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電波猫のお仕事  作者: おばば
鉄器時代編
86/128

86.神獣の朝

 首の後ろから差し込んでいた魔力糸を抜き取る。

 人の記憶を読んだのは初めてだった。余りの情報量に少し目眩がした。

 ふぅ、と思わず漏れた溜め息が、夜冷えの中で小さく白く流れていく。


 小雪がちらついていた。


 目の前には気絶した男。記憶を読んだ今ならば、弥源と呼ぶべきか。その体の傷の縫合は大方済みつつある。彼を追っていた人々は私が地表に出た際の爆音に驚いたのか、土煙の収まる頃にはいなくなっていた。

 弥源の体を対象に探査を掛ける。

 記憶を読んだ時よりは栄養状態は良い。とは言え、この寒さの中での野営は危険だろう。どこか、仮拵えでも寝床を探すか。

 周囲を改めて見渡してみれば、そこは月明かりも疎らな樹林だった。我らが地中に埋まっている間にどれだけの年数が経ったのかは定かでは無いが、かつて、集落があった場所も分からない。

 トラの里に、ということも難しいのだろうな。

 仕方ない。伸ばした魔力爪で付近の木を何本か刈り取る。それらを組み合わせて、即席の小屋を作る。基礎も何も無いが、雨風は凌げるだろう。

 岩屑なだれ堆積物を掘り返して、囲炉裏に使えそうな石を切り出す。小屋の床の中心に据え付けた後に、真空引きで乾燥させた薪をくべて、火を熾した。

 何か食い物があった方が良いだろうか。

 囲炉裏を切り出した後の石材から水瓶と鍋を作りつつ、周辺に探査を撒く。臆病な獣たちは既に逃げ去った後であるが、逃げ遅れたのか、兎の幾匹が付近で息を潜めている。伸ばした魔力尾で捕まえて、首筋を切り裂く。血抜きの為に傷口を下にして置き去ると、付近の小川に水を汲みに行く。

 道中で採取した山菜の類と、皮を剥いだ兎をぶつ切りにして煮る。味付けなどされていないが、急場凌ぎとしては上々では無かろうか。煮え切った頃に五徳から降ろす。起きたときに食えれば良いのだ、火にかけ続けていても煮減るばかりで良いことは無い。


 囲炉裏の中で、橙色の火がちらついている。

 窓もない部屋の中、薄く、泥に汚れた横顔が、炎に照らされている。

 墨で染めたような深い黒色の髪。癖が付いているのか、横毛が一房ばかり跳ねている。僅かに幼なさを残した童顔に不似合いな無精髭が薄く浮いている。

 見れば見るほど、アイツによく似ていた。

 思わず、郷愁の念に取り憑かれる。

 泥に汚れ、農具によって荒々しく切り裂かれた着物は、生々しい血の臭いがする。

 落ち着いた呼吸を確かめて、その腰のあたりに丸く寝そべる。

 暖かな体温を背に感じながら、幾星霜越しの眠りに付いた。


………………

………………………………

………………………………………………


 朝だ。

 不思議なものだ。

 もう随分と昼も夜も無い生を送ってきたと言うのに、こうして地上にいれば、朝は朝、夜は夜と感じる。

 森の精気が一際増して、それでも枯れ枝の目立つ森の中を鳥達が羽ばたいていく。木々の幹に遮られて、朝日を望むことも出来ないというのに、確かに気温は上がりつつある。半ばまで凍てついた地面から、薄らと靄だつ中に、疎らな光の柱が立つ。

 細かな水の粒子が、光を反射して、キラキラと輝く。

 一粒一粒が、紫から藍を経て緑に、茜色に光を宿す。

 まるで虹に包まれたのような鮮やかな色彩に視界が彩られる。


 なんと、豊かな色だろうか。

 地上とは、こんなにも美しい所だったのか。

 そんなことすら忘れるほど、私は。


 小屋の中から呻き声。弥源が起きたのであろう。

 飯を出してやらなくては、追われていた事情も聞かなくては。

 だけど、もう少しは良いだろう。

 もう少しだけ、この綺麗な世界を見ていたい。

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