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電波猫のお仕事  作者: おばば
鉄器時代編
91/128

91.神獣と春陽

 季節は巡る。

 鶯が紅梅の枝に留まる春を経て、慌ただしい田植えを、青菜の類の種蒔きを、実りし恵みの収穫と、それでも足りない動物性タンパク質の確保にと、度々、狩りに出ていれば、それだけでも季節は巡っていく。


 蝉の鳴く季節が始まった。

 日に日に上がる気温。時折、訪れる大雨。否か、今の里人達には台風と言った方がよほど正確に伝わる。

 地理的には台風が直撃することは稀だ。問題は台風の本体に引き摺られた低気圧が、長く激しい雨を齎す事だろう。

 雨量の増加と気温の変化。それらを加味しながら、水田に流し込む水量を変えていく。


 如何せん数が多い。

 先の冬に開墾した野は広大に過ぎる。

 温水路然り、ダム然り。里人達には使い熟せない設備も多い。春先に旅立った男衆によって、今の里は深刻な人手不足だ。もともと、里の皆が管理していた田畑にも幾らかは手を入れた。掛かる負担は随分と少なくなったと思うが、女衆と年寄り達だけで上手く回せるか、それも懸念事項ではあった。

 朔の日の会合では、なんとかなっているとは、聞いている。

 それでも負担は負担であろう。

 可能ならば手伝ってやりたい気持ちはあるものの、私自身も自分の割り当て分の田畑の世話だけで忙殺されているのが現状であった。

 今日も今日とて、稲の間から顔を出した雑草を見付けては畦の上で日乾しにしていく。

 見渡す限りに広がる水田。並々と張られた水面が陽光を反射して煌めく。まるで自分が巨大な湖に立っているかの様な不思議な心地がする。のんびりと梢に留まる土鳩がルゥルゥルゥと鳴いている。その中を早足で駆ける。探査系の反応から返ってくる信号を基に、水位を調節し、雑草を抜き取り、野菜を食み始めた芋虫を取り除いていく。子らは蝶々の子供と可愛がるが、所詮は害虫である。スマヌが容赦はしない。

 そんな風にして、朝から夕まで田畑を巡る。腹が空けば鳥やら土竜やらを狩り、疲れれば適当な所で寝る。里に顔を出すのは朔の日の会合だけだ。会合の前日に、丁度よく実った野菜を背に負うて駆けるので、その2-3日だけは仕事にならない。まぁ、それでも。

 一際、強い風が吹いた。

 まだ背の低い稲が一斉に靡く。

 これらの全てが黄金に実る頃。きっと、それもまた美しく見えるのだろう。そして、この耕作面積ならば、十分に皆を養える。春に旅立った男衆を加えても、食い尽くせない程に。

 それこそが、弥源達の目的なのだから。

 

 童の一人が道を走ってくる。

 里長が、明日のまだ日の空けぬ内から私を呼ぶという。

 伝言に礼を述べて、手近にあった瓜を幾つかもいで放ってやる。

 皆で分けて食べるのだぞ、と言い添えればはにかむように微笑んで、足早に去っていった。


 朔の日の会合はこの間、済ませたばかりである。では何事か。

 翌日、訝しみなからもその塒を訪ねれば、囲炉裏にはカタカタとなる釜。御厨から、火から外して下さいまし、と声が飛ぶ。

 里長は一人で暮らしていると訊いていたが。何か急用であろうか、そんなことを考えつつ、それでも言われた通りに釜を降ろして灰のなかで蒸す。

 パタパタと駆け寄る足音を横目に、外に目を向ける。

 藍色の空が東からゆっくりと白んでいく。

 逃げ去る夜を追い掛けるように大鳥が飛び出し、その影が長く、大きく地を撫ぜる。


 静かな家だ。


 或いは、この里を統べる長とはこの様な生き方を強いられるのであろうか。私と、梅の遺したモノを受け継ぎ、その純度を落とさぬ為にか、世俗とは切り離されている。それでも尚、人を導けるのは、我らの遺した異物が、未だにヒトに消化されていないからに過ぎない。

 その有り様は、ヒトとは異なる。あたかも群体における一つの器官だ。未消化なるものを咀嚼し、頒布し、教導する。常に過去に軸足を置きながら、それでも今世における何者よりも未来を見ている。

 何という矛盾、なんという合理か。

 

