って、言い放つ。
「………………同情はする。この地で私に出来ることは何でもしてやろう」
そこで息を吸う。嘘はココまでだ。
「だが。お主らを元所に戻すことは出来ぬ。我らはお主らを"買った"のだから」
汚泥の味がする。私から。私の口から。
それでも。
「すまない。本当にすまない。お主らの様な者を救うために、それでも我らはお主らが必要なのだ」
………………
………………………………
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私を目覚めさせた弥源は、あの最初の朝にこう言った。
「………………私には、この里が楽園に見えます」
まだ血の臭いを漂わせながら、私の拵えた飯を食べた後、弥源は訥々と話す。
「里人達は皆で生きようとしている。畑も狩りも、幸も不幸も分け合って生きております。そして梅雪君の遺訓、あの里は遺訓の通り、皆で助け合って、楽をして、生きているのです」
空になった椀の中に視線を落とす。そこに、何を見ようとしているのか、私には分からない。
「………………御神。私の記憶をお読みになったとおっしゃいましたな。御神から見て、現在の虎都はどの様に見えましたでしょうか………」
それは、果たして問い掛けなのだろうか。ただ薄く消えていく様な語尾は、問い掛けと呼ぶには儚い。
どの様に見えたのか、と問われれば。
「………弥源。私から見た都の景色は、お前の見たモノと同じだよ。絢爛で豪奢で、飽食を愉しむ者の傍らで、女が身を売り、子が飢えて死に、男が物乞いをする。道行く人々は絶えることがない、路傍の死体を見て見ぬフリをして。お前はそんな死体を集めては弔っていたな………」
そうだ。私は弥源の見た景色しか知らない。あの飽食の街の中で、ゴミを掃除する様に死人を焼き、名の刻まれていない墓所に葬る。それらから目を逸らすように、書に、非現実に逃避した。そんな男の見ていた景色が、私の知る都の全てだ。
ハハハ、と小さく乾いた笑い声は、しかし私には喘鳴にしか聞こえない。
「その通りです。あそこでは人は平等では無い。それどころか、獣よりも安く人が売り買いされ、死ねば路傍に打ち棄てられる」
そこで、弥源は息を吸う。
「私はずっと羞じていました。貧民街で育ち、かつては友と呼んだ者たちの中で、ある日突然に私だけが掬い上げられました。そして、かつての友がゴミの様に死んでいく中で、ソレを焼く事で生計を立てていたのです。まるで人の生を糧にする鬼の様に」
いつしか、その目から涙が流れていた。
ソレを見ながら、ただ、次の言葉を待つ。
「…………ずっと思っておりました。この世は何かがおかしいと。しかしソレが何なのか、ずっと分かりませんでした。しかし、梅雪君の遺訓を読んだ時、ソレが分かったのです」
涙はそのままに、弥源は顔を上げた。
昂然と、此方を見る。
「御神よ。お頼み申す。この世を救って下さい。この里の在り方を否定するこの国を。梅雪君の継承者を僭称する帝に逆らってでも、私はこの世が美しいと、信じてみたい」
ふぅ、と一息つく。左後ろ足で耳の後ろを搔く。
敢えて弥源から、視線を外して外を見る。
まだ朝靄の浮かぶ中に、光が差し込んで、淡く虹色に煌めいている。
「そら、見て見ろ。信じてみたい、などと言わずとも、この世は綺麗だ。ソレが醜く見えるのならば、それは見るモノの目玉が曇っているからだろう」
私の仕草に、言葉に困惑する気配を感じる。
「あの梅の子らと言うことは、私にとっては孫みたいなものだ。孫の目玉が曇っているなら、拭いてやるのが祖母の勤めかもしれんな」
それが、目覚めた私が弥源と交わした最初の約束だ。