 認めよう。コレは私が、梅が、遺してしまった忌み子だ。

 誰よりも聡明で、それ故に他者と混じれず。故に孤立する。

 或いは、ただ導かれることに慣らされた人々に長と崇められ、奉られ、その反面に常に正確な判断を要求される。

 それは、かつてのルイオディウの姿によく似ている。

 ヒトの群れが、群れたり得る為の贄。

 その様な者を造りたくは無かった。

 そんなことのために、私は知恵を与えたわけでは無い、と、そう言いたかった。

 それでも。

 自分の言い訳に吐き気がするのは、何故なのか。


「………お待たせいたしました、トラ様」

 忙しげに此方に駆けてきて、囲炉裏を挟んで対面に座る。

 その腕の中には、赤子が。

 思わず視線を持って行かれる。恐らくは産まれて間もないのだろう。赤味さす頬は熟れた石榴の様だ。

「………いま、茶をお点て致します」

 私の視線を感じ取っている。その確信がある。にも関わらず何事も無かったかのように、話を進める。

 カタリ、カタリと磁器と床の擦れる音が静かに響き、私の前に茶が押し出される。

 軽く頭を下げて、一舐めする。

 やはり、熱いな。人の味覚には慣れないが、とりわけ温度に関しては、未だに変わっていない。しかして、差し出されたモノに口をつけぬとは、毒を疑っているとも取られぬと、そう教えてくれたのは巌のような老婆であったか。

 企図せず去来した郷愁に囚われる。

 その刹那。

「トラ様。この娘は春陽と名付けました」

 淡々と、而してその言葉には力があった。

 思考が乱される。その空白に捻じ込むように、里長は続ける。

「私と弥源様の子です。先月、産まれました。この子、春陽をトラ様にお預けしたいと存じます」

 なにを、なにを言っているのだ。

「この子の事を知るのは私の他は限られます。皆には箝口令を布きました。トラ様にはこの子を、ただの孤児として」

「お前!!自分が何を言っているのか分かっているのか!?」

 大喝。そうとしか言いようが無い。

 制御を離れた声帯が、それでも意図した通りに機能する。

 大声に鳥が飛び立つ。

 それを気にする余裕は無い。

「何故だ!?何故、己の子を棄てる!?喰うにも困らず、住むにも窮せず、何故、自らの子を手放す!?お前は、それでも人の親なのか!?」

「違います」

 畳みかけるような私の問いは、極めて冷徹な声に遮られる。

「私はこの子を、トラ様にお預けするために産みました。それが適わぬならば」

 やおら、里長は赤児を囲炉裏の中、まだ火の猛るその中に投げ落とす。

 咄嗟に魔力膜を展開。薪から上がる炎気から遮断する。

 何を、と、問い糾す暇もない。

 振り上げた視線の先には、熱湯の入った釜を振りかぶる里長が。

 拘束が間に合わない。

 身を挺して赤児と里長の間に入り込む。

 常時展開している魔力膜を拡張。鉄瓶が魔力膜の上を滑り落ち、次いで、熱湯が囲炉裏の灰に落ちて、ジュウジュウと音を立てて乾いていく。

「………トラ様が否、とそう仰るのであればこの子はこの場にて殺します」

 絶句する。

 この女は、本気だ。

 この数瞬の動きには刹那の逡巡すらも感じ取れなかった。

 コレは、己の子を、ただの道具としか、見ていない。

 反射的に、後ろ毛が逆立つ。

 魔力膜で模造したものではない、本来の声帯が、威嚇音を放つ。

 

 まだ日の登り切らぬ室内。

 薄い朝日が差し込む中に、静寂と、殺ー、となる己の喉。

「………トラ様。貴女は甘いのです」

 透かし戸から日が差し込む。

「我ら、里長のみに継がれる書があります」

 陽が、里長の顔を斜めに照らす。

「その書、名を若葉の訓録と申しますが、その一説」

 僅かな歪みも見えぬ唇。此方を見下ろす瞳には一切の感情を感じない。

『彼の神は人を殺せぬ。故にその由縁を結びたけば』

 里長が懐に手を入れる。

 電磁探査からの反応は既に受け取っている。

 故に。

 ガチリ、と鋼が砂を噛む音が鋭い。

「『神には人の児を差し出すべし』、と」

 匕首の鋒は私を狙ってはいない。

 それはただひたすらに我が子を。

 故に。故にだ。

 私はコレを理解出来ない。

 腹を痛めて産んだ子を、ここまで執拗に狙うコレが、恐ろしくて仕方が無い。

「………私も疑心暗鬼でした。ですが、アレは真実を語っている。私は、正に今、それを確信しました」

 奈落の底から声がする。

 それは、一息に命を刈り取れる距離に立つ。

 なれど、それは彼の伝説の怪物よりも遠くに感じた。

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